第18話 人捜
まずは身体を治すことが先決である、ということで、よく食べて養生するように、と言ってくれた。その言葉に有難く従うことにして、月香は食事をもりもりと頂き、しっかりと睡眠も摂らせてもらう。
翌日にはすっかりと元気を取り戻した月香は、盛大に同情している
「月香の着ていた服は洗濯してもらったんだけど、袖のところがほつれているの。繕ってもらう?」
乾いたから、と持って来てくれた着古した服を受け取り、月香は裁縫道具を借りた。
「お針子さんがやってくれるのに」
器用に繕い始めた月香の手許を覗き込みながら、虹児は溜め息を零した。この徐家には専属のお針子を二人程雇っているらしく、小さなほつれならすぐに直してくれるという。
いいのよ、と笑い、月香も慣れた手つきであっと言う間に縫ってしまう。
出来上がったものに袖を通していると、虹児は感心したように溜め息を零した。
「月香ってすごいのね」
「全然すごくないわよ。下働きの人がやってくれるあなたと違って、自分でやらないといけなかったから出来るようになっただけ」
帯を縛ってきちんと身支度を整え、髪を結おうとすると、虹児が櫛を手にした。
「髪やらせて。一度人のをやってみたかったの」
「えぇ……まあ、いいけど。変な風にしないでよね」
「任せて!」
笑顔で鼻歌を歌いながら髪を梳いている虹児の様子を見ながら、まあいいか、と月香も笑った。
髪はいつも姉が結ってくれていた。
(でも――もう、そんなことはないのよね)
恐らくもう二度と会うことがないだろう二人の姿を思い浮かべながら、月香はよく見えるように大切に置いてある簪と手紙を見つめた。
(
上手く見つかって娘として認めてもらえれば、もう二度と泥に塗れたあんな惨めな生活をしなくてもいい。美味しいお菓子を抓んで、綺麗な絹を纏って、優雅に暮らせることだろう。
もしも見つからなかったとしても、この街で働き口を探してもいい。ここは
月香があれこれと考えを巡らせているうちに、虹児の作業は終えたらしい。自信満々に鏡を渡して来るので覗き込み、思わず吹き出した。
「なによ。駄目?」
「全然駄目。あんまりにも酷すぎる」
そう言って、なんの躊躇いもなく結い紐を解いた。ああ、と虹児が恨めしげな声を上げるが、無視して梳き直す。
髪はいつも
そんなことをしていると、潤啓がやって来た。だが、喪服を着込んでいる。
「うちね、今、喪中なんだよ」
どうしたことかと思ったら、そんなことを教えてくれる。半月ほど前に当主であった祖父が亡くなり、今は服喪で家に籠もっている期間なのだという。
行き倒れた月香を拾ったのは、南の療養先に戻る母を見送った帰りのことだったらしい。
「送りの七日が過ぎたから、家の中でまで暗くしていることはないかと思ってね。でも、出かけるにはさすがに喪服を着なくちゃ」
ちょっと嫌そうに両袖をひらひらと振って見せる。
「それじゃ、月香。手掛かりになる簪と手紙を持って、行こうか」
「何処に?」
驚いて尋ね返すと、さらりと「捕吏庁」と答えられた。
「なんでそんなところに!?」
月香はギョッとして思わず大きな声を出してしまう。すぐにそれが不審な行動だったと気づき、驚いただけだ、と詫びを伝えた。
「捕吏庁は市井の犯罪の取り締まりだけじゃなく、人捜しもしてくれる部署があるんだよ。そこに頼みに行こうと思ってね」
「そう、なんですね……」
「戸簿部省に行けばすぐにわかるかも知れないけど、さっき言った通り、喪中で登城が禁止されてるんだ。ごめんね」
ひと月の服喪期間は物忌みということで、神廟も構える宮中に穢れを持ち込まないようにということになっており、余程の緊急事態でなければ出仕も控えるようになっているという。
そういうわけで、すぐに力にはなれそうにもないから、取り敢えず捕吏庁に付き添ってくれるということだった。
月香は素直に感謝して、出かける用意を整えた。
捕吏庁までの道すがら、潤啓の役職の話を聞いた。
細面の優男で、口調や態度もおっとりとした雰囲気だというのに、文官ではなく武官なのだという。しかも衛士府の中でも花形の近侍部という世太子付きの武官だとか。
「家柄で選ばれただけでしょうよ」
意外に思っているとそんなことを笑いながら口にする。
「世太子殿下と年齢が近くて、武官としての腕はまあまあで、家柄もよかったらだいたい選ばれる部隊だよ。そんなに胸を張れるような立場ではないね」
「では、お人柄で選ばれたのでは?」
苦笑する潤啓に月香は尋ねる。
「潤啓様は大変お優しい方だと見受けられますので、そこを見込まれたのでは?」
「嬉しいことを言ってくれる」
そう言って軽やかに笑う。月香は僅かに頬を染めた。
潤啓は己をそのように評価していたが、捕吏庁に着いて名前を言えば、門番をしているような下級武官でも素早く姿勢を正して中に通してくれる。役職ではなく名前でこうなのだから、花形部署に配属されているのはやはり実力なのだろう。
お陰で月香もなかなかに丁寧な扱いを受けられた。潤啓が席を外したら途端に少々威圧的になりはしたが、取り敢えず話は最後まで聞いてくれた。
「――…名前だけだとねぇ……」
担当してくれた
「難しいですか?」
「そりゃあね。年齢もわからん、苗字もわからん、住んでいる場所もわからん。しかも十年以上前のことで、生死もわからんとなれば……まあ、相当難しいね」
住んでいた場所か家名がわかれば、戸籍から辿れたかも知れない、と毛は言った。
月香は頷きながら溜め息を零す。一応は予想していたこととはいえ、はっきり「難しい」と言われてしまうと、少々落ち込む。
「――…で、お母さんの名前はなんだっけ?」
「
「名家……董家……」
呟きながら書きつけていく。その毛の手許を月香はそっと覗き込んだ。
「董一族も、まあ有名な家だからね。そっちから当たる方が速いかも知れないね」
「よろしくお願い致します」
頭を下げる月香に頷きながら、ああ、と陳は思い出したように手を打つ。
「そういや二十年くらい前に、焼き打ちに遭ったのも董家だったな」
「やっ、焼き打ち?」
不穏な言葉に月香は震え上がる。うん、と毛は続けた。
「世太子殿下のお怒りを買ったとかで、当主は首を切られて、屋敷は焼かれたんだよ。俺がまだガキの時分さ」
綺麗なお嬢様がいることで有名な家だった、と毛は懐かしむように呟いた。
まさか、と月香は思う。
周囲が口を揃えて褒めそやす月香の美貌は母譲りだ。今はだいぶ疲れて老け込んだ顔をしているが、母が月香の年頃だったら、それこそ名が通るような存在だったに違いない。
その焼き打ちに遭った家が母の生家だとすると、祖父母はとうに亡いということだ。
これは意地でも鴛祈かその親族を捜さねばならないぞ、と月香は思った。
そうでもなければすべての計画は水の泡だ。月香は生きていく為に、職を求めて働かなければならなくなる。
そんなのは嫌、と唇を噛み締めた。
働くならばこの華やかな王都がいい、と思いもしていたが、やはり嫌だ。使用人を指先ひとつで動かし、月香はただ微笑みながら優雅に暮らしたいのだから。
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