第15話 少しずつでいいから前に進もう

 しばらくしてようやく二人は落ち着いたようで、改めてものすごく感謝をされてしまった。治療を依頼したガガン爺さんも満足そうにしている。初めての患者さんとして紹介したくらいだから、ガガン爺さんも大事に思っているんだろうなあ。


 セシリオさんはこれまでに自身の右腕が動かないことを受け入れていたと思う。ガガン爺さんに聞かれたときもそれほど感情が動いたようには見えなかったから。だからこそ、今とても喜んでいるんだって伝わってきた。もちろん私も自分のことのように嬉しく思う。


 ――ただ、気になることもある。私がそれに触れて良いものかわからないけど、後回しにはせずに今、確認して置かなければいけないような、そんな気がする。


「セシリオさん、一つ確認しても良いですか?」

「何でしょうか?」

「この右肩はいったい何をして痛めたんですか? ただ大怪我をしたとしても外傷が治ったのにこんなに重篤な後遺症が残るのは説明がつかないと思います」


 症状としてはトトメおばあちゃんの身体に起きていたものと似ている。ただ、トトメおばあちゃんの症状はこれに比べれば遥かに軽い。トトメおばあちゃんの言葉が間違えていないとすれば、少なくともこの町で長く生きればこういうことが起きるらしい。では、セシリオさんは、どこで何をすればそれを飛び抜けてこんなに重い症状になってしまったのだろうか?


「それは……、最も深き森の中ですよ。討伐作戦中に魔物から受けた傷です」

「最も深き森、ですか? でも、どうしてそんなところに?」

「どうして、とは?」


 私の疑問に対して、セシリオさんから返ってきたのは疑問だった。


 最も深き森。この大陸を侵食し続けている巨大な森で、中には凶悪な魔物が大量に生息している。とても危険なためキンドリッツ王国では原則、最も深き森への侵入は固く禁止されている。


 そのため最果ての町では、あくまでも森から出てきた魔物から町を守るためにだけ、討伐を行っていたと記憶している。……多分。


 私は聖女巡礼の旅という大きな目標があったからこそ、あの森へと立ち入ることができた。この国では禁止されていないということ?


「えっと、そのままの意味です。セシリオさんはどうして最も深き森に立ち入ったんですか?」

「……確かに、今の格好ではあまり説得力がありませんかね」


 そう言って、セシリオさんは困った顔をする。


「私は約一年前まで、守備隊の指揮官として前線で戦っていたんですよ」


 ……どうしよう、余計によくわからない。どうして守備隊の指揮官が町を守らずにの最も深き森に入ってるの?


「戦っていたようには見えませんか?」

「あ、いえ、ごめんなさい。そういう意味じゃないんです。私、この町に来て間もないので、あまり良くわからないんです。どうして守備隊なら森に入れるんでしょうか? 守備隊って森から出てきた魔物から町を守るんじゃないんですか?」

「ああ、そういうことでしたか。この町は――」


 セシリオさんは、私が新参者だと知ってようやく納得のいったような表情を浮かべた。それだけ私の質問が不思議に聞こえたんだ。


 セシリオさん曰く、この町はアイオーン共和国の中で一番、最も深き森に近い場所にある。ヨーカさん達もそう教えてくれていたし、確かに町の外に出れば見えるくらいなので近いのは間違いない。


 ただ、とても初耳な話なんだけど、直接森に入って継続して魔物の討伐を行っていると、森の侵食が少し後退する。遅くなったり止まったりするんじゃなくて、目に見えて森が後退するんだって。もともと領土の狭いアイオーン共和国において、他国との争いのない領土の拡張に文句をつけるものは居ないということ。


 私、隣の国のことも殆ど知らなかったし、最も深き森のこともあまり知らなかったみたい。ちょっと、自分が恥ずかしい。


 まあ、それはそれとして、この国では最も深き森の侵食を止めて、さらに安全な土地を増やす手段の一つとして、定期的に守備隊が中規模の討伐隊を編成し、直接森の中に入って魔物を間引くという手法をとっている。守備隊なのに攻めるというのはなんだか不思議だけど。結果的に町を守っているのだから本質的には一緒なんだろう。


 実際にはそれだけではなく冒険者ギルドに対して国から常設の討伐依頼を出したりもしているみたい。サクヤ達も受けたりするんだろうか?


 閑話休題、つまりセシリオさんは元守備隊所属だった。そして討伐中に深い傷を負ってしまい。外傷は完治したものの、後遺症が残ってしまった。


 最も深き森の中で魔物との戦いで受けた傷。軽症であれば後遺症は残らないみたいだけど、大きな怪我を負ってしまうと、先程のセシリオさんのように重度の後遺症が残ってしまうことが多いのだそうな。


「怪我をした事で前線に出ることができなくなったので、こうやって裏方の事務仕事をするようになった、というわけです」

「そうだったんですか」

「貴方のおかげです。私は再び前線に戻ることができるかもしれない」


 セシリオさんが真剣な表情でまっすぐこちらを見つめてくる。うう、こんな眼力のある男性にじっと見つめられると恥ずかしい。


 ――セシリオさんとのお話が終わった後、ガガン爺さんの納得も当初よりも深く得られたことで、正式にこの場所を使っても良いことになった。いや、本当にありがたい。これでしばらくの間暮らしていくだけのお金はなんとかなりそう。しかも陰ながらでも人の役にたてるというのは、私のやりたいことにもあってるしね。でも、できれば治療に限らずもっと色々なことをやって――ううん、まずはあまり欲張らずに新しい生活に慣れなきゃ。


 仕事は明日からなので今日はこれで帰ることになった。また明日の朝、お風呂屋さんに行けば色々と説明をしてもらえるみたい。そういうことなので皆に挨拶をして、一旦宿へと戻る事にする。途中、慣れない人混みに迷子になりかけてしまったが、なんとか辿り着くことができた。早く慣れなきゃなあ。


 部屋に戻るなり着の身着のままベッドに身を投げて天井を眺める。


「……あの黒いもやは何だったんだろう?」


 落ち着いてからはじめに思い出したのは、セシリオさんの治療を行った際に見た、あのもやのことだった。


 あのもやが身体から抜けた事で、あの重篤な症状が改善されたように感じた。多分だけどそれはあっていると思う。セシリオさんは森の魔物から負った傷と言っていた。それが事実なら、森の魔物にはそういう能力があるということになる。


 ――でも、ルーリオ達と旅をしていたときには見なかった症状だ。森の奥まで旅をする中で何度も大きな怪我を負ったけど、そんな症状には一度もお目にかかっていない。治す治さない以前に見なかった。


 ルーリオ達がそういった事を隠せるとも思えないので、私達の旅の中では存在しなかったのは間違いないと思う。私が居たから? って、流石にそれはうぬぼれ過ぎか。


「女神様の恩恵と何か関係があるのかなあ……。あーダメだ。全然わかんないや」


 色々と考えないといけないことはあるけど、それは今すぐ結論を出さないといけないというものでもない。その辺りの事はひとまず横に置いておこう。まずはこの町で日々暮らしていくことから始めなきゃ。


 トトメおばあちゃんとの話で多少はこの町のことを知ることはできた。でも、まだまだいっぱい知らないといけない。冒険者や守備隊の事も――。


 目をつぶると、セシリオさんにじっと見つめられた場面が思い出されて、不覚にも頬が火照るのを感じてしまう。……あの眼差しといい、あの時の涙といい、短いやり取りの中だけでも、なんでも絵になってしまう。いや、あれは反則だって。


 しばらくは恋愛とかは考えられない、けど。


「セシリオさん格好良かったなあ」

「お客様、晩御飯の準備ができましたよ」

「は、はい! ありがとうございます。すぐに降ります」


 い、今の聞かれてないよね!?




 この数日間は色々悲しい思いもしたし、途方にもくれてしまった。だけど、多くの出会いに恵まれて、私の新しい生活は比較的幸先の良い始まりを迎える事ができたんじゃないかと思う。この町に来たのは正解だったかな。


 少しずつ、少しずつでいいから前に進もう。絶対に幸せになってやるんだから。

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