第二十一譚 《春》の祟り

 黄昏が迫っていた。

 山の稜線に覆いかぶさった雪雲が赤黒く燃えている。

 遊んでいた子達も家に帰ったのか、広場は静まりかえっていた。

 軒を連ねた家からは夕飯の香りが漂ってきた。どんな食卓をかこむのだろうかと想像していたが、風が吹きつけると途端に鼻が凍えそうになる。外套を鼻のあたりまで巻きつけて、セツは診療所にむかった。

 診療所に到着すると、白衣に上着をはおったヨウジュがちょうど休診の看板を戸に掛けているところだった。ヨウジュは革靴の音に気がついて、こちらを振りかえる。外套を着たよそ者の姿をみて、ヨウジュは目を細めた。


季環師きかんしか。町を発つのであらば、挨拶などはいらん」

「いえいえ、昨日は彼女が失礼なことをいって、すみませんでした」

「そんなことを言いにきたのか? 私は気にしていない」


 気が済んだだろうと言わんばかりに黙る。セツは愚鈍ぐどんなふりをして露骨な拒絶を無視する。


「実はお尋ねしたいことがありましてねぇ」

「教えられることなどない」


 にべもない。だがそこまでは予想していた。

 セツは相手が決して無視できない言葉を投げかける。


「祟られているのはハルビア・ルゥ・ノルテの家系ですか」


 鉄の表情があきらかな動揺を表す。読みに誤りはなかったようだ。


「取りあえず、入れ」


 うながされ、セツは診療所に踏み込んだ。

 薪が燃え続ける建物のなかは暑い。悪寒がしている患者の為に暖めているのか、医者が寒がりなのかはわからないが、外套を着込んでいるには暑すぎる。

 待合室ではなく、ヨウジュは病室のほうにセツを連れてきた。

 椅子はふたつ。セツは外套を脱ぎ、断りを入れてからそれを椅子に掛ける。病室に入るのは一昨日振りだ。見まわして、病室には窓がないのだとセツは気がついた。なるほど、町の人に聞かれたくない話をするには最適だ。

 互いに席についてから、セツは先ほどの続きを喋りだす。


「あなたは、僕に季節の祟りについて尋ねかけた。それは、ハルビアさんが祟られているのを知っていたから、そうですよねぇ? 短命と身体の障り。ハルビアさんの家系は季節に祟られている。先祖が《春》を殺したから。そうして真相を知らないのは当事者であるハルビアさんだけ。ここまでは、あっていますかぁ?」


「ずいぶんと、勘の鋭い若僧だ」


 ヨウジュは鼻にしわを寄せる。顔をしかめるとくちばしのような鼻のかたちが際立った。鉄のように表情を変えないという印象が強かったが、彼は案外細かな機微で表す。疎んでいるようでいて、さほど嫌がってはいない。鼻に寄る皺は苦笑だ。どちらかというと褒めている。


「ひとつ、訂正だ。町のほとんどの者は真相を知らない」

「ではあなたはなぜ、冬の真相をご存知なんですかねぇ?」

「ハルビア嬢の父親が、私の友人だった」

「耳が聞こえなかったという」

「ああ、そうだ。そうして驚くほどに短命だった」


 ヨウジュが燐寸マッチを擦り、煙草に火をつけた。青い煙が細くあがる。


「なんだね、煙草は嫌いだったか?」


 セツが凝視していたからか、ヨウジュが煙草を消そうとする。


「いや、お構いなく。僕も彼女も、煙草はだいじょうぶです。煙の香りと青さからすれば、薬草の煙草ですね。冬患いを遠ざける効果があるものだ」

「ふむ、君は、煙草を吸うのかね?」

「いいえ、師匠が吸っていたもので」


 肺に害のある煙草もあるというが、薬草を巻いたものは無害だ。香りは強いが、鼻につく匂いではない。セツが一瞬だけ、郷愁に浸る。昔は朝から晩まで煙草の煙を眺めていた。


「ハルビアの父親は物腰が穏やかで、知識をひけらかすことはしなかったが、実に頭のよい男だった。書庫にこもっては、ともに古書を読み漁っていた。私は古書の記録に従い薬を煎じ、医学を習得したが、彼は古書から得た知識を薬の効果を持つ料理に変えた」


 煙をはきながら、ヨウジュは昔を懐かしむように語った。


「私は、彼のろうをなおしてやりたいと思い、あらゆる治療を施した。だが効果はなかった。彼の父親もめくらだったと知り、私はなにかがあるのではないかと、長に問い詰めた」

「そうして祟りのことを教えられたと」

「ああ、そうだ」

「季節殺しは町の総意だったのではないかと、僕は考察しているのですが」

「他の者が関与していたのかどうかは、私の知り及ぶところではない。長からは、ハルビア嬢の曾祖父そうそふにあたる者が季節を殺めたとだけ。だが事実、現在に至るまで季節に祟られているのは彼の家系だけだ。春の祟りは彼ばかりか、その娘までも蝕んだ」


 青い靄がぶわっと拡がった。ため息が曖昧な輪郭を持って、病室に渦を巻いた。


「僕は」


 セツは暖炉の熱で渇いた唇を舐める。


「その祟りを終わらせることができます」


 ヨウジュは驚いたようだ。瞳のなかの黒い孔が膨張する。


「ですが、その為には冬を終わらせなければならない」


 畳みかけるように交渉を持ちかける。


「冬が終わることは、町からすれば不都合なことなのでしょうね。町の様子を観察していればそれはわかります。ですが、僕がなにをせずとも、永遠に続く冬などありません。断言できます。冬は、いつかは終わる。二十年後か、五十年後か。町が冬患ふゆわずらいに覆われて、滅んだ後になるかはわかりません。まちがいなく、ハルビアさんの死後にはなるでしょうが」


 ぴんと人差指を立てて、季環師きかんしは煙の膜を破る。


「けれど僕はいま、冬を終わらせることができます」


 セツは語り続けた。澱みなく、だが説得に必要なだけの重みを損なわず。ヨウジュは極端には表情を変えないが、落ち着かない視線をたどれば、動揺しているのがあきらかだ。


「あなたに考えていただきたいのです。いつ、冬を終わらせるべきか。いまか、それとも後か。後まわしにしても構いませんが、引き延ばすほどに冬患いの犠牲は膨らみ続ける。収穫量も年々減っているとか。それにあなたの可愛がっている彼女が、かならず、祟りに侵されて命を落とすことになります。どちらがもっともよい選択か」


 ヨウジュは指に煙草を挟んだままで、眉のあいだを押さえてうつむいてしまった。熟考しているのだろう。けれど遂に結論を導きだせなかったのか、凍った枝が軋むような声を洩らす。


「なぜ私に委ねるんだ」


 セツは医者から視線を逸らさず、微笑みかけた。


「あなたは信頼できると、僕が思ったからです」

「信頼だと。いつ信頼を築けるようなかかわりがあった?」


 そのとおりだとセツは笑った。助けてくれた。治療してくれた。それは、信頼の裏づけにはならない。その程度の善意で他人を信頼するようならば、旅など続けてこられなかった。


「あなたは僕を町から去るべきだと助言してくれた」

「よそ者を追いだそうとしただけだ」

「この町が複雑な事情を隠していることを知っていて、僕の身を案じてくれたんですよね」

「楽天家だな。どうしたら、そんなに肯定的に捉えられるんだ」

「だから僕は、あなたを信頼しています。あなたは誠実だ。それに物事を客観視できる」

「買いかぶられてもこまる」 


 鉄の器に押しつけられ、煙草が消える。最後に残った残り火も絶えた。


「ご親友の娘さんに掛かった春の祟りを解きたいのであれば、一度だけで構いません。僕を助けてください。かわりに僕はかならず、祟りを取りのぞきましょう」

「交換条件か。ずいぶんと小賢しいことを」

「いえ、実際には、そうではありません」


 へらりと頬を持ちあげて、セツは柔らかく笑ってみせた。 


「あなたが僕との取引を断っても、僕は冬を終わらせ、彼女を祟りの連鎖から解放するつもりでいます。なので、実のところは、取引の意味もなにも為してはいないのです。恩人を人質のように扱うことも僕は望んでいません」

「解せんな」

「そうでしょうね」


 理解されるはずがない。利害もなにもない、だが。


「僕は冬を終わらせます。けれど、そうできるかどうかは、僕にはお約束できません。こういえば、分かりますか」


 ヨウジュはすぐに予想がついたようだ。

 町に到着した時から絶えず、セツは最悪の事態を考え続けていた。不測の事態に陥った際に助けてくれる者が必要だ。それは、信頼に足る者でなければならない。冷静な判断ができる、町の者に疑われない、という意味でもそうだ。ハルビアは信頼できるが、他の条件は満たしていない。それにあの娘には、そこまでの負担はかけられなかった。


「考えておいてください」


 それだけいって、セツは椅子から立ちあがった。


 用事は終わりだ。気掛かりだったことは教えてもらい、伝えるべきことは喋った。後は相手に委ねる。執着はしないと言わんばかりにセツは外套を着なおして、クワイヤを抱きあげる。後ろから声はかけられなかった。


 夜の緞帳どんちょうが黄昏を覆い、群青に変える。家々から洩れるあかりが暖かい。


「季節の祟りか。僕は釈然としないんですよねぇ」


 セツがつぶやいた。


「わかっているわ。季節は祟らないものね」


 季節は祟らない。だが、季節を殺めることにより理の環に抵触すると、人の身がたえきれずに崩れ、死に至る。これを昔は季節の祟りと捉えた。季節を読む才能に優れたものは、これを避け、代償なく季節を殺めることもできる。


「かのじょからは、季節のにおいがするわ。けれど、季節を縛れるほどにはつよくはない。季節をさがせるほどのちからもないんだもの」


 だが彼女の家系を蝕むものは祟りといって然るべきだ。どのように理解すればよいのか。


 セツは頭のなかで情報を整理する。


 春は殺され、黄金の焔と崇められながら、いまだに町に縛られている。季節殺しの家系はあるはずもない祟りに蝕まれ、かといってあの娘が春を縛っている様子はない。セツは、季節を殺めたのは男爵の軍か、自警隊ではないかと疑っていた。あるいは双方が結託していたか。人間は季節を殺せる。だが季節はみずからの欠落が理の循環を途絶させ、地域に悪影響を及ぼすことが分かっているので、無抵抗で殺されることはない。武芸に優れていても、人間ごときが単身で殺せるものではないのだ。それにまず、季節読みの才能がなければ、季節を捜すこともできない。彼女の先祖ひとりが、季節を殺めたとは考えられない。だとすれば、他の季節殺しはどうなったのだろうか。なぜ、彼女の家系だけが、その業を負い続けているのか。


「どんな経緯で春が殺されたのか。それを暴かないかぎりは解決しませんよねぇ、やっぱり」


 ため息をついた。煙草も吸っていないのに、息は細くたなびいた。


「いまさら、師匠が言っていたことを思いだしています。人が決意をしてなにかを殺めるのは、奪う為か、護る為のどちらかだと。ですが春を殺めたのが、どちらの為であろうと、僕は」


 セツは重く、言葉を濁す。


 憂いを帯びた遠吠えが聴こえ、彼は視線をあげた。

 城の方角を睨みながら、相棒に頼む。


「クヤ。僕になにかがあったら、あの医者を訪ねてくださいねぇ」


 天候は落ち着いている。だが嵐の予感が、あった。

 季節の嵐とは異なる、微かに血の臭いがまざった、戦と鉄の暴風だ。

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