第十譚 《冬》が終わらずとも町は平穏に巡る

 続けて、広場のまわりにある雑貨屋に寄った。そこでは織物を取り扱っていた。綿羊蹄モップの羊毛を基として、様々な植物や家畜の毛を複雑に織り込んだ織物は柔らかくも丈夫で、この土地に暮らすのに、なくてはならないものだ。

 雑貨屋の若者に弁当をふたつ渡す。老いた母親とふたり暮らしだそうだ。

 広場を後にして、町のはずれにある牧場にも連れていってもらった。


 牧場には綿羊蹄モップが飼われていた。綿羊蹄モップは地に垂れるほどの長毛種で、雪に覆われた牧場の敷地にいると、子供のかまくらがぽこぽことならんでいるみたいだ。牧場の老人に敷地に倒れていたお詫びをいってから、広場に繋がる道を引きかえす。この他にも畑や漁場や織物の工場、鉱石の採掘場があるそうだが、さすがに町の生業の場に旅人を連れていくことは難しいと、断られてしまった。


 牧場から広場に続く道の端には雪が積みあげられ、まるで壁だ。人の身長の五倍はある。数十年の雪の層だ。降り積もり、限界まで締まったそれは、もはや白みを帯びた氷の壁だった。

 外套がいとうを巻きつけていても寒さが肌に浸みる。町から距離を取るほどに気温がさがっていた。黄金の焔の加護か。どうやら、かたちだけの護り神ではないようだ。けれどこれは、鉱物ではなく、他の。

 セツはあることを予感していたが、決めつけるにはまだ情報が集まっていない。

 いまは、他に気掛かりだったことをハルビアに尋ねる。


「街道があるとのことだったのですが」

「ええ、昔はこのあたりに、街道があったそうですよ」


 指された方角を眺めても壁が続くばかりだ。壁の上部は輪かんじきがあれば進めるだろうが、まずはあんなところまで登れない。かたまっていても雪は雪。崩れたら終わりだ。


 道なりにいけば、また広場に抜けた。帽子をかぶった屋根の群れがまるい広場を取りかこんでいる風景は、それだけでも人が暮らしているというぬくもりがあった。市場を通りすぎたところで、後ろから声をかけられる。


「ハルビア! だいじょうぶだったか?」


 振りかえれば、昨日の大柄な若者が走ってくるところだった。森までまきを取りに出掛けるところだったのか、斧を背に掛けている。セツを助けてくれた恩人のひとりだが、若者はセツをみるなり、濃い眉をつりあげる。


「なにもしてないだろうな?」

「ちょっ、いきなりすごまないでくださいよぉ」


 セツは肩を縮めて、おおげさに後ずさる。


「エンダったら……もうっ、セツさんが驚いているじゃないですか」


 ハルビアが慌てて仲裁をする。


「昨晩だってそうなんですよ。セツさんが客室にいらした時に、ちょうどエンダが訪ねてきたんです。だいじょうぶか、一晩食堂に泊まりこもうかって。もうっ、過保護すぎます、そうは思いませんか? 私はもう子供じゃないのに」


 同意をもとめられ、セツは視線を漂わせ、なにをいうべきなのかと考えあぐねる。頷いたら揉めそうだし、かといって黙るわけにもいかず、曖昧な笑い声をあげて場を凌ごうとする。


「ははは……。いやあ、ハルビアさんはお綺麗ですからぁ、そのぉ」

「てめぇっ、やっぱ、ハルビアをねらってやがったのか!」

「いやいやいや、そうじゃなくてぇ、僕は」


 なごませるつもりがまずいことを言ってしまった。褒められて恥ずかしがるハルビアと、好きなひとがよそ者に奪われるのではないかといきりたつエンダに挟まれて、セツは頭をかかえたい衝動に駆られる。


「ちょっとなによ、セツ! こんな、ただのにんげんのどこがいいのよ!」


 しかも、さらなる頭痛の種が増えた。

 地雷を踏んでしまったのか、クワイヤが頬を膨らませて、腕のなかで暴れだす。


「そうじゃないんですよぉ! ハルビアさんは、お綺麗だとは思いますよ? ただ、僕はええっと、女のひとには興味が……と言いますか、あの」


 喋るほどに収拾がつかなくなる。

 セツは焦り、クワイヤを抱き締めると、叫んだ。


「僕は、彼女を愛していますので!」


 途端に場がしんと静まりかえる。

 市場の喧騒がなければ、時が停まったのかと、錯覚するほどの沈黙だった。


「嬉しいわ! わたしも愛しているわ、セツ!」

「ちょ、首が、締まりますて」


 クワイヤだけが大喜びで外套を巻きつけた首に抱きついてきた。

 外套から垂れた銀髪がびゅんびゅんと羽搏いて、喜びを表している。動物の尾みたいだ。

 後ろではふたりがどんな顔をしていいのか分からずに、ぼうとたたずんでいる。ハルビアは事態が理解できていないのか、きょとんとしていたが、取りあえず幸せそうでよかったなあというふうに落ち着いたらしい。エンダはと言えば、がっつりと後ずさり、ぽつりと。


「おまえは変態だったのか」

「その言いかたは結構、傷つくんですけど」


 外套を巻きなおしたセツが頬をひきつらせる。


「いやだって、おまえ。そのがきはまだ七歳くらいだろ」

「まぁ、そうですねぇ……そういうことですので、僕はハルビアさんには無害ですから」


 すっかりと疲れたのか、セツは弁解を諦める。

 これで決着がついたとばかりに、歩き始めた。ハルビアがついていこうとすると、エンダはどこにいくのかと尋ねてきた。町医者のところに弁当を配達するのだと話すと、エンダは一緒にいくと言いだした。セツに断る権利はない。

 連れだって、広場を横断していく。


 町をひと通りまわって、思ったことと言えば。


「《冬》が続いているのに、ずいぶんと普通に暮らしておられるんですねぇ」


 町にたどり着くまでは、地獄のような環境を想像していた。長きに渡り、豪雪に孤絶され、滅びを待ち続けるだけの暗い町を。飢え、凍えて、貧寒たる大地に骨を埋める不幸な民を。

 冬の砦を越えてきた旅人を見れば、「助けてくれ」と町の者がすがりついてくるのではないかとさえ、想像していたのだ。

 けれど現実は、想像とはかけはなれて、はなはだ穏やかだった。


「俺らはただ、この地域で暮らしているだけだ」


 エンダが言った。それはまちがいなく町の総意だ。


 この町は豊かだ。

 冬が終わらずとも。春がこなくとも。


 それは、よいことであるはずだ。


「なにかこまっていることはないのですかぁ?」

「ない」


 即答だった。


「そうなんですねぇ」


 納得したふうに頷きながら、セツは診療所を指す。流雪溝りゅうせつこうに掛けられた橋を老人がすれ違っている。扉のすきまからは待合室にならんだ人影がみえた。


「医者が繁盛するのはあまり穏やかではありませんねぇ。ただの風邪ならばいいのですが。なにか変わったわずらいが蔓延まんえんしているのではないですかぁ?」

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