呪われ人は黄昏の中、人生最後の夢を見る

スノーマン

第1話オネエと少年

*




夜の闇が眠る早朝の街を一人の女が歩いていた。


女は艶やかな金髪を指でながしながら、ゆっくりと足を進める。


顔を上げれば路地の隅で座り込む人や、すれ違う人々は女を振り返る。


女はそんな視線を気にすることもなく肩で風を切り、雄々しく大股で歩いている。


だが、彼女はまだ気づいていない。


女である彼女の顎に、そり残したであろう点々の青髭がある事を。


実はこれこそが、すれ違う人々から見られている原因なのだが、上機嫌な女がそれに気付く事はない。


金や赤、青のネオンが輝く、煌びやかな景色を彩る色とりどりの明かりはどれも主張が強く、昼夜問わずに明かりがついている事から、この街は不夜城と呼ばれていた。


そして、日が落ちればネオンが輝く欲望と酒と疑似恋愛を楽しむ大人の街でもある。




金と権力がひしめくこの街は、道のあちらこちらで春を売る猫達がみだらな視線で客を探し、傷害事件や窃盗にあうのは日常茶飯事だ。


「…やぁね、皆アタシの事見てるわ。…美しいって罪よねぇん」


すれ違いざまに流し見された視線をどこふく風で流した女は、いつものように自分の店があるコンクリート造りの家の角を曲がった。


女はこのザ・世紀末な街で酒場を経営していた。


今日のサービスの一品は何にしようか。


女がそんな事を考えていると、ふと足元に何かが当たったような気がした。


石にしては大きく、ゴミにしては妙に弾力があるそれ。


「あらやだ、何かしら?」


女はようやく足元を見下ろすと、眉間のしわを思い切り寄せた。


女が先の細いピンヒールで踏んでいたのは、まだあどけない顔立ちの少年だった。


鮮やかな深緑に似た髪は少し汚れてしまっているものの、まだ息はあるようだ。


「…行き倒れちゃったのかしらねぇ」


別にこの街で行き倒れは珍しくなんかない。


女はそう言うと辺りを見渡した。


この街には病院などというものはない。


一応、街はずれにあるにはあるのだが、ここを拠点にしている、ならずもの達の下についている為、治療に法外な費用を請求されてしまう。


といっても、ここに法律なんてものはないのだが。


「んー…やぁねぇ…お店開けなきゃだしねぇ」


女はそう言うと、目の前にある自分の店のドアを見た。


相変わらずボロボロで蹴れば壊れてしまいそうな造りなのだが、女にとっては一代で築いた城だ。


少しの間、迷った末に女は少年の腕を掴み自分の城へと連れ込んだのだった。


静かな夜が明け、騒がしく物騒な朝がやって来る。


夜に彷徨う呪われ人が招くのは、災いである。






◇◆◇






「…ん……」


目を覚ますと、目の前には見慣れない天井があった。


ところどころ歪な木目のそれには、雨の際に漏れたのだろうシミが浮かび上がっていた。


スン、と空気を吸えば埃の臭いがした。


そのまま辺りを見渡すと、薄暗い視界の端に柔らかなレースのカーテンが揺れているのが見えた。


それを認識すると同時に、次第に頭の中も覚醒し始めた。


「ここ…どこ…?」


少年はそう呟くとゆっくりと体を起こし、自身が寝ていたベッドを見下ろした。


全体的に白のレースとピンク色のフリルがあしらわれた寝具に、真っ白のシーツ。


ふと上を見上げてみれば誰が描いたのかわからない絵の、聖杯を持った天使が微笑みかけていた。


少年はベッドから降りると、足元にキッチリと揃えられたブーツをはいた。


「…荷物はどこ…?」


持っていたはずの荷物を探そうと足を踏み出した所で、すぐそばにある白のサイドボードの上にまとめて置いてある事に気付いた。


さっと中身を確認し、何も取られていない事を知ると安堵のため息が出た。


少年は荷物を背負い、帽子を頭の上に乗せると部屋を出ようと下り階段に足をかけた。


途中、この部屋に不釣り合いな大きな剣が壁にかけられている事に気付き、躓かないように避けて進む。


と、その時、階下の様子が騒がしいことに気付いて足を止めた。


なにが起きているのだろうかと身を潜めて壁の陰から様子を伺うと、飲食店のカウンターごしに男女が言い争いをしているところだった。




「はぁ!?酒を出せねぇってなめてんのか!」


男は酷く酔っぱらっているようで、椅子を蹴り飛ばしながら木製のカウンターを勢いよく叩いた。


それに対して返って来たのは女の独特のハスキーボイスだった。


「店の迷惑も考えないで飲む馬鹿野郎に出す酒はないっていってんのよ!出て行きなさい!」


「てめぇ!女だからって…!」


女のその言葉に激高した男が手近にあった椅子を持ち上げて正面にいる女へと投げつけようとした瞬間、カウンターの中に居た女の方から勢いよく皿が投げ飛ばされ、それはきれいな曲線を描いて男の眉間へと当たって割れた。


効果音が付くとしたらそう、『スコーン!』が合うだろう。




「うっせぇんだよ!ハゲェエ!」




女はハスキーボイスを通り越してドスのきいた声でそう言うと、カウンターを飛び越えて男へと飛び蹴りを食らわせた後、完全に伸びてしまった首根っこを掴んで店の外へと放り出してしまった。


店のドアを閉める寸前、女は盛大な舌打ちをするとトドメとばかりに低い声で言い捨てた。




「失せな!○○○野郎!」




伏せ字の部分は、色々な規制の為にこのままにしておくが、上品な言葉ではないのはたしかだ。


ついでに女は「ファック!」と吐き捨てると、見るからにだるそうに荒れた店を片付け始めた。


艶やかな金髪に青いサファイアのような瞳が特徴の美貌と出る所が出ている体系は、黙っていれば男が寄って来るのも頷ける。


女は店内に散らばった料理の残骸を集める途中、ふと階段の陰に隠れていた少年に気付いて声を上げた。




「あら、あなた。気が付いたのね?」


「……」


壁の陰から姿を現した少年は何も言わずに頷いた。


女はその少年のどことなく警戒する様子に苦笑すると、散らばった残飯を箒で集めると塵取りに放り込み、カウンターの中へと戻り、何やら手元を動かしながら声をかけた。


「もう体の方は大丈夫なの?こっちにいらっしゃいよ」


そう言った女の声に苛立ちはない。


「…あ、あの…ボク……」


少年は小さな声でそう呟き、ゆっくりと壁の陰から出てカウンターに腰掛けた。


本当は早くこの店から出たかったのだが、カウンターから香るクリームの甘い匂いに誘われてしまった。


「事情は聞かないわ。この街じゃ、行き倒れなんて珍しくないんだから」


女はそう言いながら手元を動かす。


「アタシはフロンティよ。一応はこの店の店主!」


「あ…わ、いや…ボクはルビナス。ルビナス・アデル・ウィランティアです」


「あらやだ!」


ルビナスと名乗った少年の顔を見たフロンティは、驚いたように目を見開くとフフ、と笑った。


「ルビナス、こんなご時世にしっかりとした名前があるなんて、貴方はどこかのお坊ちゃまなのかしらん?」


フロンティが品定めをするかのように目を細めると、ルビナスは慌てて首を振った。


「そんな!違います…ボクはただの旅人で……」


「なんて冗談よ!アタシは、アンタの家族に謝礼や身代金をふっかけたりなんてしないわよ!」


慌てるルビナスをからかうように笑ったフロンティは、カウンターごしに一品を差し出した。


石で出来たカウンターに置かれたのは、白い皿の上に乗ったじゃがいものクリームリゾットだった。


熱々の湯気の上るリゾットを見つめていたルビナスに、フロンティは屈託のない笑顔ですすめた。


「さぁ、どうぞ!おあがりなさい。アタシ特製のリゾットはちょっとした評判なのよ?」


「あ、えっと…お、おかね……」


差し出されたスプーンを手に取ったルビナスは荷物の中から財布を出そうとしたが、探せども見当たらない。


「あらあらー」


バッグの荷物を全部取り出して財布を探すルビナスを見ていたフロンティは、オマケにオレンジジュースを出してあげると、さも当然のように言った。


「アタシが助けてあげる前に誰かさんに盗られちゃったみたいねぇん…ここじゃ珍しくないのよね」


「盗られた…?そんな……」


「可哀想だけど…そんな事も知らないなんてアンタ、一体どこから来たのかしら?」


フロンティがそう言うと、ルビナスは悲しそうに荷物を戻しながら答えた。


「西からです」


「…ん?今なんて?」


一瞬聞き間違えかと思ったフロンティは聞き返した。


ルビナスはスプーンをカウンターに置くと言った。


「西の荒野からです。流民でした」


「え?西の荒野ですって!?」


フロンティは思わず大きな声を出してしまったものの、辺りを見渡すと声を潜めて話し始めた。


「西って言ったらアンタ、ヴァーレンフォルクのある荒野から来て…なんともなかったの?」


「はい」


ルビナスは料理を見つめたまま頷いた。


フロンティはそんなルビナスに「ごちそうするわよ」と言うと、彼を疑うようにじっと見つめた。


「すみません…ボク…お金なくて……」


「言ったでしょ?アタシがアンタにごちそうしてるだけなの!食べなさい。それより、ヴァーレンフォルクに近づくのが危ないって、あんたわかってるの?」


そう言ったフロンティに、スプーンをとってリゾットを頬張ったルビナスは視線を落したまま頷いた。




ヴァーレンフォルクは人のようで人ではない、死を誘う呪い人達が作った小さな国だという。


呪い人とは、もとは人間であったものが死を迎えた後にそれまでの想い残した事が変異を引き起こし、災いを宿して永遠の再生を受けた存在の事だ。


亡者のようにその目的だけを持って動く彼らは、人ならざる力を手に入れ仄暗い闇の底から這い出てくる。




そして、生者達は彼ら呪い人が這い出てくる地をヴァーレンフォルクと名付けた。


呪われ人に関わってしまえば災いが起こり、呪われ人は浄化させるべき対象と知られている。


だが不幸な事に、生者の誰もがヴァーレンフォルクの場所を突き止める事が出来ず、神聖な道具を使ってもなお、呪われ人を浄化させることはできなかった。




手掛かりは、西の荒野ということだけ。


過去に呪われ人の研究をしに向かった人々は、誰一人帰ってこなかった。




呪われ人達は、何食わぬ顔で生者の中に混じって暮らしている。


見た目は生者とそう変わらない彼らには共通点があった。


それは…。




「呪われ人は皆、不思議な力を持っているのよ」




フロンティはそう言うとカウンターに肘をついた。


「例えば、妖精?とかいうのと交信できたり、耳が長かったりって情報はさまざまだけど、危険には変わらないわ」


「呪われ人……」


ルビナスはそう呟くとリゾットの最後の一口を頬張った。


フロンティは話半分のように聞いているルビナスにため息をつくと、手近にあったコップに入っていた酒を一気にあおった。


「ま、何にしても呪われ人なんて本当にいるのかわからないけれどね」


少なくとも、アタシは信じたくないわ。


そう言ったフロンティは、立ち上がりカウンターから出ると、店の外の看板をひっくり返して戻って来た。


どうやら今日はもう店じまいにするようだ。


ルビナスは皿に残ったクリームソースをスプーンですくって食べると遠慮がちにフロンティを見た。


「あ、あの…ボク、このリゾットのお礼がしたいです。何かできる事はありませんか?」


「ないわね。アンタみたいな可愛いオトコノコに出来る仕事なんてこの店にも、いや、この街にはないわね」


すっぱりさっぱり言い切ったフロンティは、肩を落とすルビナスに視線をやると、ため息をついた。


「…あぁもう、そんな顔しないでよ。そうねぇん、なんでもするっていうのならアタシの所で面倒を見てもいいわよ」


「本当ですか!ありがとうございます!何でもやります!」


ルビナスはフロンティの申し出にパッと顔を明るくして太陽のような笑顔を向けた。


フロンティはそんなルビナスに不敵に微笑みかけると、カウンターに肘をついて口の端を吊り上げた。


「んふふ…じゃあ明日から手伝いなさい。この街じゃリゾットの材料も何もかも、アンタの命より高いんだからね!」


「はい!フロンティさん、よろしくお願いします!」


そう言ってルビナスは大きく頷いた。



そうして、酒場の店主フロンティと、流浪の少年ルビナスの奇妙な生活が始まった。


「いいかしら?アンタは店の下働きとして面倒をみてあげるわ。掃除に洗濯、ついでに買い出しが主な仕事よ」


「はい」


朝起きたばかりのフロンティは顔中に白いクリームを塗り、短いナイフでぞりぞりと顔そりを済ませると、ルビナスが淹れたコーヒーに口をつけた。


「あらやだ。アンタ、こんなに美味しいコーヒー久しぶりよぉ?」


「本当ですか?」


ルビナスはパッと明るく笑った。


「財布を盗まれるマヌケさんなのに意外だわ」


フロンティはそう言って微笑んだ。

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