第31話 暗夜
若者達のほとんどが街の方へ降り、僅かに閑散とした
村の中程に在る広場では、夏至祭の
ぬるりと目的の場所にまで到達し、最終確認の為に物陰に集う。
首領格が覆面を僅かにずらして口許を見せ、軽く汗を拭った。
「この家だな?」
右隣にいた男に尋ねると、是、と返事がある。
「村落入り口から北側の、裏手に茅の環が掛けてある家――ここに違いありません」
暗がりの僅かな月明かりに照らされた裏口を見上げ、男達は頷き合う。閉ざされた戸の軒先に、黄色い布の巻きつけられた茅の環の飾りが下がっている。
「茅の環飾りか……」
同じく見上げて確認した首領は、小さく舌打ちを零し、苦々しげに吐き捨てた。
それがなんだというのだろう、と部下達は僅かに首を傾げる。
「お前達の世代は、もう知らんのか」
残念そうに溜め息を零すが、そこまで年は離れていない。部下達は苦笑った。
「茅の環に黄色の布を巻きつける飾りは、今は亡き
説明をしてやりながら覆面を戻した首領は、環飾りを見上げて眉を寄せる。
金輪国――嘗て、この
以来二十年近く、残党の報復襲撃に因る小競り合いが度々起こり、十年ほど前にそれもようやく収まったところだ。今はもうそういった戦は起こらないようになった。
その忌まわしい国の風習を受け継ぐ家があるなどと、と首領は舌打ちする。
つまりこの家は、金輪国に所縁ある者が居住しているのだ。それが次期国王である世太子の想い人の生家だというのならば、その娘は、金輪国の残党の血を引いていることになる。
賤民の妃嬪というだけでも問題だというのに、その上、蛮族の血筋の者だなんて冗談ではない。そんな血を王室に入れるわけにはいかないではないか。
首領はすっと手を振り、部下達に指示を出す。
頷いた部下達はすぐに行動に移り、予定されていた作業を素早く開始する。ある者は持参した干し草を家の周りに撒き、ある者はその上から油を撒いて染み込ませ、ある者は戸口に
急げ、と首領は小さく声をかけた。いくら祭りで人々が集まっているからといって、いつそれが解散し、帰宅されるかはわからないからだ。
彼等が上司から指示されたのは、世太子の想い人の生家を焼き払え、というものだった。
それはあまりにも惨くはないだろうか、と躊躇はした。しかし実際に来てみれば、家人は祭りで外出しているようであるし、死人が出るような被害はさなそうだ。
これならば、住居を失くしたここの家族が村を離れることになり、それで世太子と賤民の娘は行き違いになる程度で済む。家財を失うことになるのは可哀想ではあるが、命があればいくらでも生きて行けるだろう。
恐れ多い身分に押し上げられるより、今まで通り身の丈に合った生活で家族と暮らしている方が、その娘にもいい筈だ――首領は自分の心にそう言い聞かせて納得させながら、火打ち石を打った。
油を染み込ませた干し草は、その小さな火の粉をするりと飲み込み、僅かに吹きつける生温い風を吸い込んで大きくなり、あっという間に火柱となった。
その炎が家の壁にも燃え移ったことを確認すると、男達は再び夜陰に紛れ、風のように素早く立ち去る。
これで目的は達した。あとは村人達が気づいて火を消してくれれば、家一軒の被害で治まる予定だ。隣家から多少の距離もあるし、あまり風が強くないことも幸いして、他の家に燃え移ることもないだろう。
待たせていた馬に跨りながら、それでも、首領の胸の内には少しだけの後悔があった。
いくら小さな山奥の村で、国益にはほとんど繋がりのない程度の場所であっても、焼き払ってしまえとは、随分と乱暴な指示だった。僅かな間違いが起これば、百数十人ほどの村人達は、炎に巻かれて死んでしまうことになる。狩猟場として人気の山がひとつ燃えることになるかも知れない。
それでも、世太子の想い人という娘を始末してしまう方が、遥かに重要なことだったのだろう。貴人の考えることはわからない。
山道を駆け下りながら振り返るが、炎はまだ見えるほどには大きくはなっていないようだ。このまま大事にはならず、予定通りに事態が進んでくれることを祈りながら、馬に鞭を当てた。
僅かな寝苦しさを覚えて
やけに暑い。汗が伝う首筋を掻いて深呼吸すれば、思いがけずに咳込むことになった。
自分の咳に驚いて目を覚ますと、視界が昼のように明るい。飛び起きてみれば、そこは炎と煙に包まれていた。
火事だ、と青褪めると同時に、再び咳込んだ。
(なに? 何故?)
夕暮れ前には早めの夕飯も食べ終え、火の始末もきっちりとした筈だ。こんなことになるようなことはしていない。
混乱しながらも咳込み、とにかく家の外へ逃げなければ、という意識だけは取り戻す。
着替えている余裕などはないのでとにかく立ち上がったが、息苦しさと熱さの所為で眩暈を感じて一度
煙を吸わないように口許を押さえ、持ち出すべきものはなにか、どれくらい時間があるか、と考えようとするが、炎がまわりを取り囲んでいる様子に手足が震え、それどころではない。
震える手でなんとか抽斗から財布を引っ掴み、生活費の確保だけはする。
(とにかく、外に――)
咳込みながら見回し、とにかく出口へと、容赦なく降り注いでくる火の粉を避けながら寝室を出た。
そこはもう既に炎に包まれていた。逃げなければいけないのはわかっているのに、手足が震え上がって身動きが取れない。息も苦しい。
その頃には外から人の声が聞こえてきた。
「
「こらいかん! 水!」
聞き知った村人達の声に安堵し、月蘭は「助けて」と声を上げた。みんなはその声にすぐに反応してくれる。
「月蘭さんが中におるぞ!」
「とにかく水だ! 桶!」
「戸を打ち破る方が早くねぇか!?」
わあわあと行き交う人々の声にホッとしつつ、手足の震えを抑えて戸口へと向かう。しかし、大切なものを持ち出さねばならぬことを思い出し、慌てて寝室へと取って返した。
しまわれている戸棚はまだ燃えてはいなかった。急いで駆け寄り、大切に仕舞い込んでいた包みを引き摺り出す。
無事でよかった、と抱え直したときに、不意に違和感を覚えた。
妙に軽いのだ。
重さのあるものをしまっていたわけではないが、それにしても軽い。振れば音がするくらいに余裕がある箱に入れてあるというのに、ことりと音もしない。
外で村人達が消火の為に水をかけてくれている音を聞きながら、月蘭は慌てて包みを開いた。そんな余裕がないことはわかりきっているのだが、確かめないわけにはいかない。
「――…ない!?」
蓋を開けた瞬間、悲鳴じみた声が零れた。
大切に布で包んで隠していた箱の中は、空っぽだったのだ。
何度見てもなにもない空洞に、月蘭は青褪めた。
(何故!? このことは、誰も知らない筈……)
ここには簪と手紙が一通しまわれていた。簪は換金すればそれなりの価値になるものではあったが、手紙などはただの紙だ。習字の手本になるほどの名文が綴られていたわけでもない、ただの手紙だ。
誰に盗まれたというのだろうか。月蘭と
焦る頭で必死に考えを巡らせ、ひとつの結論に行き着く。
まさか、と咳込みながら身震いしたとき、外から声が聞こえた。
月蘭は振り返り、炎の壁に向かって声を張り上げた。
「スウォル――――ッ!!」
その声を掻き消すように、天井から大きな梁が焼き崩れてきた。
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