第34話 求婚



 螢月けいげつはやって来る鴛翔えんしょうを驚きを隠さないままに眺め、その視線を受ける彼は柔らかな笑みを浮かべていたが、立ち昇る荼毘だびの煙を見つめると、静かに表情を改めた。

「二度と来るなと言ったが」

 これはいったい誰なのだろう、と村人達の視線が集まる中、守月しゅげつが押し殺した声で吐き捨てる。

「お約束出来かねると申し上げたでしょう」

 平静と受け止めて応じると、ギロリと睨み返される。鴛翔は静かに頭を下げた。

「此度のことにお悔やみを。御坊の読経が終えてから話をさせて頂きたい」

 そう言って、参列する村人達の後方へと身を退いた。


 人々は小声で囁き合いながら、鴛翔達一行にチラチラと視線を投げかける。こういう人里離れた小さな村落では、見慣れない人間は好奇と奇異の目に晒されるのが常だ。

 螢月は落ち着かない心地を抱きながらも僧侶の方へ向き直り、母の為に唱えられている経に耳を傾ける。大切な送りの場で他処事に気を取られるだなんて、亡くなった母に悪いことをしてしまった。


 しばらくして読経が終わり、僧侶は螢月達遺族に対して僅かな説法を説いてから帰って行った。あとは荼毘の火が尽きるまで番をして、遺骨を集めて埋葬するだけだ。

 大半の村人達はこの時点で家に戻って行ったので、彼等に礼を言って見送ったあと、螢月は改めて鴛翔達に向き直る。

 もう傍に行っても大丈夫そうだ、と判断した鴛翔も、螢月と守月の許へとやって来る。すれ違い様にちらちらと視線を向けてくる村人達に、愛想よく会釈を向けながら。


「久しぶりだ、螢月殿」

「はい。あの……」

 頷きながら、後方に控える男達へと目を向ける。視線が合った男達が揃って会釈してくれるので、こちらも会釈を返した。

「ああ、彼等は……先だって襲われた故に、護衛をつけられたのだ。見苦しくてすまぬ」

「いいえ、そんなことは……」

 首を振りながら、改めて鴛翔を見上げる。怪我はもうすっかりよくなったようで、姿勢もまっすぐに伸びていた。


「なにをしに来た」

 そんな二人のやり取りを黙って見ていた守月が、先程と同じように凄むように低くした声で尋ねる。父さん、と螢月が窘めるように呼ぶが、鴛翔がそれを制した。

「まずは、此度のことに哀悼の意を示させて頂きたい。心よりお悔やみを申し上げる」

「誰から聞いた」

 深々と下げられた頭に向かい、守月は双眸を眇める。

「先程、村で子等に」

 住居がわからなかったので遊んでいた子供達に尋ねたら、今は葬式の最中だ、と教えてくれて、村外れの送りの場まで案内してくれたのだ。亡くなったのが螢月の母であることも教えてくれたという。


 そうでしたか、と頷きながら、また涙が溢れそうになる。

 一晩経ち、もう荼毘にもしてしまっているというのに、心では母の死をまだ受け止めきれていない。まだ信じられない気持ちでいる。


 守月はそんな娘の様子を横目に見つめつつも、向き合う鴛翔へと注意を向けていた。

 弔辞を述べる様子に含みはなく、本心から見も知らぬ月蘭げつらんの死を悼んでくれているようだということは窺い知れた。それだけは好感が持てる。

 しかし、再訪のことに関しては別だ。

 二度と来るな、と確かに言った筈だったというのに、気にせずに飄々と現れた。なにを企んでいるというのか。


 睨みつけながら、もう一度「なにをしに来た」と尋ねた。

 鴛翔は静かに顔を上げ、僅かに下の位置にある守月の瞳を真正面から見つめる。

「今日は、かなり日が悪かったとは感じるのだが……」

 僅かに言い淀みながら呟き、ふう、とひとつ息をついた。


「螢月殿に、婚姻を申し込みに参った」


 大きく息を吸い込んだあとにはっきりとした声で告げられた言葉に、螢月が驚いて息を飲むのと、守月が包帯に包まれた手で鴛翔の胸倉を掴み上げるのが同時だった。

「下がれ!」

 間髪入れずに護衛という男達の持った剣先が守月の首許を捉え、鴛翔が鋭い声でそれを制する。男達は「しかし!」と反論しかけるが、それをもう一度制されて、渋々と太刀を鞘に納めた。


 そんな状況に遭って螢月は悲鳴を上げて倒れ込みそうになったが、当の守月はまったく動じず、掴み上げる手に更に力を入れる。

「血迷ったか」

 低い声で問えば、いいえ、と首を振られる。

「わたしは、螢月殿に惹かれました。伴侶に迎えたいと思うくらいに」

 言いながら手首を掴む。けれど、それを引き離しはしない。掴んだまま再びしっかりと守月の目を見据える。

「螢月殿と、夫婦めおとになりたいと思ったのです」


 掴まれた手首を睨んだ守月は、その手を振り払い、驚いた表情のまま固まっている螢月に目を向けた。螢月は言葉もなく鴛翔を見つめている。

「螢月」

 意識をこちらへ戻させるように呼ぶと、双眸を見開いたまま、ぎこちなく視線を返してくる。

「お前はどうしたい?」

「え……?」

「嫁に行くのはお前だ。お前がどうするのか決めろ」

 何処か突き放したようなその問いかけに首を傾げたのは、鴛翔だった。


 守月に嫌われているような自覚はあった。きっと反対されるだろうし、もちろん許諾などされないだろうし、二、三発は殴られることを覚悟して訪ねて来たのだが、そうでもないような口振りだ。螢月が頷いてくれれば、それ以上の問題はなさそうな雰囲気ではないか。

 これはどうしたことだろう、と戸惑い、護衛の内にいる潤啓じゅんけいに視線を投げかける。応じる彼も守月の言葉の真意は推測も出来ないらしく、軽く首を振られた。


 問われた螢月はというと、まだ動揺が抜けいないのか、視線をあちこちに彷徨わせながら、困惑の限りを尽くした表情をしている。

「螢月」

 おろおろとしている娘にもう一度声をかけると、螢月は泣き出しそうな声で「わからない」と答えた。


「いきなり、そんな……わからないわよ。どうすればいいの、父さん……」

 動揺と困惑と不安に揺れる声で尋ね、縋りつくように守月の腕を掴む。鳥肌が立つくらいに冷えた指先だった。


 守月は静かにその手を上から握り締める。手を温めて落ち着かせてやるように。

「お前はこの男をどう思っている?」

「どう?」

「好いているか?」

 その問いかけが思考の奥に届いたあと、螢月はじわじわと頬が熱くなっていくのを感じた。


「わ、わからない……」

 躊躇いがちに零された答えに、鴛翔は僅かに落胆する。


「好きとか、そういうのは、本当によくわからないの。でも……いい人、だとは、思う」

 思い返してみても、今までの十八年の人生の中で、誰かを特別に好きだと思ったことはないと思う。

 同年代の少女達と同じように、村長の息子である青甄せいしんを素敵だと思ってはいたし、そういう話題になれば否定せずに同意していたが、それが伴侶にしたいという明確な感情であったかと言えば否だ。

 そんな青甄よりも――


「鴛翔さんは、一緒にいると楽しいと思えた。それが好きってことなら……その、好きなのかも知れない、です……」

 淡く頬を染めながら答えると、守月は小さく溜め息を零し、鴛翔は口許を緩めた。

「共にいることを楽しいと思ってくれたのなら、今はそれで十分だ。螢月殿」

 呼ばれ、はい、と僅かに声を裏返しながら見上げると、鴛翔は螢月の手を掴んできた。驚いて手を引きそうになるが、その掌の上に翡翠の指環ゆびわを載せられる。


「求婚をするときは、男は女性に装飾品を贈る慣習があると聞いた。だから、これを、どうか受け取ってはもらえぬだろうか?」

 螢月は困惑しながら掌に載せられた指環を見下ろす。

「でも」

「受け取ったからといって、必ずわたしの妻になってくれとは言わぬ。幾日でもかけてわたしという男を知って、それからどうしたいか、改めて気持ちを決めて欲しい」

 それでは駄目だろうか、と問いかけられ、螢月は困ってしまって父を仰ぎ見る。

「決めるのはお前だ」

 しかし父の言葉は素っ気ない。


 火照りの引かない頬を恥じらいながら、鴛翔を見つめ返す。彼の目つきは真剣そのもので、これが決して悪戯などではないということが感じられた。

 きっと、いますぐ断っても怒らないだろうし、彼が言う通りにしばらくしてから断っても怒らないだろう。それくらいに、鴛翔からは強引さや、無理矢理言うことを聞かせようという不快さは感じられなかった。



「――…なんだよ、それ」


 鴛翔からの誘いに頷こうとしたとき、遠巻きに居残っていた村人の中から声が届いた。



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