第33話 葬送
燃え盛っていた火がすっかり消える頃、ようやく
その頃には
焼けた梁に押し潰されたことが直接の原因で、その傷は手の施しようがなかっただろう、と言う。煙や火の粉を吸い込んでいたことも要因となっていて、どちらにしても助かりようはなかった、ということだった。
医生は掌と背中に大きな火傷を負った
「取り敢えず、月蘭さんを広場に安置しよう」
こんな焼け跡の傍に寝かせておくよりはいいだろう、と村長は言う。
その言葉に皆が同意し、両の掌を火傷している守月に代わり、他の男衆が戸板に乗せて祭りの篝火が照らす広場へと運んでくれた。
「今夜はここで守り番をして、明日、葬儀を挙げてはどうだね?」
突然襲いかかった事態に思考がついていけず、茫然とした様子で佇んでいる螢月に、村長は尋ねる。涙をぼろぼろと零しながらきょとんとして見つめ返してくる様子に、ああ、と小さく溜め息を零すと、手を借りながら歩いて来た守月に向き直る。
「守月さん。葬儀は明日でどうだね?」
呼びかけられた守月は、僅かに顔を顰める。
「あまりにも突然のことだったし、受け入れられないのはわかるよ。でも、この気候だろう? せっかく綺麗な様子で眠っているのに、傷ませちゃあ可哀想だろう」
村長からの至極尤もな提案だったが、守月はすぐには答えられずに口を噤み、篝火に照らされる月蘭の亡骸を見遣った。
確かに、ここ数日の暑さを考えると、すぐに遺体の腐敗は進むだろう。保っても三日というところだ。
妻の遺骸を見つめる守月の気持ちを汲み取った村長は、彼の傍らに立ち、静かに横たわる亡骸を同じように見つめた。
「――…なるべく早く、神仏の許へ送ってやろう」
優しく零される声音は気遣いに満ちていて、守月はその厚意を確かに受け止め、涙を滲ませながら頷き返した。
そんな父達のやり取りを茫然と見ていた螢月だったが、ふらりと寄って来て、包帯を巻かれた父の手を掴む。
「
涙声の訴えかけに、守月は顔を顰めた。螢月は構わずに続ける。
「いないのに、母さんのお葬式をしてしまうの? 最後のお別れもさせずに?」
それは酷いのではないか、と螢月は尋ねる。たった一人の大切な母の死に目に会えなかったどころか、きちんとした別れの対面も出来ずに埋葬してしまうなんて、いくら自ら行方を眩ませているとはいえ、さすがに月香が可哀想だ。
母はずっと月香のことを案じていた。だからこそ、きちんと葬儀に立ち会わせるべきではないか、と螢月は思った。
守月だってそんなことはわかっている。出来ればそうしてやりたい。けれど、肝心の居場所がわからないのだから、これはどうしようもない。
溜め息と共に螢月の肩を抱き寄せ、仕方のないことだ、と言い聞かせる。螢月は抗うように僅かに身を捩ったが、宥めるようにぽんぽんと背中を叩かれると、ようやく納得して頷いた。
「俺が起きているから、お前は少し眠れ」
亡骸の傍に腰を下ろしながら、守月は螢月に言い聞かせる。夏の夜は短いとはいっても、一睡もしないのは身体によくない。
「だったら父さんが眠って。私が番をしてるから」
涙を拭いながら首を振ると、いや、と守月も首を振る。
その沈鬱とした表情を覗き込もうとすると、
「二人で、お別れさせてあげた方がいいんじゃないかって、母さんが……」
手招きした春明が、言いにくそうに言う。
そんなことを言ったら、螢月だって最後の別れを過ごしたい。大好きな母との別れなのだから。
けれど――と、螢月は唇を噛み締め、友人の言葉に頷いた。
螢月なんかより、父の方が別れを惜しんでいるに決まっている。気を利かせるべきだ。
「うちで休みなよ。ね?」
項垂れる螢月を抱き締め、春明は広場から立ち去ることを促す。
「眠れないかも知れないけどさ。横になって、目を閉じるだけでも違うよ」
うん、と頷き、礼を言った。
父を残しておくのは少し心配だったが、言葉に甘えて春明の家に行き、大変だったね、と声をかけてくれる友人家族に頭を下げ、消火に尽力してくれたことなどに礼を告げる。
お互い様だよ、と言ってもらえたことに安堵し、春明の部屋で並んで横になった。
少し眠れたのかどうかもわからないうちに夜が明け、鶏の声と共に人々が動き出す気配がする。
春明の母は螢月と守月の分も食事を用意してくれたので、深く感謝して頭を下げ、広場で不寝番をしていた父の許へ持って行った。
父は昨夜最後に見たときと同じ姿勢で、母の傍らに座っていた。
「春明のお母さんがお粥くれたの」
器と匙を差し出すと、いらない、と言うように唇が動きかけたが、用意してもらったものを無碍には出来ないと思ったのか、頷いて受け取る。螢月はその横に腰を下ろし、父がきちんと食べるかどうか確認していた。
一晩経っても、母は変わらない。大きな火傷などは負わなかったお陰か、見える部分は綺麗な状態で、まるで眠っているようにも見える。
けれど、もうあの優しい声を聞くことはないのだと思うと涙が溢れ、螢月は両膝の間に額を埋めて肩を震わせた。
しばらくすると村の人々が葬儀を手伝う為に集まって来てくれて、螢月達にお悔やみの言葉を告げ、痛ましげに表情を歪める。守月はその気遣いに礼を言って頭を下げ、手伝いをしてくれることに感謝を伝えた。
野犬や狐などの肉食の獣がいることもあり、墓が荒らされることを避ける為に、この辺りの埋葬は火葬を行ってからが普通だった。
「火に巻かれて死んだのに、また火を点けるなんて……」
薪を組み上げながら涙を零す娘の様子に、守月はなんとも言えない目を向ける。
そうよね、と応じてくれたのは、
僧侶は朝一番で
螢月達は喪服の用意がなく、家財も焼けてしまったので着の身着のままで、ほんの少し居た堪れない心地だった。厳粛な葬儀の場に華やかな晴れ着姿というのも気が咎めるのだ。
「気にするな」
人々の視線を気にして俯いていると、少し苦しげな声で父が言う。振り返ると僅かな顰め面がこちらを見ていたので、火傷が痛むのかも知れない。
「その晴れ着、月蘭はとても喜んでいた。お前によく似合うと。だから、気にするな」
言葉少なでぶっきら棒な父の言葉は、たまにちょっとわかりにくい。けれど、母がこの晴れ着を着た螢月を嬉しそうに見ていたことを思い出し、静かに頷いた。
僧侶のよく通る低い声が経を読み上げ、村の男衆が
母の亡骸は、静かに炎に包まれた。
「螢月」
立ち昇る炎と煙を見つめながら涙を落としていると、父が囁きかける。
「母さんの櫛は持っているか?」
頷きながら帯を押さえる。いつもここに挟んでいる。
亡くなる直前の母も同じことを言っていた。何故そんなにもこの櫛のことを気にするのだろう、と不思議に感じたところで、母が言っていたことを思い出した。
「母さんが亡くなる前にね、なにか大事な話があるって言っていたの。父さんが帰って来たら話すって」
どんな内容の話か知っているか、と尋ねると、父は明らかに動揺を見せた。父のそんな様子を見るのは初めてのことで、螢月も驚いた。
「けいげつねえちゃーん!」
なにかよくないことだろうか、と不安を感じたとき、村の子供達の声が聞こえた。葬儀は退屈なので、小さな子供達は村の方で遊んでいたのだ。
「おきゃくさんだよー!」
「お客さーん!」
呼び声に振り返ると、楽しげに叫びながら駆けて来る子供達の後ろに、何人かの人影が見えた。
参列してくれていた村人達もついつい振り返り、僧侶の読経だけが続いている。
目を眇めて客人とやらの姿を見ようとした螢月は、あっ、と小さく声を零し、口許に手を当てた。
何故、あの人がいるのだろう――そんなことを思った螢月の驚きを遮るように、こちらに向かって来る男達の先頭を歩いていた青年が、軽く手を上げる。
「――…
確かめるように呟くと、青年が笑ったような気がした。
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