第66話 悔恨



 突然の告白に二人は揃って目を丸くするが、他の者達にとっては知れていた事実だったらしく、驚く者はなかった。

「わたしは、廃された鴛凌えんりょう太子の子だ。陛下にとっては甥にあたる」

 鴛翔えんしょうは淡々と自分の生い立ちを告げる。


 螢月けいげつ月香げっかも生まれる前のことだったり、まだ幼い頃のことだったりで記憶になかったが、当代の世太子が王の実子でないことは誰もが知っていた。

 鴛祈えんきは即位と同時に朧玉ろうぎょくを王后に迎え、鴛凌太子の廃嫡と共に離宮へ幽閉されていた嫡男を養子にして世太子に封じた。それが鴛翔だった。

 父親が廃嫡された故に憂き目に遭っていたが、本来は次の世太子となるべき血筋の子供だ。異論を唱える者は誰もなく、当然のことのように受け入れられて今に至る。

「螢月殿が陛下の御子だったとしても、婚姻することに問題はない。寧ろ歓迎されるくらいだろうな」

 養子の世太子と当代王の嫡子との縁組となれば、血筋的にはなんら問題はないし、血統を守るという意味では最良だ。鴛翔の世太子としての地位にも正当性を持たせることが出来る。


「故に、螢月殿が本来の身分に戻ろうとも、問題はまったくない」

 念を押すようにはっきりと告げられ、月香は愕然とした。全身から力が抜けて倒れそうになる。

 それでは、月香はどうすればいいのだろうか。

(また村に戻るの……?)

 この三月程の間、公主として華やかに暮らして来たというのに、その生活を棄てなければならないのか。またあの泥にまみれ、あかぎれを作り、陽に焼かれて汗を流す生活に戻らなければならないのか。

 そうして、まわりから勧められる縁に従って、好いてもいない男と家庭を持たなければならないのか。

(そんなの嫌よ!)


 身震いした月香は姉の手を握り締める。それに気づいた螢月は振り返るが、鬼気迫る表情の妹の様子に身を退きかける。

「月香?」

 なにをそんなに思い詰めているのだろうか、と宥めようとしたところで、黙っていた朧玉が立ち上がった。


「これで、すべてが明らかになったな」

 そう言って一同を見回し、最後に月香へと視線を止めた。

「公主――いや、月香といったか」

 確かめるように問われる声に、月香は反抗的な目を向ける。その様子に気分を害した風はなく、朧玉は淡々と言葉を続けた。

「其方は己の我儘で、ふたつの大罪を犯した。ひとつは公主の名を騙り、その地位を簒奪しようとしたこと。もうひとつは、その公主へ危害を加えたこと」

 月香はすぐに答えられない。唇を噛み締め、なんとか言い包められないかと反論の言葉を探すが、なにも思いつかない。

「王族への害意は、極刑に値する」

 裁きの場などは必要ない。この場で首を刎ねてもいいくらいだ。


 朧玉の言葉を聞いた螢月は、震えながら月香の前に身を挺し、大罪を犯した妹を庇う。

「王后様、お願い致します。お助け下さい。妹はまだ子供なのです」

 涙ながらに零される嘆願に、朧玉は眉根を寄せる。

「子供だからとて、甘やかしていいことはない。善悪はきっちりと教えねばならぬのだ」

 それはまったくその通りだ。悪いことをしたのなら罰を与えなければならない。笑って許してしまえばまた同じことを繰り返すのは必定であり、その為に刑法が定められている。

 それでも、極刑といえば命を絶たれることだ。

 害されたのは螢月であり、その螢月がそんな刑を望んではいないのだから、やめて欲しかった。


「――…なれど、その者が王宮へ入り込めたのは、陛下が公主とお認めになったが故だ」

 黙り込んでいた鴛祈に視線を向け、朧玉は静かに言う。

「陛下がお認めにならねば、このようなことにはならなかったのではないか」

 話の矛先を向けられた鴛祈は、表情を曇らせて月香に目を向ける。

「確かに、その娘が萌梅ほうばいであるということは、余が認めた」

 悔恨の滲む声音で零され、朧玉は双眸を眇めた。

「何故にお認めになられた?」

 公主を王宮に連れ帰った経緯を、実はよく知らない。視察に出かけた折に見つけ、娘だと確信したから連れ帰った、と説明されただけなのだ。

 半信半疑で会った公主は、彼女の母親である月蘭げつらんの若い頃にそっくりだった。それで朧玉も、月蘭に縁のある娘であろうことはなんとなく認めた状況だった。


 鴛祈は俯き、掠れる声で答える。

「余が蘭々らんらんに宛てた手紙と、彼女の簪を持っていた。そして、蘭々にこんなにも似ていて、他人だとは思えなかった」

 つまり、月蘭の娘であると確信し、それは即ち自分の娘であると信じ込んだわけだ。

「なにか他に確認は取られなかったのですか?」

 鴛翔が怪訝に思って尋ねると、鴛祈は小さく頷く。

 疑う気持ちなどなにもなかった。こんなにも月蘭に生き写しで、彼女の持ち物を持っていたのだから、何処に疑いを抱く余地があったというのか。

 しかし、その甘さがすべての過ちだったのか。


 鴛祈は頭を抱え、そうして、螢月を見た。

「萌梅……」

 その名を呼ぶ。

 けれど、当の娘は訝しみよりも怯えのような表情を向け、警戒するように身構えた。その様子に胸が抉られるように痛む。

 求めて捜し続けた実の娘にはこんなにも拒絶され、憎らしい男の娘を我が子と思って溺愛してしまった。己の不徳による結果ではあっても、なんとも手痛い状況だ。

 それ故に、月香に対してじわじわと怒りが込み上げてくる。

 この娘が名を騙らなければこんなことにはならなかったのだ、という思いに帰結した。


「近衛士」

 鴛祈は隅の方で控えていた潤啓じゅんけいを呼ぶ。

 潤啓は一瞬戸惑ったが、王の命に逆らうことは出来ない。はい、と前に進み出た。

「その娘の首を刎ねよ。公主を騙った不届き者だ」


 冷淡な声音で指し示された月香は身を竦め、さっと青褪める。

「お父様!?」

「誰が貴様の父か!」

 驚いて呼んだ声は、間髪を入れずに否定される。月香は更に身を竦めた。

 この部屋に入るほんの少し前までは、あんなにも優しい声で名を呼び、愛おしげに微笑みかけてくれたというのに。

(私はその程度だったの?)

 出会ってからずっと、愛らしくて素直な父親を慕う娘を演じてきてやった。その様子に満足し、嬉しそうにしていたではないか。

 それなのに、本当の娘だと気づきもしなかった者の正体を知った瞬間、娘として尽くしてきたこちらのことはいらなくなってしまったというのか。


 震えている月香を、螢月は抱き寄せる。その腕に月香も素直に縋った。

「萌梅、その逆賊から離れよ!」

 身を寄せ合う姉妹の様子に苛立たしげな声を響かせる王を、鴛翔が諫めようと動きかけたとき――それよりも早く守月スウォルがその背後へと回り、押し倒して腕を捻り上げていた。

「くっ……、スウォル……貴様!」

 藻掻く鴛祈を押さえつけ、守月は冷たい視線を落とす。

「元々は、お前がお嬢様を迎えに来なかったことが、すべての始まりだろう」

 静かに突き刺すように響いたその言葉に、ハッと息を詰める。

「蘭々からの手紙など、余は知らぬ! 貴様こそ謀ってはおるまいな!?」

 守月が王宮を訪ねて来ていたことも知らない。一切の報告を受けてもいない。

 手紙を隠したという場所にも、僅かな望みを賭けて何度か行ったが、一度もそれらしいものを見たことはない。隠し場所を間違えたのではないか。

 そう罵ると、守月は呆れたように鼻で笑う。

「お前とお嬢様が想いを告げ合った場所だろう?」

 間違いはない筈だ、と言われ、鴛祈は頷き返すしかなかった。


 それは、後宮の端の方に在る梅の樹。

 枝先が僅かに塀を越えているような巨木で、花期になると緑がかった黄色の変わった花を咲かせる樹だ。

 その樹の枝が触れるような塀の瓦で、一ヶ所だけ動かせるようになっているところがある。そこが手紙を交わす為の隠し場所だった。


 間違いはなかった。

 恐らく手紙が持ち去られたかなにかしたのだろう。その為に、鴛祈の手に渡ることはなかった。

「うぅ……蘭々。すまぬ……」

 小さく呻いて床に額を擦りつけ、悔恨の言葉を口にする。

 悔やんでも時は戻らない。けれど、ちょっとした不運が重なったのだ、という言葉で片付けてしまうことも出来ない。

 鴛祈は運命の残酷さを呪い、ただただ悔いることしか出来なかった。



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