第21話 えっと、誰?

 町の中心から結構離れた場所に建っている民家。もう外は暗くなっているのに、周りにある似たような家とは違って明かり一つ点いていない。まあ、住人わたしが帰っていないから当然なんだけどね。


 実はつい先日、この家を借りて引っ越したばかりだったりする。この町に来て半月くらいはトルトッタさんの宿でお世話になっていたんだけど、ようやく出る決心がついたので善は急げと突発的に引っ越してしまった。後悔はしていない。


 少しこの町にも慣れてきて知り合いも増えてきたし、しばらくの間はこの町から移り住む予定はない。だったらちゃんと家を借りればいいじゃない、的な。


 良い物件は賃料が高いので、さすがに私の収入ではなんともならない。身の丈にあった物件を探したところ、この物件を見つけることができた。ちょうど空き家になってすぐだったみたいで、綺麗に掃除されていたしすぐに気に入ってしまった。


 トルトッタさんの宿とは違って、お風呂屋さんまでは遠くなってしまった。だけど、しっかりとしたプライベートな空間を作ることができたのは、いい方向に前進できたんじゃないかな。


 実は私自身まだ収入は安定していないから難色を示されたんだけど、常連のトトメおばあちゃんが保証してくれた事で無事に借りることができた。何から何までお世話になっている気がするけど、少しずつ返していけたら良いなあと思っている。




 鍵を開けて家に入る。真っ暗でよく見えないので近くのランプに火を入れて灯りを点ける。


「ただいまー」


 もちろん誰からも返事は返ってこない。というか、むしろ返ってきたら困る。それでもついついただいまを言ってしまうのは癖なんだろうなあ。そんな自分に少し笑いながら、部屋着に着替えてリビングの椅子に座る。


 さて、今から何をしようかな?


 お腹も満たされているし、お風呂にも入って体もきれいになった。仕事の疲れはあるから別に寝てしまっても良いのだけど、それはそれでちょっともったいないような気もしてしまう。


「……少し本でも読もうかな」


 そう独り言を言って、サイドテーブルに置いたままになっていた書籍を手に取る。栞を挟んだページを開き、どこまで読んだかなと記憶をたどる。……ああ、そうそう。思いだした。二人の悲哀の行方はどうなるんだろうか。




 ――ふと妙な感覚を覚えて目が覚めた。


 今何時くらいだろうか。ついつい本を読みながら寝てしまったみたい。口元から少しよだれが垂れてしまっていたからちょっとだけ恥ずかしいけど、誰に見られているわけでもないし気にしないことにする。それよりも――。


 胸騒ぎに似た妙な感覚。なんとなく窓際から外を見上げると、大きな丸い月が見えた。……よくわからないけど、どうにも気になってしまう。仕方がないので、部屋着の上に一枚羽織って家の小さな庭に出る。


「きれい……」


 誰に聞いてもらうでもない、ただの独り言。そういえば、この町に住み始めてからこんな静かな夜中に外へ出るのは初めてだった。旅に出ていたときには毎日見ていた星達がひときわきれいに見える。そして胸騒ぎのする方向、夜空にはまんまるの月が先程よりも薄っすらと赤く輝いていた。


「なんだろう。少しずつ赤味が増しているような気がする」


 不思議な色をした月に向かって手を伸ばす。もちろん月に触ることはできないんだけど、気持ちが吸い込まれるような魅力を感じてしまった。赤い月に向かってゆっくりと手を伸ばしていくと、何かに触れたような感触があり、水面に手を入れたときのように波紋が広がる。……ここに何かがある?


 よく【見る】と少し空間が歪んだような不思議な何か。手を入れようとすると魔力的な抵抗があって押し返されてしまったので、その感じに近い魔力を手にまとわせてもう一度触れてみる。すると、今度は何の抵抗もなく空間に手が入っていく。――これは一体なんだろう?


 そうやって疑問に思っていると――突然、何かに手を掴まれた。


「は? え、なになになになに!?」


 驚きのあまり妙な声を出しながら手を引こうをしたけど、しっかりと掴まれてしまったせいか引き抜くことができなかった。私の手を掴んだ何かからは何か焦りのようなものを感じる。仕方がないので、思いっきり手を引こうと力を入れやすいように足を動かそうとして――庭の芝生に足を滑らせてしまった。


「あ……」


 勢い余って後ろに倒れ込んでしまいそうになった次の瞬間、空間の歪みが大きくなって何か大きな物体が飛び出してくる。その何かは私の手を掴んでいたわけで、当然そのまま私の上に降ってきてしまう。


 芝生が緩衝材になってくれたみたいで、何かに押しつぶされたけどそれほど強い痛みは感じなかったけど、痛いものはやっぱり痛い。……骨折れてないよね?


「いったたたた、一体何なの?」

「あいたたた、何だよこれ」

「え?」

「え?」


 痛みを堪えながらも私以外の誰かの声がした事に驚き、目をゆっくり開ける。するとそこには私を押し倒した形で四つん這いになった一人の男性と目があった。暗くてよくわからないけど、吸い込まれるような黒い瞳。


 ……えっと、誰?

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