七章

第52話 尋問



「それは、とても恐ろしいことがありましたのね」

 ふらりと戻って来た月香げっかは、訪ねて来ていた監査部の倫來りんらいに事情を聞き、痛ましげな表情になって悲しそうに呟いた。

「公主様はそちらにおられませんでしたか?」

「はい。萌梅ほうばいはお散歩に出ておりました」

 疑うような表情で尋ねてくる倫來に、月香は自然な笑みを浮かべて応じる。

 一日に一度は必ず散策に出るのが習慣なのだ。大抵は午前中に神廟に詣でて鴛祈えんきと対話し、そのあとは作法指南のそう大臣夫人が来るまで、庭園で花を愛でたりしてのんびりしている。

 公主付きの女官達に確認を取ると、彼女達は一様に頷いた。今日のように供を一人も連れずに、ということは初めてのことだったが、それは黙っておく。

「しかし、厨膳処にいらしたと、女官達が申しておりますが? 女官達を追い出してまで、なにをなさっておいででしたか?」

 おかしいではないか、と睨まれるので、月香は袖で口許を隠し、困ったような表情で小首を傾げた。

「ちょっとはしたないのだけれど……今朝の朝餉は少し物足りなくて、厨膳処につまみ食いをしに行ったの。そんなところ、見られたくないじゃない? だから出て行って、とお願いしたのよ」

 そう言って恥ずかしそうに頬を染め、照れ笑いを浮かべる。


 倫來は黙ってその表情を見つめていたが、公主が嘘をついているようにも感じられず、仕方なく溜め息を零した。

「では、なにをつまみ食いなさったので?」

 話を切り上げようとした倫來の後ろから、潤啓じゅんけいが口を挟む。

 月香は一瞬眉を寄せたが、頬を染めたまま上目遣いに潤啓を見上げる。

「……言わなくてはなりませんか?」

「そうですね。お答え頂けると大変助かります」

 潤啓が頷くと、月香は溜め息を零し、僅かに視線を逸らして言いにくそうに「肉団子です」と答えた。

 恐らく昼餉用に準備されていたものだろうが、大皿に盛られていたものを、螢月けいげつが蒸し餅を作ってくれている様子を見守りながらいくつか失敬したのだ。嘘は言っていない。


 そうですか、と頷き返し、倫來を見遣る。彼女は心得たもので、持っていた帳面に素早く書きつけていた。戻って確認するのだろう。

 潤啓は月香に向き直り、では、と話を戻す。

「つまみ食いをされたあと、庭園に散策へ?」

「はい、そうです。そろそろ芙蓉が咲く頃かと思いまして、『夏』のお庭に」

 夏の時季に咲く花の集められた庭に行っていた、と答えるので、それを証明出来る人間はいるか、と尋ねるが、月香は緩く首を振った。今日は一人で散策に出ていたのだ。


 なるほど、と頷き、今度は女官達の方へ向き直る。

「確認ですが、公主様は普段からお一人で出歩かれるのでしょうか?」

 問われた美峰びほうは首を振りかけるが、月香がこちらを見ていることに気づき、その視線の意味にハッとして「はい」と頷いた。

「本当に?」

「はい。時々、ございます」

「毎回ではない、と?」

「え、ええ。もちろんです。公主様をお一人で出歩かせるなんて……」

 慌てて言い繕う美峰の様子を、潤啓はジッと探るように見つめてくる。その視線から逃れようとするかのように、美峰は僅かに視線を泳がせた。


「……なるほど」

 潤啓はもう一度呟き、再び月香へと向き直る。

「最後にお尋ねしますが、公主様は厨膳処で、螢月様にお会いにはなっておられないと?」

 月香は申し訳なさそうに表情を曇らせながら頷いた。

 そうですか、と潤啓は笑みを見せ、倫來を連れて中宮殿に向かうことにする。倫來は僅かに不満そうな様子を見せたが、これ以上公主から訊き出せることはないと踏んでか、渋々と頷いた。


「後程また伺うことになるかも知れません」

 戸口のところで振り向いて伝えると、女官達は僅かに迷惑そうな表情を向けてきたが、月香だけは好意的な笑みで応じてくる。

「お兄様のお嫁様に怪我をさせた人、早くわかるといいですね」

 協力は惜しみませんよ、と言ってくれたので、潤啓も好意的な笑みを向けた。

「助かります、

「お気になさらないでくださいませ、じょ護士官様」

 愛くるしい笑みを浮かべて応じる月香に、潤啓は静かに頭を下げ、立ち去った。


 公主の居所を足早に離れて少し行ったところで、倫來を振り返る。

「お気づきになられましたか、倫來様?」

「なにをです?」

 突然話を振られた倫來は、あからさまに怪訝そうな目を向けてきた。

「公主様です」

 端的な言葉に更に訝しむ様子の倫來に、潤啓は言葉を選ぶ。

「僕達は、螢月様が怪我をしたことだけをお伝えしたのに、あの方は『怪我をさせた人がわかるといいですね』と仰られたんです」

「確かにそう仰られていましたね」

 愛らしく心優しいと評判の公主なので、賤民出の世太子妃にも慈悲の心を向けるのだろう。噂通りに優しい娘だ、と思ったのだ。


 そんな倫來に向けて、潤啓は「おかしくないですか」と続けた。

「どうして、誰かに怪我をさせられたと思われたんでしょう?」

 ハッと倫來は息を飲む。潤啓は頷き返した。

「僕等も故意なのか事故なのか調べ始めたところです。どうして怪我をさせた人がいると断定的な言い回しをされたのでしょう?」

 怪我の原因がわかればいいとか、なにがあったのでしょうなどと、そういう曖昧な言い方にならず、怪我を負わせた人間がいると断定しているような言い方だった。

「もしかすると、公主様はご存知なのかも知れませんね。螢月様に火傷を負わせた人物を」


 そもそも背中から竈の上に転ぶというのも奇妙な話なのだ。

 現場を見渡した限りだと、脚を引っかけるようなものは置かれていなかったし、あんな火に近い場所で背を向けて立っていたというのも奇妙な構図だ。振り返ったところを突き飛ばされたのではないだろうか。


 そして、潤啓が「月香さん」と呼びかけても普通に受け答えをした公主――昨夜、虹児こうじからことづかった螢月の伝言の内容を裏づける証拠になるのではないか。

 螢月が捜していたという妹と、潤啓達兄妹きょうだいが助けた行き倒れの少女と、その二人によく似た公主は、同一人物なのだろう。潤啓はそのことに確信を持った。

 そうなると今度は、月香が何故公主として王宮にいるのか、という疑問が生まれる。


 これは一刻も早く守月しゅげつと落ち合わねばならない事態ではないだろうか。姉妹の父親である彼が現れれば真相がわかるだろうし、事態が大きく動く筈だ。

 村での火事に不可解さを感じ、原因を調べたいと言うので、部下の一人を貸した。あれからもう十日も経つので、そろそろなにかわかってこちらに向かっている頃だろうと思うのだが、未だに連絡はない。


 逸る気持ちを胸の奥に押し留め、一先ずは中宮殿に戻らねば。

 もしかするとそろそろ螢月が目を覚まし、話を訊ける状態になっているかも知れない。それで当時の状況を訊き出せばすべてが解決する。


「急ぎましょう」

 倫來に向き直って言うと、彼女は大きく頷き返し、中宮殿へと向かって足早に進み出した。



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