第5話 家族



 家に戻ると、何故か野菜が積んであった。

そんさんの息子さんが持って来てくれたのよ」

 少し体調が回復したらしく、煮炊き場に立っていた母が笑顔で答えた。

 その答えに途端に月香げっかは嫌そうな顔になる。孫家は青甄せいしんの実家だ。

「あとでお礼に行って来てね、月香」

「嫌よ!」

 母の言葉を即答で拒絶すると、そのまま奥の部屋に走って行ってしまう。


「……困った子」

 母は溜め息を零し、悲しげな声で呟いた。

 言わんとしていることはわかる。青甄との縁談は、余所者だった我が家にとっては最上の縁談だ。孫家はこの辺りでは一番の裕福で、青甄は性格もよくて容姿もそこまで悪くはないのだし、嫌がる理由はない。

 娘の幸せを願う母としては、是非にも受けて欲しいと思っているに決まっている。螢月けいげつにもその気持ちはよくわかった。

 けれど、月香の気持ちもわかる螢月はなんとも言えずに苦笑し、残り少なくなっていた餅粉を取り出す。

「蒸し餅?」

「うん。月香に約束したから……駄目?」

「いいわよ」

 母は笑い、器を取り出した。


「父さんは今日から泊まり込みだって」

「聞いているわ。お夕飯はどうするって?」

「あとで持って行くから」

「そう。頼んだわね」

 頷きながら、母は螢月の摘んで来た山菜の下処理を始める。

「いい匂い」

 螢月が蓬を茹で始めると、家の中は蓬の香りでいっぱいになる。それを嗅いだ母は嬉しそうな声を漏らした。螢月も頷く。

 蓬の匂いはいい。春を感じる。


 春は好きだ。この山深い小さな村は、雪に閉ざされるほどに豪雪地ではないが、やはり寒々としていて物悲しい。それを春の暖かな陽射しがゆっくりと溶かしていってくれる。

 春になると父は炭を焼く。冬の間に消費された分を補充する為によく売れるし、もうひとつの生業である薬草摘みも捗る。春は螢月達家族にとって、大事な稼ぎ時なのだ。


「母さん」

 茹で上がった蓬を刻みながら、螢月はぽつりと呼びかける。

「月香のこと、もう少し待ってあげてね」

 その言葉に母は少し驚いたような顔になる。

「どうしたのよ、突然」

 可笑しそうに笑い、蓬を刻む手許に目を落としている螢月の顔を覗き込んだ。

「青甄さんとの縁談がすごくいいものだっていうのは、月香もわかってると思うの。でも、あの子はまだ十五になったばかりだし、まだまだ子供っていうか……」

 なんとなく上手く説明出来なくて言葉が尻すぼみになると、母はもう一度笑った。

「わかっているわよ、そんなこと。だから薦めはするけど、無理強いはしていないでしょう。それに――」

 と言葉を切り、母は一瞬奥を見やったあと、声を小さくした。

「あの子、まったく煮炊きが出来ないじゃない。お嫁になんかまだ行かせられるわけないわよ。母さんが笑われちゃう」

 確かにそうだ。月香は昔から料理が好きではなくて、十五になった今でも、皮剥きはおろか、根菜を均一に刻むことさえ出来ない。

 はっ、と螢月は小さく声を漏らす。

「確かにそうだけど」

 やらせないで放っていたのは母も螢月も同じなのだから、月香の料理下手は二人の責任でもある。それを笑ってはいけないとわかりつつも、つい口許が歪んでしまう。


 んふ、と堪えきれなくなった笑いを漏らしながら、螢月は月香のいいところを探す。

「お裁縫は上手よ」

「そうね」

「お洗濯も」

「洗い物とお掃除は好きね、あの子。綺麗好きだわ」

「私は苦手」

「そうね。お縫い物はもう少し練習が必要ね」

 そんなことを言っていると、奥の部屋からガタゴトと音が聞こえ始める。二人は顔を見合わせた。

「また掃除を始めたのね」

 母が笑うので、螢月も頷いた。

 月香はなにか気分が塞ぎ込んでいるときや、逆に腹が立っているときなど、部屋の中を片付け始める。お陰で家の中はいつも綺麗に片付いている。

 つい三日前にも、納屋の中まで引っ繰り返して片付けたばかりなのに、まだ片付けるところがあるというのだろうか。

 いずれにせよ、気が済むまでやらせておくのが吉だろう。終わる頃には蒸し餅も出来上がっている筈だ。


 餅粉を水で溶いて掻き混ぜ、硬さを確かめながら蓬を入れて更に練る。今日は奮発して、貴重な砂糖を少しだけ入れてやる。それを布に包んで蒸籠せいろへと入れた。

 いい匂いねぇ、と言いながら、母も下拵えの終えた山菜を鍋に入れ、軽く炒める。蕨の炒め物は父の好物だ。

 あとは粥を炊くだけだということで、二人は餅が蒸し上がるまで一息入れることにした。

「月香、お茶淹れるよ?」

 少し前から片付けの音が聞こえなくなっていたので声をかけてみるが、返事はなかった。

 もう一度呼んでみるが、やはり返事はない。

「寝ちゃったのかしらね」

 茶器の支度をしていた母が首を傾げる。どうかしら、とこちらも首を捻りながら、取り敢えず二人分のお茶を出した。


「あの様子じゃ、孫さんのところには行かなさそうね」

 お茶を飲み始めても出て来ない月香の様子に、母は溜め息を零す。

 うん、と頷きながら、螢月は蒸籠を見やった。

「私が行って来る。お餅持って」

 その為に残っていた餅粉を全部使って、多めに作ったのだ。

 そう、と母は頷く。

「あなたはしっかりしていて、本当に助かるわ」

「そう? 葉っぱの御守りのお陰かな」

 照れ臭く笑いながら、螢月は葉のような刺青いれずみのある首を軽く叩いた。

 幼い頃は何故このようなものがあるのか不思議だったのだが、生まれた頃はかなり虚弱だった螢月を案じて、古いまじないを施したのだという。お陰で螢月は大きな怪我も病気もせずに健康的に育った。

 そんな螢月の様子に、母は曖昧に微笑んだ。その表情がなにか含んでいるところがあるような雰囲気だったのだが、螢月はまったく気づかなかった。


 お茶を飲み終えても月香は出て来ない。

 仕方がないな、と溜め息をつきつつ、蒸し上がったばかりの餅から青甄の家に持って行く分を切り分けて包み、残りは皿に盛っておいた。


 先に食べていて、と言い残して家を出て、村落の中程に在る孫家を目指す。

 作付けの始まる前の稲田を横切って孫家に辿り着くと、庭先に青甄が丁度よく出て来たところだった。

「やあ」

 螢月の姿に気づいた青甄は、持っていた籠を下ろして笑みを向けてくれる。

「こんにちは。先程はお野菜をありがとうございました」

「ああ。この前親父さんに薬を分けてもらったから、そのお礼だよ」

 十日ほど前に青甄の妹が酷い腹痛と高熱で寝込んだときに、父が煎じた薬を譲ったのだ。それでケロリと治ったので、そのお礼だったという。

 まあ、と螢月は驚いた。お米まであって、お礼というには量が多かったからだ。

「気にしないでくれよ。うちの親も感謝してて、あれくらい持って行けって言われたんだ。夕鈴ゆうりんに礼に行かせようと思ったんだけど、昨日だか一昨日だかにまた喧嘩したんだって?」

「そうなんですか?」

 知らなかった。三日前の掃除はその所為か。

 ひとつ違いの月香と夕鈴は幼い頃からかなり仲がよい親友同士なのだが、たまにくだらない理由で派手な喧嘩をする。今回もそれなのだろう。

 五日ほどすればまた仲直りするのだろうから放っておいてもいいのだが、またか、と少々呆れてしまう。


 だから行くのを余計に嫌がったのね、と納得しつつ、持参した餅を見下ろす。

「蒸し餅持って来たんだけど……うちからのじゃ、夕鈴は食べてくれないでしょうか?」

「いや、それは食べるんじゃないか」

 夕鈴も蒸し餅が好きだ。遊びに来たときに作ってやると、必ず月香と取り合いになっていた。

 青甄は包みを受け取り、まだ温かい、と笑う。

「ありがとうな、螢月。俺、お前の作る飯、好きだよ」

 その言葉に螢月は一瞬頬を染めるが、優しい青甄のお世辞だと思ったので、笑って頷くだけにしておいた。



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