第30話 祭日



 夏至祭のお陰で、杷倫はりんの街はいつもよりも活気づいている。

 人通りの多さはもちろんのことだが、大道芸人が何組も芸を披露していたり、食事処の前には食べ歩きに適した串焼きなどの出店がある。

 山道を下る途中で友人達と合流した螢月けいげつは、そのまま一緒に露店を冷やかし歩いていた。


「いいなあ、螢月」

 出来立ての月餅を頬張りながら、小蘭しょうらんが言った。

「なにが?」

 同じく月餅を齧りながら螢月は首を傾げる。

「新しい晴れ着。買ってもらったんだ?」

 小蘭が示すのへ、葉花ようか春明しゅんめいも同意して頷いた。

 その言葉に螢月は喉を詰まらせて、ちょっとだけ噎せた。

「前の桃色の晴れ着も可愛かったけど、その色の方が螢月には似合ってるよ」

 咳込む螢月の背中を摩ってやりながら春明が微笑んだ。他の二人も同意する。螢月は頬を染めながら礼を言った。


 友人達は、この襦裙きものをくれたのが家族以外の男の人だということを知らない。そのことで螢月は秘密を抱えているような気分になって、悪いことをしているようなちょっとした背徳感と、それを黙っている高揚感に胸の奥を高鳴らせていた。

 性根が悪いわ、とそんな自分の心の内を叱りたくなるが、でもやはり、なんだかどきどきするのを止められない。

「やだ、螢月。真っ赤になって」

「もう少し月香げっかみたいに、当然でしょ! ってしてればいいのに」

「う、うん……へへへ」

 耳まで真っ赤になって照れ笑う様子に、三人は呆れて微笑んだ。


「本当にあんた達姉妹って似てないよね」

 小蘭が残念そうに言うと、他の二人も同意した。

「顔はまあまあ似てるんだけどさ」

「螢月はもう少し月香の図々しさを、月香は螢月の謙虚さを見習うべきよ」

「あんた達、二人を足して割ったような性格だったら丁度よかったのにね」

 そうかなあ、と螢月は首を捻る。けれど、友人達は口を揃えてお互いに同意しているので、他人から見たらそう感じるのだろう。

 確かに母からも、もう少し積極的になるべきだ、と助言を受けたことはある。母も同じように感じていたということなのか。


「そういえば、月香まだ帰らないの?」

 残りの月餅を飲み下してから、螢月は頷いた。表情が僅かに暗くなる。

 尋ねてきた葉花は「そっか」と頷き、同じように気落ちした表情を見せた。小蘭と春明も同様だった。

 賑やかしい祭りの場で沈鬱な雰囲気になってしまったことにハッとし、螢月は慌てて笑顔を浮かべる。

「そのうち帰って来ると思うの。あの子のことだから、もしかすると、素封家おかねもちの素敵な人に見初められてたりして」

 そんな冗談を明るく口にしてみると、友人達も「そうね」などと頷きながら、ぎこちなく笑みを返してくれる。ホッとした。


 月香の出奔は既に村中に知れ渡っていて、みんな表向きは案じてくれている。裏でどう言われているかは知らない。

 元々月香は猫のように気紛れなところがある娘だったので、いつかはこうなるだろう、と誰もが思っていた節はある。螢月達家族だってそうだ。それでも、実際にそれが現実になってみると、やはり心配で堪らない。

 溜め息が零れそうになるのをぐっと堪えて、螢月は友人達に笑みを向けた。せっかくの祭りなのだから暗い表情は無粋だ。


 お腹空いちゃったわね、などと言いながら串焼きも食べようと屋台を覗いていると、夕鈴ゆうりんも同じように覗き込んでいることに気づいた。

 声をかけると、驚いたような、気不味いような表情で頭を下げてくる。

「ひとり?」

「ううん。兄さんと来てるの」

 あら、と小蘭が表情を明るくする。彼女は昔から青甄せいしんに好意を寄せていた。


 屋台の主人が焼き立てを用意してくれると言うので、五人で並んで傍の欄干てすりもたれていると、夕鈴がまごまごとしながら螢月の袖を引く。

「あたし、ね……月香に、酷いこと言ってしまったの」

「なんて?」

「莫迦、二度と口利いてやんない、って」

 今にも泣き出しそうな表情でそう告げると、俯いてしまう。あらまあ、と四人は顔を見合わせた。

「そんな顔しないで、夕鈴。どうせあの子が先に酷いこと言ったのでしょう?」

 二人の喧嘩はいつもそうだ。だいたい月香が先に噛みついて言い合いになる。そして罵り合って別れるのだ。

 いつもはそれから数日で仲直りして、また一緒にいるようになるのだが、今回は月香がいなくなってしまったことでそうはならなかった。


 夕鈴は両目を潤ませながら頷いたが、唇を震わせながら「もしかして」と呟く。

「月香がいなくなっちゃったのって、あたしの所為かなって、思って……」

「そんなことないわよ」

 螢月は慌てて宥めるように夕鈴の頬を撫でてやる。その手の中で、幼さの残る顔がくしゃりと歪んだ。

「でも、でも……あたし、月香が出て行くとこ、見てたから……だから……」

 ごめんなさい、と言いながら涙をぽろぽろと零し始める。


 つまり月香は夕鈴と言い合いをして、そのまま村を出て行ったのだ。それっきり帰って来なくなってしまったので、夕鈴は自分の所為でそんなことになってしまったのではないか、とずっと心を痛めていたのだろう。心配している螢月達家族の様子を見ていて余計に恐くなってしまったに違いない。

 螢月は夕鈴を抱き締めた。

「大丈夫よ、夕鈴。あなたの所為じゃない。喧嘩なんていつものことだったじゃない? それが今回に限って、なんてことないよ。理由は違うわ」


 大丈夫、大丈夫、と囁きながら背中を撫でていると、屋台の店主がやって来る。

「ほら、夕鈴。串焼き出来たって」

「一番大きいのはどれかなぁ?」

「熱々のうちに食べよう」

 友人達も口々に明るく言い、夕鈴を泣き止ませようとする。

 こくりと頷いた夕鈴は顔を上げ、袖口で涙を拭いながら、差し出された串焼きを受け取った。鼻を啜りながらもひと齧りした様子を見て、年長者達はホッと微笑む。


 そんなことをしていると、橋向こうから青甄がやって来た。両手に飴細工や紙細工などを持っている様子から見るに、夕鈴を元気づけようとして買い込んで来たのかも知れない。

 真っ赤な顔でむしゃむしゃと串焼きを頬張っている様子に少々面食らったようだが、何処か安堵したような表情になりながら、飴細工を差し出した。

「わあ、蝶々!」

「花の方がよかったか?」

「ううん、これでいい。ありがとう、兄さん」

 そう言って夕鈴は笑みを浮かべる。

 ずっと胸の奥に痞えていたことを吐き出せたので、少し気分が晴れたのだろう。笑顔は心からのものに思えた。

 そんな妹の様子に青甄もホッとしたようで、僅かに口許を緩ませた。

 よかったね、とみんなで笑い合う。夕鈴も頷き、飴細工を夕陽に翳して見つめる。


「螢月」

 夕鈴の口許についた串焼きの脂を拭いてやっていると、青甄が声をかけてくる。

 なんだろう、と思って振り返ると、真面目な目つきで「少し話がしたい」と言われた。螢月は微妙な表情をするしかない。


 そんなやり取りを見ていた友人達は、さっと夕鈴の手を掴む。

「じゃあ、私達はちょっと見て回ってるから」

「夕鈴のことは任せておいてよ、青甄」

「花火が始まる頃に一番柳に集合ね」

 そんなことを口々に言うと、さーっと立ち去ってしまう。呼び止める隙もなかった。


 溜め息を零しながら、仕方なく青甄を振り返る。

「お話ってなんでしょうか?」

「……そんなに警戒した表情しないでくれよ」

 無意識に嫌そうな顔になってしまっていたらしい。さすがに感じが悪いだろうと思って、取り敢えず咳払いをする。

「月香のことなら……」

「いや、月香のことじゃなくて」

 言いかける先を制して、青甄は螢月の手首を掴んできた。

 いきなりなにをするのだ、と目を丸くしていると、その手に簪を握らされる。


「俺の嫁に来ないか?」

 これはなんだろう、と驚いていると、そんなことを言われる。

 雑踏のざわめきに掻き消されることなくはっきりと聞こえたその声に、螢月は言葉を失い、ただただ目を丸く見開いた。



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