第24話 嘆願



 国王夫妻も例外ではない。揃って双眸を見開き、お互いの顔を見合わせる。


「とても心優しい娘だったのです」

 ざわめきの中、鴛翔えんしょうは静かにだがはっきりとした声音で続ける。

「見返りも求めずに見ず知らずのわたしを助け、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれました。料理上手の働き者で、家族思いで優しく、そしてなによりも、笑顔が輝くようにとても愛らしかったのです」

 とても優しかった娘のことを思い出しながら語り、鴛翔は拳を握り締める。

「その笑顔をずっと傍で見ていたいと、そう願ってしまったのです」


 真剣な表情で訴えている鴛翔の横顔を眺め、ふうん、と月香げっかは小さく吐息を漏らした。

(好きな女の人がいたってわけね)

 それではいくら月香が愛らしく微笑みかけたって、気に留めないこともあるだろう。既に他に魅力的だと思える女がいるのだから。

 この鴛翔という男に対しては他の方法で気に入られるように振る舞わねば、と思いつつ、切々と命の恩人のことを訴えかけている横顔を、とても感動したと言わんばかりの表情で見つめてやる。


 訴えを聞いていた鴛祈えんきは低く呻き、眉を寄せた。

 次代の国王である世太子には、国益になる立場の娘を娶るのが通常だ。鴛翔にも縁故を強めておきたい重臣の何人かの娘達との縁談が、幼い頃からいくつも持ち上がっている。

 それが二十を過ぎる年齢になっても未だに一人の妃嬪も持たないでいるのは、鴛翔自身が女性に対してまったく興味を抱かず、もしや男色の気があるのでは、と不穏な噂が立つくらいに潔癖だったからだ。

 ようやく女性に興味を示してくれたらしいということは喜ばしいことなのだろうが、その相手がなにも持たない身分の低い賤民の娘だとなると、話はまた変わってくる。


 鴛祈はもう一度呻き、真剣にこちらを見つめてくる鴛翔の瞳を見つめ返し、溜め息と共に隣に座る朧玉ろうぎょくへと視線を移した。

「如何する、王后?」

 弱々しいその物言いに、朧玉は軽く眉を跳ねさせた。

「如何するもなにも、賤民の王后など認められませぬな。側妃としてならばまだ許せましょうが……世太子殿下は、その娘しか娶る気はないご様子」

 朧玉の言葉に鴛翔は大きく頷く。

「はい。わたしが添うのは彼女だけだと思っています。市井の夫婦のように、夫と妻、一人ずつで」

 答えながら思い出すのは、二人きりで過ごしたあの夜のことだ。火鉢を囲んで温かな夕餉を摂り、お互いに笑い合って、とても心が温まる一夜だった。


「彼女と過ごしていると、とても心が満たされるのです。心が満たされれば、他のことに対する意欲も沸きます。わたしに課せられた使命をつつがなく全うする為にも、心が満たされて意欲的であることは、とても好いことではないかと思うのです」

 鴛翔の訴えを聞き、確かにそれも一理ある、と鴛祈は思った。

 国王という立場は想像しているよりも重責だ。心が休まる場所は必ず在った方がいい。それが物であっても人であっても、趣味であってもなんでもいいが、なにかひとつ作っておくに越したことはない。

 鴛翔にとってのその対象が、その恩人であるその娘だというのならば――


 暫時黙したあと、鴛祈は静かに口を開いた。

「相わかった。世太子の気持ちは、心に留め置いておこう」

 その答えに鴛翔は僅かに不満げな様子を見せる。すぐには許されると思ってはいなかったが、実際に保留にされると嫌な気分だ。

 そんな様子に鴛祈は苦笑した。

「そう長く待たせることはせぬよ。だが、暫し待て。事は其方個人の話で収まることではないのだから」

「然様じゃ、隆宗りゅうそう殿」

 鴛祈の言葉を継いで朧玉も諭すように頷く。

「人の命に貴賤はないと説く教えもあるが、それでも人は生まれた身分に縛られる。故に、己よりも低い身分の者に上に立たれると、反発が生まれる。まわりを見てみよ」

 言われ、鴛翔は広間の中を見回した。


「見ればわかるであろう? ここにいる重臣達の誰もが、其方の申し出に困惑を抱いておられる」

 確かにその通りだ。ほとんどの者が戸惑いの表情を浮かべ、なんとも言えない空気を漂わせている。

「こうした反発が強まれば、いずれを企む者も現れるやも知れぬ。然すれば不幸になるのはその娘ぞ」

 叱責ではなく、淡々とした言い含めるような朧玉の言葉に、鴛翔はすぐに不満顔を消した。その考えがなかったわけではないのだが、改めて人から聞かされると、それがとても重要なことだと気づかされる。


 聞き分けよく納得したらしい鴛翔の様子に、朧玉は僅かに笑みを浮かべる。

「陛下もお約束くださったが、そう長いことは待たせぬ故、心安らかにして待たれよ」

「はい、王后様。好いお返事を賜れることを祈っております」

 保留にすることを受け入れた様子を見て、鴛祈は安堵した。

「ではもう下がれ。戻ったばかりで疲れておろう」

「はい、陛下。御前失礼致します」


 頷いて退出して行く姿を見送り、月香へと視線を戻す。

「お前にも、よき婿を捜してやらねばならぬな」

「えっ!?」

 同じく鴛翔の後ろ姿を見送っていた月香は、鴛祈の言葉に驚いて振り返る。

「お前ももう十八だ。嫁ぐにしてもよき年齢ではないか。なあ、王后?」

「然様でございますね」

 話を振られた朧玉も頷く。女で十八ともなれば、子を生している者も多い年齢だ。嫁ぐのに早すぎることはない。


(冗談じゃないわ!)

 月香は叫び出しそうになるのを必死に堪えながら、腹立たしさを胸の内に押し込める。

 そもそも月香が村を逃げ出したいと強く思うようになったのは、青甄せいしんとの縁談を持ち込まれたからだ。まだ結婚などしたくはなかったし、いくら村長で少々裕福であろうとも、あんな小さな村での程度で、多寡が知れている。月香が望む暮らしなど得られそうにないと思ったのだ。

 国王が娘の為に選んでくれるのならば、月香の本来の身分からは考えもつかないほどの高貴な家柄との縁組が期待出来るだろう。

 だが、望まぬ縁談であることには変わりない。


 月香は悲しげに表情を歪め、瞳を潤ませて見せる。

「とても嬉しいお話ですけれど、お父様。萌梅ほうばいは、もう少しお父様の傍にいとうございます」

 その言葉に鴛祈は感激したように吐息を漏らす。

「ようやくお会い出来たのに、もうお嫁に行って離れ離れになってしまうなんて、早すぎます。もう少しだけ、お傍にいさせてくださいませ」

「萌梅……!」

 感極まったように声を詰まらせ、鴛祈は立ち上がって月香へと駆け寄る。

「そうだな、萌梅。ようやく会えたのだから、もう少し余の手許へいておくれ」

「お父様が望んでくださるだけ、お傍にいさせてくださいませ」

 そう言って二人は手を握り合った。


 居並ぶ重臣達は僅かにざわめいたが、鴛祈が月蘭げつらんと腹の子の行方を追っていたのは周知のことなので、こういう態度になっても仕方がなかろう、と誰もが思った。

 嘗て、愛しい姫の実家を言われない罪で焼いたことで、あまりにも暴虐に過ぎ、世太子としての資質に欠ける、と実兄を断罪した男と同じ人間とは思えないほどだが。


 朧玉も重臣達と同じ心地でいたが、彼女は見逃さなかった。

 月香がひっそりと歪な笑みを浮かべていたことを。



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