第48話 虚言



 無理矢理話を続けようとするが、上手く思考が回らない。頭の中が真っ白だ。

 そんなことがあるわけがない、と思っていたことを、月香げっかは事実としてはっきりと螢月けいげつに伝えてきた。


「…………うそよ」

 螢月は震える声でなんとか絞り出す。

「本当のことよ」

 月香が微笑みながらそれを否定する。

 もう一度、そんなことは嘘に決まっている、なにかの間違いだ、と言いたくて口を開くが、月香の笑顔がそれを封じさせてしまう。螢月は唇を何度か動かしただけで、それ以上なにも言えなかった。


「なにも言わないで出て行ったのは悪かったわ。でも、もう時間もなかったし、すぐにでも行動しなくちゃって思ったの」

 申し訳なさそうな表情で告げる月香は、溜め息を零しながら竈に薪を補充した。

「……時間がないって、どういうこと?」

 頭の中の混乱をなんとか治めながら尋ねる螢月に、月香は少し嫌そうな顔を向けた。

夕鈴ゆうりんのお兄さんとの縁談があったじゃない」

 言われ、螢月はドキリとする。脳裏をさっと掠めていくのは、怒りと軽蔑を含んだ目つきで、酷い侮辱の言葉を投げつけてきた青甄せいしんの姿だ。

「お嫁に行ったら、もうそんなに自由は利かないじゃない? だからその前に、どうしても本当の親に会いたかったの」

 きっと最初で最後になるだろうけれど、どうしても会っておきたかったのだ、と月香は微笑む。

「お父様はずっと私のことを捜してくれていて、ようやく会えたからって、一緒に暮らしたいって言われたの。私も嬉しくて、その願いを聞くことにしたのよ」


 それは親として当然の願いであっただろうし、娘としても当然の答えだっただろう。

 けれど、螢月はその話がどうしても腑に落ちない。

「お父様って、国王様のこと?」

「そうよ。他に誰がいるの」

 螢月の疑問に月香は呆れたように答える。それがますます不思議でならない。

「母さんの夫は父さんよ? あなたの話が本当なら、母さんが不貞を働いたことになる」

 月香の話が本当だとしたら、母は父という夫がありながら、他の男性の子供を身籠ったという話になってしまう。それが昨日からずっと気になっていた。


 眉を寄せて睨むと、月香は満面の笑みを向けた。

「母さんはお父様の恋人で、行き違いがあって離れ離れになったの。だからその頃は、父さん――いいえ、守月しゅげつさんとは別々だったんだから、不貞なわけないじゃない」

 その言葉に螢月はますます眉を寄せる。


「……まだわからない?」

 険しい表情を向けてくる姉の姿に、月香は眉尻を下げて首を傾げた。

「ええ。わからないわ」

 おぼろげな記憶ではあるが、螢月は月香が生まれる以前のことも覚えている。両親と螢月の三人暮らしで、まだお腹が大きくなかった頃の母に抱かれていた記憶もあるし、その母の隣に寡黙な父の姿があったことも覚えている。

 その記憶を頼るならば、やはり月香は両親が一緒になってから生まれた子だ。


 明らかな疑いの目を向けてくる姉に、月香は悲しげな表情で口を開いた。

 そして、言い含めるようにゆっくりと、恐ろしい言葉を告げた。


「姉さんが、母さんの子供じゃないのよ」


 静かにだがはっきりと告げられたその言葉に、螢月は双眸を瞠った。

「姉さんは母さんの子供じゃないの」

 月香はもう一度同じ言葉を言う。

 二度目のその声も、驚愕に固まってしまっている螢月の耳に、はっきりと届いた。


「本当のことよ」

 呆然と立ち尽くしている螢月に、月香は更に続けた。

「ずっと前に、母さんから聞いたのだもの。姉さんは守月さんの連れ子だって」

 月香は溜め息を零し、顔色を失くして黙っている螢月の顔を覗き込む。

「お父様の許を去ったあと、母さんはまだ赤ちゃんだった姉さんを連れた守月さんと知り合って、そのうち一緒に暮らすようになったんですって。ほら、お家を借りるのも、一人より家族の方が貸してもらいやすいでしょ? お互いに助け合うつもりで夫婦の振りをして、そのまま家族になったってことらしいのよ」

 よくあることでしょう、と言われ、否定出来ない。小さな村とかになると、若い流れ者よりも家族連れの方が信用される傾向があり、行き会った他人同士が兄弟や親子の振りをするのは本当によくあることなのだ。


 だからね、と月香は話を続ける。

「私と母さんは、姉さんとは血が繋がってないの。――他人なのよ」

 残念そうな口調で告げられたその言葉は、螢月の胸の奥深くを、痛みが伴うくらいに強く抉った。


 突然聞かされた予想もしてなかった事情に、螢月は眩暈を感じてよろめき、倒れないように台の上に手をつく。顔色は青いを通り越して死人のような血色の悪さだった。

 そんな様子を横目に見ながら、月香は蒸籠せいろの蓋を開ける。濃厚な蓬の香りが蒸気と共にぶわっと吹き出してきて、懐かしくも大好きなそれをいっぱいに吸い込む。

「だからね、私はお父様の娘として生きていくことにしたの。母さんが亡くなったっていうなら、他人の守月さんのお世話になるのも失礼だし、お父様も快く迎え入れてくれたし、これが当然のことよね」

 蒸し餅を取り出して包み、使い終えた蒸籠は流し場に置いておく。戻って来た誰かが片付けてくれるだろう。

「話はこれで全部よ」

 茫洋とした目つきで震えている螢月に、月香は笑みを向けた。

「母さんに言われてたから姉妹として暮らしてきたけど、もうお互いに知ってしまったのだし、いいわよね。これからは姉妹じゃなくて」

 その言葉に弾かれたように顔を上げた螢月の目に映ったのは、なんとも晴れやかに微笑む月香の姿だった。


(……ずっと嫌だったの?)

 清々しいと言わんばかりの明るい笑みに、螢月は愕然とする。

 ずっと嫌々、姉妹の振りをしてくれていたのだろうか。なにも知らない螢月が姉としてあれこれと言うのが、本当は煩わしく感じていたのだろうか。

 母もそれを知っていて、黙っていたのだろうか。螢月が寂しく感じるからとでも思って。


「あ、そうそう」

 月香は思い出したように手を打ち、その手をさっと差し出した。

「母さんの櫛、返して?」

 無邪気に告げられたその言葉に、螢月は震えた。

 月香は意地悪く微笑む。

「だって当然のことでしょう? 母さんのものは、母さんの実の娘の私が持つべきだと思うの。他人の子の姉さんじゃなくて」

 さあ、と更に手を伸ばす。

 螢月は首を振って後退った。


 だってあの櫛は、確かに螢月のものだ。死に際の母だって、ちゃんと持っていろ、と念押しして亡くなったのだから。

 いやいやと首を振る螢月の様子に、月香は苛立ったような目を向ける。

「駄目よ。返して。私のものなの」

「でも、母さんが私に」

「姉さんの母さんじゃないんだから、母さんなんて呼ばないで!」

 月香が鋭く叫び、強引に掴みかかって来る。狙うのは、いつも螢月が櫛をしまっている帯のところだ。


 いや、と叫んで螢月は身を捩るが、僅かでも背が高い月香に上から来られ、耐えきれずによろける。

 掴み合い、揉み合い、髪を掴んだり引っ掻いたり――幼い頃だってしたことのなかったような取っ組み合いになり、腰や膝をあちこちの調理台や棚にぶつける。

「いい加減にしてよ!」

 我慢しきれずに月香の頬を叩いた瞬間、襟を掴まれていた手が緩み、その反動で螢月は後ろへ倒れ込んだ。


「ゎあああああああああっ!!」


 大きな音と共に螢月の悲鳴が上がる。

 彼女が倒れ込んだのは、先程蒸籠を乗せて使っていた鍋の上だった。


 背中に煮え滾った湯を被った螢月は、熱さと痛みに泣き叫び、床の上に転がる。

 ぶつかった拍子に引っ繰り返った鍋は燃えていた竈の上に水をぶちまけ、火が消えた為に激しい煙と蒸気が噴き上がり、それと共に灰が舞い、一気に視界を閉ざす。月香は慌てて長い袖を顔の前に翳してそれを避け、顔を背ける。

 螢月は熱湯の滲みたふくを脱ごうと必死に暴れながら、さっき使った水瓶の位置を素早く確かめる。そんなに離れていない場所にあったことを確認し、そちらへ向かって這い出した。


 その姉の背中に、月香の目は釘づけになる。

 真っ赤になった背中の上の方に、葉の形の模様が浮かび上がっている。

(葉っぱのおまじない――神柳の加護)

 あれは駄目だ。あれが螢月にあることが知られてはいけない。

 あの刺青は、さい家の――国王一族の者が行う慣習だ。それを知っている者が見たら、意味を考えてしまうことだろう。だから知られてはいけない。


 月香は傍に落ちていた手巾てぬぐいを拾ってまだ十分に熱い鍋を掴み、それを螢月の背中に向かって振り上げた。



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