第26話 相談
世太子からの思わぬ質問に虚を突かれた
「婚姻の申し込み、ですか?」
確かめるつもりで問い返すと、そうだ、と
王室の婚姻事情など潤啓も詳しくは知らない。それこそ侍従の方が詳しいのではないだろうか。
「そうですね……殿下の場合でしたら、まずは重臣達の推挙があって」
「ああ、違う。そうではない」
なんとか手順を思い出して説明しようとしているのに、それを遮られる。
違うとはどういうことだろうか。鴛翔がなにを知りたいと思っているのかわからなくて、潤啓は瞬いた。
なにか言いにくいのか、鴛翔は少し悩むような仕種をしている。
ややして、意を決したように再び口を開いた。
「市井の――世の普通の男女は、どのようにして
真剣な眼差しで伝えられた問いに、潤啓は笑ったり呆れたりすることなく、なるほど、と納得して大きく頷いた。
「つまり殿下は、その思いを寄せる女性に、市井の男女のような求婚をなさりたいわけですね?」
「そうだ。彼女には、わたしの身分は特に明かさなかった。恐らく知らないだろうし、王族などとは思ってもいないと思う」
父親の方は知っている様子だったが、あの態度から考えるに、わざわざ教えているとは思えない。
「彼女には、わたしの身分など関係なく、わたし自身を受け入れて欲しいのだ」
身分や家柄、それに付随する権力や財力などとは無関係に、鴛翔という個人として話をしたいと思っていた。
鴛翔の気持ちを聞いた潤啓は、うん、うん、と大きく頷いた。
「わかりました。でも、僕も一応は貴族の端くれなので、多少間違っているかも知れませんが」
「構わぬ。大まかな手順がわかればよい」
「では――」
真剣な表情で身を乗り出す鴛翔の眼差しを受けながら、ひとつ咳払いを零す。
「まず、親同士の取り決めでなければ、男と女、お互いに好意を寄せ合って、所帯を持つ約束をするものだと思われます。そのときに男は女に、なにか贈り物をする場合もあるようです。街中の小物屋の前で、そんなことを友人等と話しながら簪を選んでいる男を何度か見かけたことがあります」
鴛翔は頷きながら筆を取り、手近な紙に書きつけた。
「けれど、婚姻はやはり家同士の結びつきであり、それは貴族でも平民でも変わりない筈です。なので、次はお互いの親に挨拶をするのだと思われます」
その言葉に鴛翔の手がぴたりと止まる。
「親に、挨拶?」
暗い声音で呟かれたので、はい、と怪訝に思いながらも頷いた。
「女は嫁に行く為に家を出なければなりませんし、男の家も家族が増えるのですから断らなければならないでしょう。夫婦だけで家を構えるにしても、話は通すのが筋だと思いますよ」
貴族の場合はそういうことは主人同士が話をつけるか、仲人を介して行う。それで話が纏まらなければ破談になることもある。そのあたりは平民でも同じだろう。
そう告げると、鴛翔は小さく呻いた。
「……それは、断られることもあるのだろうか?」
「もちろんあると思いますよ」
不安げに零された声を潤啓はばっさりと切り捨てる。
「大切に育てた娘を気に入らない男にやりたいと思いますか? 僕だったら嫌です。息子の側だって、気に入らない嫁が来たら嫌でしょう」
それはそうだろう。その理由が理解出来てしまうだけに、鴛翔はますます呻いた。
「なんですか? 断られそうなのですか?」
あまりにも難しい表情になったので、潤啓こそ困ったように眉を寄せた。
「螢月殿は、多少は好意を持ってくれているだろう自信はあるのだが……父親が難関だ」
「おやまあ」
苦々しく零された答えには苦笑するしかない。
鴛翔が本来の身分を明かせば、そんな心配はいらない。鴛翔がそれを望み、ひと言命じれば、逆らえる者などいないのだから。
しかし、鴛翔はそれをしたくないのだろう。ただの男として、その女性を伴侶に迎えたいし、夫として選んでもらいたいと思っているのだ。
「その対策は、これから考えればよろしいのでは? まだ陛下からも許可は頂けていないのでしょう?」
鴛翔は溜め息を零しながら頷く。
平民の、しかもかなり貧しいだろう家柄の娘を正妃に迎えるなど前代未聞だ。お陰で王はもちろんだが、国の威信や体面を気にする重臣達も渋っているし、女達の住まう後宮もざわついている。
なるべく早くに結論を出すとは言ってくれているが、まだしばらくはかかるだろう。最低でもひと月は我慢するべきか、と鴛翔は覚悟していた。
結論が出るまでの間に有力な貴族達や、後宮での決定権を持つ王后には根回しはしておこうとは考えていたのだ。それに加えて、螢月の親に上手く承諾を取りつける段取りも考えておく必要が出て来たのは少々頭が痛い。
ううん、と唸って掌で顔を覆った鴛翔に、潤啓は静かに溜め息を零した。
「そんなに手強い父親なのですか?」
「ああ、途轍もなく手強い。もしかすると、陛下から許可を頂くよりも難しいかも知れん」
「そこまで?」
「お前もあの御仁に会えばわかる」
決して恐いわけではない。だが、あのとてもただの村人とは思えない威圧感は、どう説明していいかわからない。口数が少ないことも相俟って、二人きりになる夜は息苦しかったのも、いい思い出になったと言えるほどにはまだ思えていない。
「そもそもあの御仁は、わたしを――
「王家を、ですか?」
驚いて問い返すと、鴛翔は頷いた。
「何故かは知らぬ。答えてくれそうもなかったので訊きもしなかったが、一度はっきりと言われたのだ。蔡家の人間などと関わり合いたくもない、と」
その言葉に潤啓は目を丸くして息を飲む。
支配される側の平民なら、統治者である王家に対して不満はいくらでもあるだろう。市中を歩いていれば、酒を酌み交わしながら愚痴を言い合っている男達の姿はよく見かける。
しかし、それは同じ立場の者同士で言葉にすることで憂さ晴らしをしているだけであり、王族や貴族に対して直接そんなことを言う者はいない。下手をすれば反逆罪で打ち首だ。
鴛翔の口振りからすると、その父親は鴛翔の素性を知っていて口にしているわけだ。知らずに口にしているのならまだいいが、不敬罪と断罪されても仕方がない言動だ。それでも口にせずにいられなかったほどに、その男にはいったいなにがあったというのだろうか。
話を聞いた潤啓は、なにか変なものを感じた。はっきりと『これ』と示せはしないが、その父親になにか引っ掛かりを感じるのだ。
この話は、実はあまりいいことではないのではなかろうか。けれど、今まで女性を苦手としていて、いくつも持ち上がった縁談を忌避し続けていた鴛翔が、伴侶にと望むような娘が現れたことは喜ばしいことではある。
煩悶している鴛翔を見ながら、どうにかならないものか、と潤啓も考えを巡らせた。
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