第12話 これは毎日通っちゃいそうだ
奥から現れた女性は少し肩で息をしながらにっこりと笑う。人当たりの良さそうな笑顔だ。
「ごめんなさいね。ちょっと忙しかったの」
「いえ、全然待たされてないので気になさらないでください」
「そう言ってもらえると助かります。えっと、お泊りですか?」
「はい。ひとまず一週間でお願いしたいんですけど、部屋は空いていますか?」
「大丈夫ですよ。何名様でしょうか?」
「あー、一人なんですけど。良かったですか?」
「もちろんです。それではこちらの宿帳に記入をお願いします。ちなみにお食事はどうされますか?」
「欲しいです」
記帳しながら、自己紹介を交えて少しだけお話をする。女性一人だから嫌がられるかもしれないと思ったけど、そんな事は全く無くにこやかな顔でやり取りしてくれた。
この女性、名前はトルトッタさんといって、実はこの宿の女将さんだったみたい。なんでも女性一人で切り盛りしているらしく、宿も女性客のほうが比率は高いそうな。
唯一、残念な事にお風呂は無いとのこと。ただ、近くに大きめのお風呂屋があるらしい。その風呂屋と懇意にしているみたいで、格安料金で入れる。やった!
客室に案内してもらい、ようやく一息付くことができた。ヨーカさん達に出会ってからは、寂しい一人旅が一気に賑やかになったのは嬉しかったんだけど、逆に一人の時間が無くなってしまったんだよね。
聖女巡礼の旅では一人の時間なんてものは殆どなかった。ルーリオ達に追い出されてからは一人きりだったけど、それを楽しめる心の余裕なんてなかったしね。
少し硬めのベッドに倒れ込んで、シーツの心地よさに身を預ける。森の中を旅していた時には味わうことができなかった、でも町で暮らしている中ではごくごく当たり前の感触。少しの間その感触を噛み締めながら、頭の中で色々とごちゃまぜになっている考えを整理しようと頑張ってみる。
――好きなこと、か。
聖女にはなれなかった。それは悲しいことだし悔しく思う。でも、視点を変えれば聖女の役目から開放されたってこと。そう思って少しだけ気持ちが軽くなった自分を意外に感じる。
「聖女候補としての立場を受け入れる事は自分の意志で決めたはずだけど、本当に自分がやりたいことではなかったって事なのかなあ」
誰の返事も返ってこないことはわかっているけど、それでも言葉に出して自分の気持を確かめたかった。……多分、違ったんだろうなあ。でも、自由かあ。
いくら自由とは言っても、何をやっても良いって訳じゃない。周りの人達に迷惑を掛けるのはちょっと違うと思う。どうせなら誰かに喜んでもらえるような事が良い。
今の私にできることってなんだろうか。
「うーん、ダメだー。とりあえずお風呂屋さんに行ってから考えよう」
今、慌てたって、すぐに良い答えが見つかるわけでもないし、ひとまずは念願の大きなお風呂を満喫しよう。そう思い立って、お風呂屋さんへと向かった。
近所のお風呂屋さんは、私が思っていた以上に立派なものだった。なんでもこの町の名物なんだそうな。日中にもかかわらず、多くのお客さんで賑わっていてとても活気がある。先程から周りから聞こえてくる会話を聞く限りでは、早めに仕事を終えた人たちも結構利用しているみたい。ここを訪れる旅人たちも、このお風呂を楽しみにしているくらいなんだって。
ついつい期待は膨らんでしまうのは仕方がないよね。
――久しぶりのお風呂をゆっくりと楽しんだ後、休憩用の広間で果実ジュースを飲みながらのんびりする。果実ジュースの酸味が、温まった身体に染み渡る。
こんなに快適なお風呂は王都にもなかった。浴槽もいろいろな種類があって、薬草が入っているお湯とかはちょっと興味深い。まさかこんなに満足できるとは思わなかった。これだけでもこの国に来てよかったと思う。これは極楽だなあ。
「これは毎日通っちゃいそうだ」
「――あらあら旅人さんかい?」
「ほへ!?」
油断しきっていたので、隣から掛けられた声に驚いて変な声が出てしまった。慌てて振り向くと、柔和な物腰のおばあちゃんが笑顔を浮かべながらこちらを見ていた。恥ずかしさのあまり、姿勢を正しながらうつむき加減に視線をそらす。
「気にしなくて良いよお。お嬢さんみたいな子はよく見かけるから」
「あー、常連の方なんですね」
「そうさね、小さい頃からずっと通ってるよ」
当然のように話すおばあちゃんを見て、それだけ長い歴史があることに驚く。このおばあちゃんの人の良さそうな雰囲気からみて、この町に住む人達はしっかり暮らしていける環境が整っているのだろうなあと思い至った。
そういうことであれば、町の人達とは率先して顔見知りになっておくべきだ。
「実は私、今日この町に来たばかりなんです」
「そうなのかい。広い町だし似たような通りも多いから迷子にならないようにね」
「う、ちょっと自信ないかも。もしご迷惑でなかったら、この町のこと色々聞かせて頂いてもいいですか?」
「ええ、構わないよ。ちょうど私も話し相手が欲しかったところだしね」
第一印象通りに、とても人当たりの良さそうなおばあちゃんだった。私もこの雰囲気につられてちょっと気持ちが大らかになってる気がする。初対面の人とこんなにのんびりお話するのはどれくらいぶりだろう。
――少しおばあちゃんから色々なお話を聞かせてもらった。短い時間なので町の魅力からすれば、ほんの少しなんだろうと思うけど、おばあちゃんがこの町を好きなんだなあという事はよく伝わってきた。
私もそんな柔らかな雰囲気につられて、これからこの町で暮らしていくことへの不安を聞いてもらったり、元気づけてもらったりしてしまった。油断のあまり、危うく恩恵の事を話してしまいそうになったのはご愛嬌。
そんなおばあちゃんだけど、お話をしている最中に時折、右のももを擦る仕草をするのが気になった。
「足、どうかされたんですか?」
「ん、ああ、歳を取るとね、色々なところが痛んでくるもんなのさ。肩やら腰やらももやら、まあ持病みたいなもんさね。こういったものは回復魔法でも治らないからね。歩くのは大変だけど、こればっかりはね」
そう言って、少しだけ困ったような顔をする。多分、おばあちゃんの中では折り合いがついてはいるんだと思う。
でも、私が気になったのはそういう気持ちでは片付かないこと。いきなり目立つようなことは避けたいけど、新参者に色々なことを教えてくれた人あたりの良いおばあちゃんのためになんとかしてあげたくなってしまった。そして、私ならなんとかできるかもしれない。
「あの、もし良かったら診せていただいてもいいですか?」
「見せるのは構わないけど、どうにもならないよ?」
「それでも、できれば」
当惑気味のおばあちゃんだったけど、少し粘ったらなんとか承諾してもらうことができた。諦めてはいるけど、希望までも捨てたわけじゃないんだと思う。
おばあちゃんに痛い場所をいくつか教えてもらってから、それを私の目を通して覗き見る。――偶然かどうかはわからないけど、
念の為に周りを見渡したけど、少しだけ周りからは死角になっている。ちょうど他に人も居ないから今なら大丈夫。
「ちょっと、そこのベンチで横になってもらえませんか?」
「え、ええ、それくらいなら。よっこいしょ」
おばあちゃんは、声を出して椅子からゆっくりと立ち上がり、近くのベンチに仰向けに寝転んだ。
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