第27話 策謀



杷倫はりんですって!?」

 月香げっかは思わず大きな声を上げてしまった。

 その様子に朧玉ろうぎょくは顔を顰め、明らかに不快そうな空気を見せる。

「どうしたのだ、萌梅ほうばい? 杷倫になにかあるのか?」

 鴛祈えんきも怪訝そうにするので、月香は首を振って静かに座り直した。しかしその心が落ち着くことはなかった。


(杷倫? 杷倫の山奥ですって!?)

 そんなの月香が生まれ育った杷蘇はそ村しかないではないか。

 国王夫妻の話をなんとか拾い聞きしながらも、月香は動転する気を静めることがなかなか出来ずにいた。

 世太子が想い人と出会った場所が月香の故郷だとは思わなかった。なんということだ。


 杷蘇村の年頃の娘なんて、ほんの五、六人程しかいない。そのうちの誰かだというのならば、驚くほどにお人好しで、薬草摘みの為に山歩きをしている姉である可能性があまりにも高い。

 もしも世太子の想い人が姉で、この王宮に連れて来ることに許可が下りたりしたら――


(私が偽者だって、知れてしまう……!)


 そんなことになったら、ようやく手に入れたこの暮らしを手放さなければならないではないか。

 最悪の答えが導き出されてしまい、月香は思わず身震いした。

(駄目よ、そんなの……絶対に、嫌!)

 女官達や重臣達の夫人や息女などとも顔を合わせ始め、ようやくこの足場が固まって来たところだというのに、手放すことになるなんて冗談ではない。このひと月程の間に知恵を絞って心を砕いて、なんとかここまでにして来たというのに。



「――…で、後宮は構わぬ、という結論に至りました」

 朧玉の言葉にハッとして顔を上げる。

 そうか、と鴛祈は頷いた。

「王后が受け入れると言ってくれるなら、問題はあるまいな」

(なに?)

 自分の考えごとに埋没していて聞き逃していた月香は、頷き合う二人の様子に焦る。いったいなにが決定されてしまったのだろうか。


 鴛祈は大きく息をひとつつき、よし、と呟いて卓を軽く叩いた。

「世太子には、娘を迎えに行く許可を与えよう」

 その言葉に朧玉は頷き返していたが、月香は即座に叫び声を上げていた。

「駄目よ!」

 あまりにも突然に大きく発せられたその声に、鴛祈と朧玉も、室内に控えていた女官達も驚いて固まる。


「そんなの、許されるわけがない!」

 いきり立って眉を吊り上げ、肩を怒らせて続けて叫ぶ。握り締めた拳はぶるぶると震えていた。

 その様子はあまりにも異様だった。

 普段は花のように微笑んでいる少女が、怒りというよりもまさに憤怒といった形相で、感情も顕わに喚いている。いつもの姿からは想像もつかない様子だった。


 呆気に取られた室内の中で初めに気を取り直したのは、朧玉だった。

 ひとつ息をつき、不愉快そうに眉を寄せた。

「何故だえ?」

 その問いかけに月香はギッと鋭い目を向ける。

「決まっています。貧しい寒村出身の人間を迎え入れるなんて、王家の品位を疑われるからです!」

 側妃程度ならまだいい。身分の低い女官が見初められ、寵愛を賜った前例などいくらでもあるだろう。しかし、正妃になった者はいない筈だ。

 王の正妃となれば、王と同等程度の権限を有し、貴族達のみならずすべての民の頂点に立つ身だ。時には国を代表して他国の使者と会うこともある。そんな重要な立場になる人間が、賤民であっていい筈がない。


 ふむ、と朧玉は頷いた。

「賤民の世太子妃など認めたくないという気持ちならば、おおいに理解しよう。しかしな、公主――」

 朧玉とてそういう考えがなかったわけではない。世太子帰還からのひと月近く、いろいろと考え、悩み、よりよい妥決に至れるように苦心してきた。


ではないか」


 その言葉に月香は双眸を見開き、唇を戦慄わななかせた。

「……わ、私……は、……っ」

 反論しようとする声が震える。なんと言えばいいのかわからない。


「そうだな。其方は賤民の孤児として育ったが、実際は陛下のご落胤であった。母親も貴族の娘だ。血筋的にはなんの問題もない」

 月香の動揺を見つめながら、朧玉は言葉の先を紡ぐ。

 その口振りから、月香の思考を駆け抜けた危惧が杞憂であったことを悟る。知られているのかと思ったのだ。


 内心でホッと胸を撫で下ろしつつ、月香は姿勢を正す。

「だからこそ反対申し上げるのですわ、お母様」

 朧玉は軽く眉を跳ねさせ、月香を見つめ返した。

「お父様の実子であった私でさえも、王宮での暮らしに慣れるのは大変です。こちらに来てからひと月以上が経ちましたけれど、まだ慣れたとは言えません」

「そうなのか?」

 月香の言葉に鴛祈が悲しげに表情を曇らせる。

「ごめんなさい、お父様……。お父様やお母様はもちろん、女官の方達も心を尽くしてよくしてくださっています。それでもやはり、まだ慣れたとは言い切れません」

 こちらも悲しげに答えると、鴛祈は溜め息を零しながら頷いた。


 月香は朧玉に向き直る。

「お父様の娘である私でさえそうなのです。生まれも育ちも完全に貧しいその人が、ここの暮らしに馴染めるものでしょうか?」

 切々とした調子で訴えかけ、双眸を潤ませる。

「慣れない環境に連れて来られて、本来なら受けなくてもいい苦労を重ねることになるなんて――その人があまりにも可哀想です」

 そんなことも想像出来ないのか、と言外に責めてやると、気づいた朧玉は大きく溜め息を零した。


「苦労をするだろうことなどわかっている。それでも世太子殿下はその娘を望まれておるのだし、ならば、後宮の者としてはやるべきことはひとつだ。その為に支えてやろうと私は申しておるのだ。公主ともあろう者が狭量な発言をすべきではない」

「だから、許可を出さねばいいことではないですか」

「世太子殿下が望まれておる」

「だから」

「公主」

 抗論を続ける言葉を朧玉はぴしゃりと遮る。さすがの月香も口を噤んだ。

「公主はこちらにいらしたばかりでご存知ないのだから、仕方あるまいとは思う。だからそのことを責めはせぬが、意見をするにはあまりにも浅慮。黙らっしゃい」

 あまりの言い様ではないか。月香は朧玉を睨みつける。


 険悪な雰囲気になってきた義理の母娘に向かい、鴛祈は咳払いをして注意を促す。

「萌梅よ。世太子はひどい女嫌いであってな。妃嬪などいらぬと申し続けておって、寝所に女を送り込んでも追い出す始末で、こちらも相当頭を悩ませてきたのだ。それが自ら伴侶に望む娘が現れたのならば、この機を逃せぬ。逃せば世継ぎは永遠に望めなくなってしまう――お前の気持ちもわかるが、事情をわかってくれ」

 な、と念押しされ、月香は頷くしかない。鴛祈の寵愛する『萌梅公主』は素直で愛らしく、聞き分けのよい娘なのだから。




 しかし、困ったことになったものだ。杷蘇村の人間なら月香のことを知っている者だらけだ。姉でなかったとしてもなにを言われるかわかったものではない。

「公主様。そう夫人がお越しになられていますが」

 自室に戻って来てからむっつりと黙り込み、どうするのが最善か、と考えを巡らせている月香に、美峰びほうが躊躇いがちに声をかけてくる。作法の授業の予定が入っていたのだ。


 具合がよくないなら帰ってもらうが、と提案してくれるので、そのようにしてもらおうかと思いかけるが、はたと気づいた。

 曹夫人――重臣の一人である曹大臣の奥方だ。この家には確か、世太子と釣り合いのいい年頃の娘がいた筈だ。


(曹大臣に上手く言ってやれば、なんとか出来ないかしら?)

 今の自分では故郷まで戻ることも目立ってなにも出来やしないけれど、他の者ならどうとでもなるのではなかろうか。

 大臣などという要職に就くくらいの人物なら、手足となってくれる人間の何人かは抱えているだろうし、月香よりも動きは取りやすいだろう。


「お通しして」

 月香は微笑んで答えた。


 曹大臣に繋ぎをつけてもらって、さり気なく薦めればいいのだ。

 賤民出身の世太子妃を戴くよりも、もっと相応しい令嬢がいるのではないか、と。

 世太子ご執心の娘には、金銭を少し包んで遠くに行って行方を眩ませてもらえば、世太子も仕方なく諦めるだろう、と提案してみればいいだけだ。



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