第51話 疑惑



 出て行った監査部の女官達が連れて来たのは、厨膳処の女官達だった。

 服装から上役と見られる女達だが、綱紀を取り締まる監査部に囲まれている所為からか、怯えたような顔つきであたりに視線を走らせている。

「厨膳司のてい芝春ししゅんは、あなたか?」

「はい。あの、いったいなにが……?」

 芝春と呼ばれた中年の女は、恐々と尋ねてくる。その様子に倫來りんらいは眉を寄せた。

「なにが、とはこちらが訊きたい。女官全員で何処へ行っていたのだ」

 皆が寝静まる深夜でもあるまいに、誰一人として残らず不在にしているとは、職場放棄もいいところだ。

 王族の食事を扱う大切な場所であるのだから、そのような危機感のなさでは困る、と倫來が言うと、芝春は困ったように首を振った。

「そうは言われましても……公主様がお使いになるから、少し出ていて欲しいと仰られまして、従ったまでです」

「公主様が?」


 倫來は眉を寄せ、他の女官達にも確認を取るが、皆同じように頷いた。

「公主様がここにいったいなんの用があったというのだ?」

「それは存じ上げません。少し使いたいから出ていて欲しいと仰られて。なにか料理を作られたのではないかと思うのですが」

 そう言って、騒動の為に入室を禁じられていた厨膳処の女官達はまわりを見回す。一通りの片づけを終えて出て行ったので、なにか違いがあればわかる、と言うので、監視の許に探索の許可を与えた。

「……蒸籠せいろが出ていますね。なにか蒸されたのかも」

 洗い場に置かれていた蒸籠を見つけ、倫來に報告する。

「蒸籠を使ったなら、鍋も使った筈だな」

 湯を沸かした鍋の上に置いて、その蒸気を使って食材を蒸す蒸籠を使ったのならば、鍋があって然るべきだ。螢月けいげつが倒れたのはその鍋の上だったのだろう。

 これで螢月の火傷の原因はわかった。


「公主様はお一人だったのですか? どなたかご一緒では?」

 横で話を聞いていた潤啓じゅんけいが口を挟む。

 いいえ、と芝春は首を振った。

「公主様はお一人だったと思います。も見かけませんでしたけれど」

 お一人で歩かれているなんて珍しいと思いはしたのだ、と芝春は答える。尤も、公主がここに顔出すことも普段はないのだが。


「――…蒸し餅」

 芝春からの事情聴取をしている後ろで、鴛翔えんしょうがぽつりと呟いた。

 その声を聞いた潤啓と倫來が振り向く。

「なにかお気にかかることでも?」

 訝しむような声音で尋ねられたので、鴛翔は慌てて首を振るが、倫來は「遠慮せずにどんな小さなことでも」と強めの口調で証言を求める。事故か人為的なものかをはっきりさせる為にも、どんな些細なことでも知りたいのだ。

 鴛翔は頷き、蒸籠を見遣った。

「螢月殿が、蒸し餅は得意なのだと言っていたことがある」

 ちょっとした祝い事のときには必ず作る菓子で、近年では螢月が作るのを担当しているということだった。

 怪我が治ったら作ってあげますね、と微笑んでいた様子を思い返し、あのときは快癒する前に急に帰ることにしたので、結局食べそびれてしまっていたことを思い出した。少し残念なことをしたものだ。


 材料の在庫を確認しろ、と倫來が命じ、すぐに厨膳処の女官達が保管庫などを捜してみると、最近は使っていなかった餅粉の袋が僅かに開いていることが確認出来た。

「では公主様ではなく、世太子妃様がこちらで蒸し餅を?」

 その言葉に芝春はギョッとした。

 なにかがあって怪我人が出たようだということは聞いていたが、それが入宮したばかりの世太子妃だとは知らなかったのだ。

 真っ青になって振り返り、鴛翔と潤啓を見遣る。どうしてこの方達がここにいるのか不思議だったのだが、そういう理由だったのか、と納得したと同時に、その場に跪いた。

「わ、私共の不手際で……!」

「ああ、よい。謝罪などは今はいらぬ」

 そんなことよりも、螢月がどうしてここで倒れていたのかの方が気になる。

「公主に話を訊くべきかと思うが、監査部はどう考える?」

 厨膳処の者は公主が一人で来たと言うが、怪我をして倒れていたのは螢月だった。何故そんなことになったのかがわからない。

 倫來は大きく頷いた。螢月には状況を訊ける状態ではないので、先に公主の方に訊くべきだろう。


 すぐに公主の居所へ人をやろう、と言っているときに、螢月の手当てが終わった、と祇娘ぎじょうが呼びに来たので、鴛翔は虹児こうじと共に中宮殿に戻ることにして、公主の住まう祥景しょうけい殿には潤啓と監査部の女官達に行ってもらうことにした。

 別れて急ぎ戻ると、御殿医が報告の為に王后の居間にて待っていてくれた。

「螢月殿の具合は?」

 礼儀通りに拝跪しようとするのを推し留め、報告を急がせる。

 戸惑いながらも頷いた御殿医は、咳払いをひとつ、心配そうにしている朧玉ろうぎょくの方へも一度向き直り、説明の為に口を開いた。


「命に別状はございません」

 そのひと言にホッと安堵する。

「背の広範囲に熱湯を浴びたようですが、衣服の上からだったこととすぐに脱いだことが幸いしてか、冷やしておけば数日で熱も引き、痕も残らぬでしょう」

 朧玉は大きく息を吐き出して緊張を解き、静かに両手で顔を覆った。鴛翔も同じく息をつく。

「ただ――」

 胸を撫で下ろしている二人に向かい、御殿医は続けて言いにくそうに口を開く。

「首の後ろの火傷は酷いもので――確実に痕が残ります」

 背を向けて、このあたりです、と指し示す。髪を結い上げれば見えてしまう位置だ。

「なんとかならぬのか、侍医よ」

 朧玉は痛ましげに表情を歪め、無理を承知で口にする。女の肌に痕が残るなんて、あんまりではないか。

 お許しください、と御殿医は深く叩頭した。どんな名医であろうとも、あのように酷い火傷の痕はどうにも出来ぬことなのだ。


 そんなやり取りに、鴛翔は僅かに表情を歪め、考え込む。

「何故そんな場所だけに、そこまで酷い負傷が?」

 背中から竈の上に転んだと思われる螢月だが、熱湯を浴びた背中はそこまで酷くはないというのに、首の後ろという少々変な位置だけが火傷が酷いという。鍋の縁にでも当たったというのだろうか。

 御殿医は上手い説明の言葉を探すように考え込み、ややして顔を上げた。

「殿下は、火責めを受けた者をご覧になったことは?」

「いや、ないが……」

 いきなり告げられた不穏な単語に面食らい、僅かに顔を顰める。それでも御殿医は先を続けた。

「お妃様の首の火傷は、まるで焼きごてを押しつけられた罪人のような症状なのです」

 焼けた鉄を押しつけて苦痛を与える拷問があるが、そのときと同じような傷の負い方をしている、と御殿医は言う。


 確かに熱せられた鍋は焼き鏝の如くだろうし、そこに触れればそうなって当然だ。しかし、それは長い時間触れていなければそうはならない。ぶつかった程度では、あそこまでの状態にはならない筈なのだ。

「つまり、螢月殿の首の火傷は、転んだときにぶつかって出来たものではない、と?」

「わたしの診立てでは然様でございます」

 そう言って御殿医は深々と叩頭する。話は以上らしい。

 患者の背中をしっかり冷やすように女官達に指示を出し、医局へと戻って行く。目が覚めたらまた様子を診に来るということだった。


 ようやく人心地ついて、祇娘に茶を淹れてもらっている朧玉の横で、鴛翔は考え込む。

 もしも誰かに焼き鏝の如く鍋を押しつけられたのだとしたら、螢月が倒れていた場所の近くに転がっていた鍋の意味もわからなくもない。押しつけたあとにその場に放棄したのだろう。

 しかし、何故首なのだろうか、という新たな疑問が浮かぶ。

 顔を潰すならまだ理由が想像しやすい。ふた目と見られぬ醜いものにしてしまおう、という明確な意図があるとわかる。だが、首ではなにをしたいのかわからない。

 顔ほどに人目につく場所ではないし、命に係わるほどの傷でもなかった。なにを意図してそうしたのか、想像が出来ない。


 考え込みながら腕を組み、ふと、自分の二の腕に目が行く。

 そこでハッとした。

「まさか……?」

 首だけを局所的に狙っているということに引っかかりを感じていたが、もちろんそこを狙う意味があったのだろう。しかし、それになんの意味があるというのか。

 悩んでいたことに一筋の道が見えた。

 その考えを裏づける為にも、可能かどうか訊かなくては。


「申し訳ございません、王后様。少し出て参ります」

 慌てて退出する旨を伝え、立ち去ったばかりの御殿医を追い駆けた。




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