第47話 厨処



 食卓を片付けるので、邪魔にならないようにと窓際の卓のところに腰を落ち着けていると、コツンと小さな音がした。

 それが二度三度と続くので、これはもしかすると誰かに呼ばれているのかと思い、振り返って辺りを見回してみると、少し離れたところに月香げっかの姿があった。

「月……!」

 思わず大声を出しそうになると、さっと唇に指を立てられ、静かにするようにと合図が送られる。螢月けいげつは言われた通りに口を噤んだ。

 それを確認した月香は、するするっと静かに寄って来て、被き布を僅かに上げて顔をしっかりと見せてくる。

「……やっぱり月香だったのね」

「そうよ、姉さん」

 安堵と呆れから零すと、月香は見慣れた愛らしい笑みを浮かべる。

「なんで昨日は無視したのよ? 今までずっとここにいたの? すごく心配したんだからね」

 声を落として矢継ぎ早に尋ねると、月香は困ったように苦笑し、ちらりと部屋の中を覗き込む。女官達は片づけ物やなにがしかの準備で忙しそうだ。

「姉さん。ちゃんと説明するから、ちょっと出て来ない?」

 そう言われ、螢月もまわりを見回す。朝はいつもみんな忙しそうだ。

 わかった、と頷き、そのまま窓枠を乗り越えた。


「あまり聞かれたくない話だから、ちょっと人気のないところに行こう」

 そう言って月香は歩き出す。

 別に聞かれても構わないじゃないか、と思いはしたが、月香には月香の都合があるのだろう。黙ってついて行くことにする。

 月香は今日も綺麗な襦裙きものを着ていた。同じ桃色だというのに、螢月の大切にしていた晴れ着よりもずっと美しくて、可愛い月香を更に魅力的にしている。

(公主様って呼ばれてたしね)

 螢月はつい昨日のことを思い出す。見るからに高価そうな襦裙を着て、たくさんの綺麗な女官達に囲まれた月香は、何故か公主様と呼ばれていた。

 公主様というのは、国王の娘に与えられる尊称だということくらいは、田舎者の螢月だって知っている。

 現王に娘はいなかった筈だが、生まれる前に生き別れていた娘が少し前に見つかったのだ、と祇娘が教えてくれた。身籠った母親ごと行方が知れなくなっていた娘というのが、月香――萌梅ほうばい公主なのだと。

 でも月香は、確かに両親の子供の筈だ。杷蘇はそ村に暮らすはく守月しゅげつ月蘭げつらんの子供で、螢月の可愛い妹だ。


 変なの、と思いながら気づくと、月香は熱気の立つ建物の戸口に立ち、中の人達に声をかけていた。

「これは公主様!」

 月香が声をかけたことで、責任者らしい中年の女性が慌ててすっとんで来た。

「なにかお料理に不備でもございましたでしょうか?」

「いいえ、大丈夫。いつも美味しい食事をありがとう」

 その会話で、この熱気の立ち昇る建物が料理をするところだと気づく。広く大きなその建物に驚くが、女官だけでもかなりの大人数がいる後宮の厨房なのだから、これくらい大きくて当たり前なのだろう。


 月香は中の女性といくつか言葉を交わしたあと、料理人達にしばらくの間出て行くように告げた。

 彼女達は戸惑っているようだったが、丁度朝餉の片づけも終えかけていたところだったらしく、困惑を残しながらも「半刻一時間ほど休憩を頂戴致します」と言って出て行った。

「これでいいわ」

 月香は振り返り、螢月を招き入れる。

「あの人達のお仕事の邪魔をしては駄目じゃない」

 螢月は呆れて呟き、溜め息を零す。

「いいのよ。休めて都合がよかったでしょ」

 一日働きづめはよくないわよ、と笑いながら、奥へと入って行く。仕方なく螢月もそのあとに続いた。

「姉さんは料理が好きだから、煮炊き場は落ち着くでしょ?」

「まあ、そう、ね……」

 頷きながらいくつも並んだ竈を見回し、その上にぐらぐらと煮立った鍋がかかるのを見て、ほんのりと口許が緩む。確かにこの食材や香辛料の匂いに満たされた空間は好きだ。

 この十日ばかりの間、まったく料理など出来ないでいたので、心の端で感じていた不満が少し解消されていくのを感じる。


 螢月が満足そうな表情になるのを見て、月香は戸棚を漁って餅粉を探し出す。

「私の話を聞きながらでいいから、また蒸し餅作ってよ」

「えぇ?」

「だって、ここって蒸し餅なんて出て来ないのよ? あんなに美味しいのに、誰も作らないみたい。だから姉さんが作ったの食べたいわ」

 材料なら揃っているから、と餅粉を押しつける。渡された螢月は困惑したが、月香に可愛らしく「お願い」と言われて断れたことがないのだ。

「でも、ここ勝手に使っていいの?」

「気にしなくていいわよ。怒る人なんていないんだし」

 あれだけ大勢の人が働いているのだから、ちょっと他の人が出入りしたって構うものか、と月香は笑う。食材だって溢れ返るようにあるではないか。

 そんなことを言われたので、溜め息を零して苦笑し、仕方なく頷いた。月香は手を打って喜ぶ。

よもぎはね、たぶん生薬の保管庫にあると思うの。ここの隣が薬湯を作ってくれるところだから、ちょっと分けてもらって来るね!」

 そう言ってさっといなくなってしまうので、螢月は呆れて溜め息を零した。別人みたいに綺麗に着飾っていても、こういうところはまったく変わらない。


 適当に道具を探し出していると、月香が戻って来る。もらって来た、と差し出された蓬は上等なものだと一目でわかり、やはり王宮ともなると、こういうものも最高級のものを仕入れているのだな、と納得する。きっと螢月達のように、山野で摘んだり、畑でちょっと育てたようなものではなく、専門の知識を持った人が専用の畑で育てているのだろう。

「ぬるめのお湯で戻して」

 頼むと月香は嬉々として鍋から湯を汲んで来て用意してくれる。元々料理を作るのが嫌いな子だが、こういうちょっとした手伝いならよくしてくれるのだ。

 この餅粉も上等なものだな、と思いながら適量を用意していると、月香が水を吸っていく蓬を楽しそうに眺めている姿が目に入った。やっぱりどう見ても、螢月のよく知る可愛い妹だ。


「月香。事情を話してくれるんでしょ?」

 蓬を刻んで混ぜ込みながら、なかなか話し出さない月香に話を振った。

 蒸籠せいろを用意していた月香は少し唇を尖らせるが、そういう理由で呼び出したのは確かなので、肩を竦めて「わかったわ」と素直に頷く。

「このふた月ぐらい、ずっとここにいたの?」

 準備の出来た蒸籠に餅の生地を詰めて蓋をして、まずは一番初めの疑問を投げかける。

「そうよ。ずっとここで暮らしてたの」

「どうして……」

 さも当然のように頷く月香に、螢月は困惑した。あまりにも当たり前のことのように答えられるので、先の言葉に詰まる。


 月香は台の上に肘をついて顎を乗せ、無邪気な笑顔で口を開いた。

「だって私の本当の親が、国王様だったのだもの」


 鈴の鳴るような愛らしい声で告げられたその答えに、螢月は今度こそ言葉を失った。



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