第67話 量刑



「決したな」

 朧玉ろうぎょくは小さく呟き、鴛祈えんきの腕を捻り上げている守月スウォルの肩を叩いた。

 それを合図に守月は手を離して立ち上がる。鴛祈は俯せて泣き続けていた。

「此度のことは、不運が重なった故のことだ」

 居並ぶ者達に向けて、朧玉はそう宣言する。


 とう家が鴛凌えんりょう太子の命で襲撃されたのも、月蘭げつらんがそこから逃げて鴛祈とすれ違い、守月と夫婦になったのも、不幸なことが重なった結果だ。

 月香げっかが公主を騙ったことは意図的ではあったが、鴛祈自身は娘だと認めて溺愛していたし、なにも知らない螢月けいげつも幸せに暮らしていた。ある意味では幸せな成り行きだったのだ。

 例え偽りの上に築かれた幸せであろうとも、それですべては丸く収まっていた。誰も不幸を感じることはなく、満ち足りていた。

 そこへ鴛翔えんしょうが襲われたことで螢月と出会い、また小さな不運が積み重ねられた。

 螢月が王宮に来なければ月香は危害を加えようとはしなかったし、公主として穏やかに暮らしていった筈だ。

 そんな小さな不運がいくつも重なり合い、結果として、螢月は大きな怪我を負い、月蘭は亡くなった。


 ふう、と朧玉は息をついた。

杷蘇はそ村の月香。お前は大罪を犯した。だが、命を奪うまでには至らぬ――と私は判断したい」

 月香は茫洋とした瞳を朧玉へと向ける。

「これは被害を受けた螢月の嘆願と、月蘭の親友であった私の我儘に因る裁量だ。そのことは深く胸に留め置け」

 騙されていた鴛祈からしてみれば腹立たしいことこの上ないだろうが、朧玉にとってみれば、月香が亡き親友の娘であることには変わりない。ここまで月蘭に似ている娘を殺してしまう方が、朧玉にとっては悲しい。

「王后様……」

 螢月は感謝の念から涙を零し、深々と頭を下げた。

 朧玉は鷹揚に頷き返す。

「かと言って、このまま王宮に留め置くことはならぬ。故に、王都より追放とするのが妥当であろう」

 どうだろうか、と問いかけて一同を見渡す。甘いと思われるかも知れないが、これが朧玉に出来る精一杯の温情と譲歩だった。

 最終的に決定を下すのは鴛祈の役目であるが、今の彼にそれを求めることは出来ないだろう。落ち着きを取り戻した頃に、意見を纏めて奏上する方がいい。


 有事にはその鴛祈の代理を務める鴛翔が、朧玉の意見に賛同の意を示すと、螢月と月香の前に膝をつき、ぼうっと涙を流している泣き顔を覗き込んだ。

「数日のうちに正式な決定を下す。しかし、このことで、他の誰かを怨むのではないぞ。すべては己が招いたことだ」

 言い聞かせるように告げられた月香は、なにも言わず、ただ鴛翔のことを見つめ返していた。

「月香、よかった」

 螢月はそんな妹を抱き締める。その優しい腕に抱かれ、月香は顔をくしゃりと歪めた。

「ねえさん……」

 しゃくり上げながら零れるたどたどしい呼びかけに、うん、と螢月は頷き返した。

「ねえさん、ごめんなさい……っ」

「うん」

「ごめんなさい」

「大丈夫だよ、月香。大丈夫」

 心からの謝罪の言葉を口にする妹を強く抱き締め、宥めるようにその背中を撫でる。

 震える細い背中は、ずっと昔から変わらない。螢月の手に馴染む。


 そんな娘達の様子を、守月は静かに見守っていた。

 多大な温情で救われたとはいえ、月香がしたことは重罪も重罪だ。詐称のみならず、人を傷つけている。

 何処で育て方を間違えたのだろうか、と悔やむ。奔放で我儘な娘ではあったが、ここまで自己中心的で苛烈だとは思っていなかった。

 被害を受けた螢月が許しているとはいえ、決して許されるべきことではない。

 こんな浅慮で危険な娘を野放しには出来ない。いっそのこと――


守月しゅげつ――いや、スウォル殿」

 残酷な覚悟を決めたとき、鴛翔に呼びかけられて現実に引き戻される。

「あなたに娘御の監視を任せたい。二度とこの緑厳ろくげんに近づかぬよう、命ある限り見張ってください。親の責任として」

 強い口調で言い渡され、守月は双眸を瞠る。

「流刑の地には、陛下から正式な裁可を頂かねばなりませんが、わたしは無影むえいの地を定めたいと思っています」

「無影……」

「はい。北東の果ての地です」

 微かな動揺を見せる守月に向かって力強く頷き返す。

「嘗て、あなたが生まれた国だった場所です」


 先王の時代、人も家もすべてを蹂躙されて奪われた土地――周囲を囲む山々からの寒風吹き荒ぶ険しい地に根差した小国、金輪クムワ

 それが今はりゅう国の端に、広大な荒れ地として放置されている。すべてを消し去ったという意味で無影と名を変えて。


「あなたにお還しします。

 鴛翔ははっきりとその名を口にした。

 きつい目で睨み返せば、鴛翔はゆったりと微笑むので、小さく「気づいていたか」と呟く。はい、と鴛翔は頷いた。

 もちろん初めから知っていたわけではない。さい家に恨みを持っているらしいことと、少し訛りのある口調から、柳国と敵対した異国の民であろうと推測したのだ。そこから少しずつ史料を遡れば、すぐに金輪国の話に行き着いたのだ。


 蹲っていた鴛祈も顔を上げる。

 この守月がどういう素性の者なのか、ずっと疑問ではあった。月蘭の父が何処ぞで拾って来て、腕が立つからと護衛につけたことくらいしか知らなかったし、月蘭もそれ以上は語らなかった。

 そうだったのか、と鴛祈は納得した。

 だから守月は鴛祈に対して壁を作っていたし、時折敵意を覗かせていた。慕う月蘭が想いを寄せているから、恋敵として憎まれているのだとばかり思っていたのだが、そう単純な話ではなかったということか。

 彼の故郷を、鴛祈の父と兄が奪った。数の力で押して襲撃をかければ籠城抗戦の構えを見せたので、清らかな川に毒を流し、家々に火を放ち、男達は老若問わずに嬲り殺し、女子供は犯し殺したという。

 まだ幼かった鴛祈も覚えている。城壁の外に掲げられた王と王子達の首級を父に見せられた。鴉の群れに食い荒らされて腐敗したあれが、守月の家族のものだったのだ。


 鴛祈は小さく笑う。

 自分は本当になにひとつ、まわりを見ていなかった。ただ自分の目の前に差し出されたものだけを、自分のいいように解釈し、疑問も持たずに受け入れていた。

 だから、なのだろう。

 欲しかったものはすべて、鴛祈の手を滑り抜けて行った。父からの信頼も、兄からの親愛も、心から愛した女性も、その愛の証たる子も、なにもかも。

 手に入れられたのは、この柳国の玉座ひとつだけだ。


 虚しさを噛み締めながら立ち上がった鴛祈は、裁定を下した王后と世太子へと目を向けけた。

「其方等の裁定を承認する」

 ひとつ息をつき、こちらに目を向けた守月を見る。

「お前が本当に金輪の王子だというのならば、あの地を返還する。金輪を再興せよ」

 怪訝そうにする守月に、鴛祈は苦しげに眉根を寄せた。

「金輪に対して我が父や兄がしたことは、あまりにも非道に尽きると思っていた。あそこまでする理由がわからなかった。だからもし、虐げられた民がまだ健在であれば、いつかなにかしらの形で償えればと思っていたが、叶わずにいたのだ」


 無影は奪われたあと、なにかに利用されることはなく、荒れたまま放置されていた。水を穢され、土地を焼かれたのだから仕方がない。無為に遊んだ土地となっていただけなのだ。

 その穢れも、三十年ばかり経って浄化されたことだろう。人が住める程度には戻っている筈だし、罪人の流刑地として整えるならば都合がいい。

 いい機会だといったら高慢だと思われるかも知れないが、確かにそうではあるのだ。今を逃せば、また別の理由を作らなければならなくなる。


 どうか、と言われ、守月は黙って月香を見遣る。彼女は不安そうな表情で、螢月の腕に揺られていた。

 逡巡の後、守月は「お受けする」と頷いた。





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