第十六譚 だから季節は《殺》される

「殺されるんです」


 セツは繰りかえす。


「季節は、人に殺されてしまう程度のものなんですよ」


 急に服のすそをひかれて、セツは視線をさげた。

 ちいさな指が上質な絹を握り締めていた。

 暖炉の側で微睡まどろんでいたはずのクワイヤがセツの膝に頭を乗せてきた。セツは微笑んで、外套をかぶった頭にてのひらを乗せる。相棒の頭をなぜてから、セツがハルビアに視線を戻す。


「意外でしたか? 季節が、殺されるだなんて」

「意外、というよりは想像もしていなくて……まだ、想像がつきません。ごめんなさい」


 ハルビアはびたが、想像がつかなくて当然だ。例えばこの木製の杯が壊れることはあっても、殺される様子は想像がつかないように、季節が生き物であると実感していないかぎりは、それが殺されることに現実感はない。


「それでは質問を替えましょうか」


 セツはみずからの相棒を膝に乗せる。


「彼女ならば、どうですか?」


 質問の意が汲めず、ハルビアは呆然と瞬きを繰りかえす。


「クワイヤ――僕の相棒は、季節です」

「え……それは」

「嘘じゃありませんよぉ」


 言いながら、彼は相棒の外套を脱がせた。


「彼女が、季節……そんな」


 ハルビアはあらためて、目の前の綺麗な少女を眺めた。


 人形のように精緻せいちなる美貌。きらりと万華鏡を模した瞳がまわる。眩暈めまいがするほどに綺麗な神秘の瞳だ。頬から顎にかけての輪郭は、幼いまるみを帯びている。だが、顎の先端は程よくとがっていた。首筋に散る銀糸ぎんし。輝きを帯びた髪だ。性徴せいちょうを表さない無垢なる胸は、壊れ物の白磁を思わせた。細い腰、しなやかな脚から続く裸足のつまさきは野生を帯びている。

 神の寵愛ちょうあいを受けたような形貌だ。


 外套を着ている時とはあきらかに違った。素顔が隠れているわけでもないのに、外套を着ていると存在感が霞む。騒いでいても、静物せいぶつのように視線を惹かない。


 なのに、外套を脱げば、急に神々しく輝きだす。


 彼女が季節であるという根拠はそれだけではなかった。他人を恐れ、にんげんを嫌うその言動。ただの綺麗な少女ではないことは明白だ。セツがハルビアの立場ならば、疑いなど持ち続けてはいられない。だがそれは、季節にかたちがあるという常識を踏まえてのことだ。


「ほんとう、なんですか? ほんとうに彼女が季節なんですか」

「誰にも言わないでくださいねぇ」


 人差し指を立てて、セツが細い目をさらに細めた。

 寒風にさらされているわけでもないのに、ハルビアはふるりと肩を震わせた。実物をみて、季節は殺されるという言葉が急激に現実味を帯びてきたに違いない。いまならば、彼女にも想像がつくはずだ。季節が殺されるその凄惨せいさんさが。


「ごめんなさい……私はなにひとつ、知らなくて」

「いえ、どうか謝らないでください。ただ、そういうものであることを覚えていてほしいだけなんです。季節は殺せる。僕の故郷が、そうだった」


 セツは睫毛を傾けた。細いひとみが、影にむしばまれる。


「僕の故郷には四季に加えてもうひとつ、他の地域にはない希有けうなる季節がありました。それを奪いあい、数多の戦が繰り広げられ、果てには季節が殺される事態となったのです。季節がなくなった僕の故郷は、ちました」


「朽ちた……」


「言葉通りですよ。大地が朽ち、樹々は腐って根こそぎ倒れ、湖はれて罅割ひびわれた。あらゆる実りがなくなり、人の暮らせる土地ではなくなった」


 感情を移さず、セツは事実だけを語っていく。

 口の端にだけは愛想笑いを残していたが、頬があきらかに強張っていた。


「僕は、故郷を失ったのです。だから僕には名乗るべき地域姓ちいきせいがない。失礼だと分かっていながら、地域姓を名乗れなかったのはそういうわけだったんです」


 ハルビアは唇の端を震わせては、また硬く塞いだ。

 掛ける言葉が見つからないようだった。彼女にとっても、故郷とは大事なものだ。それが、朽ちる。どれほどに重い絶望か。彼女は真剣に考えてくれている。悔み、なぐさめることは易くとも、それでは補えない。

 春を宿す瞳がうるむ。


「すみません」


 ふっと影を振りほどいて、セツが微笑んだ。


「泣かせてしまいましたねぇ。ちょっと喋りすぎた。すべては終わったことなんですよぉ。ぜんぶが終わっていて、僕は。だから、こまらせるつもりはなかったんです、ほんとうに」


 緩んだ語尾と律儀な本音がまざる。


「悲しんでくれて、ありがとうございます」


 セツはそういって、頭をさげた。

 ほろほろと雫を頬に零して、ハルビアは組んだ指を震わせる。


「悲しいのは貴方なのに」

「いえ」


 セツは複雑に笑った。


「ほんとうに悲しいのは僕じゃなくて」


 彼はそこから言葉を続けず、かわりに決意するように瞳を瞬かせた。


「なので、僕は季節の循環を望みます。季節が滞りなく、巡っていける環境を護りたい。それは決して、損なわれてはならない大地の理だと、僕は思うから」


 どの季節も損なわれてはならない。

 それが春であれ、冬であれ。


 雪氷を巻き込んだ風が吹きつけて、窓の木枠が騒ぐ。がたがたと壁ごと震える。風がやむのを待ち、一度会話をとめた。暖炉の側にいれば、吹雪の晩だということを思いださなくなる。季節を意識せずに暮らすこともできる。

 けれど、それは瞞着まんちゃくだ。現実から目を背け続ける愚行だ。


「城にいく道があれば、教えていただけませんか?」


 ハルビアは考え込んで、ひとつだけ案があると言った。


「ノルテの町は雪の壁にかこまれていますが、牧場や織物の工場などに通じる道の他にも、雪の隧道トンネルがあるんです。それは町の外部、猟場や漁場に繋がっています。そこを通って、みな、猟に出掛けたり薪を取りにいったりしています。城のあたりには、危険ですが、大量の獲物がとれる猟場があるとか。町のみなさんが話していました。おそらく、隧道トンネルを通れば、城まで抜けられる道があるのだと思います」


「その隧道トンネルにはどうやっていけばいいのです?」


「普段は隧道トンネルには立ち入れないと思います。おばあさま……町の長さまの許可があれば、鍵をいただけるかと。長さまに謁見するついでに頼んでみましょうか」


「お願いします。長さんにもご挨拶させていただきませんとねぇ」


「旅人さんがこられたら、喜ばれると思います」

「翌朝には晴れていたらいいですねぇ」


 また強く、窓枠が震えた。暖炉の側ならばいいが、壁際に寄れば寒風が肌を刺す。吹雪は段々と激しさを増している。朝にはどれくらいの雪が積もっているだろうかと思いながら、からっぽになった木製の杯を渡す。


 春は、遠い。

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