第19話 対面



「なんとしてでも見つけてください」

 月香げっかもうに懇願した。

 当初からあまりやる気が見られなかった毛だが、やはり少し面倒臭そうな顔をしながら、月香の簪を取り上げる。

じょ家の若様の依頼だし、取り敢えず手は尽くしてやるよ。これは何日か借りるな」

 その言葉に月香は顔色を変えた。

「嫌です! 大事なものだもの!」

 盗られて堪るか、と手を伸ばすと、毛はひょいっと高いところに持ち上げてしまう。

「待て待て。落ち着け。これは母親を証明するもので、父親なら知っているかも知れないものなんだろう? 絵師に頼んで描き写すんだよ」

「描き写す?」

「そうだ。こういう役所には記録係がいてな、文書に残す書記官の他に絵師もいる。証拠品なんてこの世にひとつきりなんだから、大勢で捜したりしなけりゃならないときは、そういう絵師に描き写してもらったものを持って、市中に聞き込みに回るんだよ」

 わかったか、と言われ、月香は頷いた。

 だから簪は何日か預かることになる、と言われ、渋々了承することになる。


 不満顔の月香を聴取室の外へ送り出し、やれやれ、と一息ついた毛の許に同僚が血相を変えて駆けつけて来た。

「お前、なにしてたんだよ」

「なにって、陳情の受け付けをしてただけだよ」

 完全に業務作業だ。隠れて遊んでいたわけではない。

「何時だと思ってるんだ、馬鹿! 練兵場に召集かかってただろう!」

 その言葉にハッとし、毛は慌てて書きつけと簪を懐に仕舞い込む。


 そうだ。今日は午後から王自らがお忍びで視察に来るので、固定持ち場がある者以外は練兵場に集合しておくように、と通達を受けていたのだ。

 真っ青になって練兵場に駆け込むと、国王一行は既に到着していて、免除された者達以外は全員集まって整列しているようだった。


「なにをしておった!」

 即座に上官からの叱責が飛んで来た。毛は素早く姿勢を正す。

「はい! 市民からの陳情を受けておりました!」

「言い訳はいらん!」

「はい! 申し訳ありません!」


 制裁の拳が飛んで来ることを覚悟した毛の耳に、静かな「よい」という声が飛び込んで来た。

 その声に上官はギクリとし、慌てて振り返る――国王弘宗こうそうがこちらを見つめていた。


「職務を全うしていた者を責めるな。時間に遅れたのは、その者がきちんと民の言葉に耳を傾け、丁寧に聞いてやっていたからであろう」

 王からの優しい言葉に毛は畏まった。

 上官からはいつも唯々文句を言われているのに、叙任式のときに遠目に見ただけの雲上人が、自分の仕事態度を認めてくれている。それがなんとも嬉しい。


「どんな陳情であった?」

 驚くことに、王は更に問いかけを続けた。毛は更に畏まった。

「恐れながらお答え申し上げます。若い娘が、生き別れた父親を捜しておりました」

 王は頷いた。先を促されているようにも感じたので、毛は懐から調書を取り出した。

「娘は、母の形見の簪を手掛かりに父親を捜したいと申しておりまして、そちらを預かりしております。聞き取ったことはこのように調書にまとめておりまして……」

 毛が差し出したものを王の侍従が受け取り、王へ差し出す。王はそれは手に取って、調書とはどのように書くものなのか、と頁を捲った。


 その王の表情が急に険しくなる。

 常に傍らに在る侍従だけがその微妙な変化に気づき、怪訝そうに顔を上げた。

「陛下……?」

「その簪も見せよ」

 侍従の問いかけを無視して王は毛に告げる。

 命じられた毛は一瞬戸惑った表情をしたが、すぐに簪も取り出し、侍従へと渡した。それを王が手ずから奪い取る。


「この娘をここへ連れて来い」

 呆気に取られる侍従や武官達を無視して、王は言い放つ。

 しかし、状況の飲めない周りの者達は困惑を得るばかりで、咄嗟に動くことが出来ない。顔を見合わせ、王はなにを言ったのか、と首を傾げて振り返る。

 その様に王は「早うせい!」と怒鳴りつけた。


 月香の顔がわかる者は毛だけだ。わっと走り出し、慌てて施設内を捜し回る。

 すると、丁度門から出て行こうとする後ろ姿があった。


「さっきの!」

 名前が思い出せなくて、取り敢えず叫ぶ。

「えーっと、父親捜しの娘さん!」

 その声に月香が足を止めて振り返る。慌てて走って来る毛の姿を見て、あら、と驚いたような顔をした。

「なにか伝え忘れでも?」

 息せき切って追いついて来た毛に、月香は小首を傾げる。訊かれたことにはすべて答えたし、一時預かりになっている簪を返すにしてもまだ早いだろう。

「そのことで、あんたに会いたいっていうお方が」

 大きく息を整えながら毛は答えた。

 さっきの今でとは、と怪訝そうにする月香と潤啓じゅんけいに、毛は「偶々たまたまお越しになられていて」と濁しながら答える。王の視察は内々のことなのだ。


「行っておいでよ」

 胡散臭いものを見るような目つきになっている月香に、潤啓は優しく促す。

「心当たりある人がきみの話を彼から聞いたんだろう。偶然が重なって幸運だった、と思っておおきよ」

 早く見つかればそれだけ嬉しいことではないか、と言われ、確かにその通りだ、と月香は頷いた。


 ここで待っているよ、と言ってくれた潤啓と別れ、毛に連れられて建物の奥へと行く。

 人違いだったらどうしよう、と思うが、こんなに早く見つかるような幸運などないに決まっているので、それはそれで仕方がない、と思おう。がっくりと気落ちしないようにだけ覚悟を決めておけばいい。

 毛のあとを追って来たらしい武官が、何処其処の部屋に行け、と告げ、毛は頷いた。


「この部屋だ」

 奥まった広そうな部屋に辿り着くと、毛はそう言った。

 月香が頷くのを待って戸を叩くと、すぐに中から開かれ、入室を促される。

「二、三歩行ったところで跪いて頭を下げて」

 居並ぶ武官の人数と物々しさに引け腰になった月香に、毛が後ろから囁きかけてくれる。

 そんな離れたところから頭を下げねばならないだなんて、どんな高位の人間なのだ。こちらに背中を向けて立っている男の姿を見て、何者だ、と恐ろしく思いつつも、月香は毛の助言に静かに頷いた。


 言われた通りに跪いて頭を下げると、お付きらしき男が咳払いをする。

「こちらの御方が尋ねられることに、嘘偽りなく答えよ」

「は、はい」

 緊張して声が上擦ったがなんとか頷くと、顔を上げていい、と言われた。


「この簪を、どうやって手に入れた?」

 正面の男は背を向けたまま、月香の簪を見せてきた。

「亡くなった母の物です。形見として、ずっと大事に持っていました」

「母の名は?」

月蘭げつらんと申します」

 母の名を出すと、簪を持つ男の手が僅かに震えた。


 その瞬間、月香は確信した。この男が『鴛祈えんき』なのだと――


(生きていたんだ……っ)

 月香は歓喜に打ち震える胸の内を押し隠しながら、見知らぬ人に囲まれて緊張と共に怯えた村娘としての表情を取り繕った。

「あの……お大尽様は、母をご存知なのですか?」

 程よく震える声で尋ねると、お付きらしき男が「これ!」と窘めるような口調で怒るが、背を向けている男がそれを手振りひとつでやめさせ、そこでようやく振り返った。


「娘よ、年は幾つになる?」

「十――」

 答えかけてハッとして、月香は唇を噛み締める。そうして呼吸を整えてから、

になりました」

 と答えた。姉の年齢だ。


 男は月香をじっと見つめてくる。月香は時折視線を逸らしながらも見つめ返した。

「名前は?」

 男の問いかけは静かに続く。


 来た、と思った。この問いかけを待っていたのだ。

 月香はすっと背筋を伸ばし、今度はしっかり男の目を見つめた。

「母を亡くしてからは、はく月香と呼ばれていました。けれど、本当の名前は――萌梅ほうばい

 その名を口にした瞬間、男の姿勢が僅かに揺らぐ。

 月香はもう一度口を開いた。

「萌梅と申します。あなた様は、私の父を――もしくは母、月蘭を、ご存知でしょうか?」


 ああ、と男は悲鳴のような苦しげな声を零した。そうして両手で顔を覆って、俯く。

 お付きらしき男が「陛下!」と驚いたような声を上げながら駆け寄るのを見て、月香はギョッとする。

(……陛下?)

 まさか、と内心青くなる。裕福な家の人ならいい、と思ってはいたが、陛下などという尊称で呼ばれるような人だとは想像だにしていなかった。


 月香の驚愕と困惑を他処に、男はふらりと立ち上がると、こちらにやって来た。

 震える手がゆっくりと頬に伸びてきて、宝物に接するかのように、そっと優しく触れてくる。

「ああ、萌梅……お前が余の娘。ずっと会いたかった……」



 柳国十七代国王弘宗、名をさい鴛祈えんき――それが、母が嘗て愛した男だった。




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