第3話 いやいや、ちょっと待ってよ……。

 こちらを見るルーリオは何か言葉を選んでいるような、そんな印象を受けた。


「不安、なんだ」

「えっ?」

「確かに私たちは誰一人欠けることなく、目的地まで到達して巡礼の旅を成し遂げたという自身は持っている」

「それなら――」

「……でも、町に帰り着くまでに一度確認しておきたいんだ。そうすれば、自信を持って町へと帰還することができる。今の不安が民に伝わってしまってはいけない」

「ルーリオ……」


 普段は決して見せることのないルーリオの弱気な表情を見てしまうと、私自身の心にも不安が生まれる。多分他の皆も同じ気持ちなのかも。そうして言葉に詰まっていると、ダイナスが頷く。


「わかりました。私もルーリオの意見に賛成します」

「まあ、確かに意気揚々と町に戻ってみて実は駄目でした、じゃ目も当てられないからな」

「そういうことなら、私も心配、かな」


 ダイナスと同じようにルーリオに従っているキャンディールも同調する。基本的に、この二人がルーリオの意見に反対することは無いから今更驚きもしないけど。少し驚いたのはセリアが同調したことだった。これまでの旅で、身分の違いもあってなのかそれほど自己主張をしてこなかったセリアだけど、今回ばかりは不安がそれを勝ったのかも。


 もともと、こういう結果になることはルーリオが言い出した時点でほぼ決定していた。私が食い下がったのは、少しでも早くお風呂に入りたいという小さな我儘に過ぎない。


「ふう、……仕方がない、か。わかったわ、その教会に寄りましょう。確かに、ルーリオが不安に思う気持ちは私にもすごくわかるしね」

「ティーナ、君ならそう言ってくれると思っていたよ」


 私が賛成したことで、一気に表情を明るくするルーリオ。……こんな程度のことで、そんなに安堵しなくても良いのに。そう思ったりもしたけど、きっとそれだけの重圧を感じているということなんだろう。すでに恩恵の力を実感している私とは違うから。


 話が終わると、ルーリオは立ち上がって自分のテントに戻ってしまった。ダイナスもそれに従う。そして、いつものようにテントの前に立って周りを警戒し始めた。この場に残ったのは、セリアと私、それにキャンディールの三人だけだった


 キャンディールとセリアは慣れた手つきで片付けを始める。もう見慣れた光景だ。


 結局、この旅の間に一度も準備や片付けをしてくれなかったなあ。まあ、その辺りは花嫁修業の一環だと思って諦めているし、既に期待もしていない。もともと伯爵家の子息が炊事の手伝いなどするわけがない。部下に指示しているだけでも助かってはいるしね。


 そういう意味では私は好きでやっているけど、実家に居た時はお手伝いさんに微妙な顔はされていた。……皆、元気にしているかなあ。


 ルーリオとは対照的に、セリアはいつも率先して準備や片づけを手伝ってくれる。……本当に良い子だ。セリアは私達のパーティの中で唯一貴族ではない。旅の途中で聞いた話では、早くに父親を亡くし母親と助け合いながら生きてきたらしい。セリアと話す機会は多かったけど、それよりも先には踏み込めなかった。


 彼女が時折見せる強い眼差しは、そういった自分たちを守っていかなければならないという背景から来るものなのかもしれない。


 翌日、私達は午前も早い時間から野営を引き払い、早々に旅を再開する。空を見上げると少しだけ雲や霧のせいで薄暗いけど、歩く分にはなんの問題もないし、多分午後には天気も良くなりそうに見えた。


 遠回りをする都合上、最果ての町から十分に離れた位置から森を抜けることにした。念のために周囲を警戒したけど、特に誰かを見かけることもなかった。




 ――昼になるよりも少しだけ早く、寄り道の先にある教会が見えてきた。すると、急にルーリオの歩調が早くなる。


「見えてきた。皆、急ごう」

「あ、ちょっと待って」


 そんなに慌てなくても良いのに。そう思いつつも、不意に見せた子供みたいな笑顔についつい笑みが漏れてしまう。


 これくらいで皆の不安が解消できるなら、それで良いか……。


 古びた扉を開き教会の中に入ると、そこには誰の姿も見当たらなかった。施錠がされていなかったので誰かはいそうなものだけど。そう思っていると、ルーリオがそのまま中に入り首を左右に動かして人を探す。


「すまないが、誰かいないか?」

「なんだ、こんな時間からうるさ――これはこれは! ようこそおいでくださいました」


 ルーリオが問いかけると、奥から一人の男性が出てきた。身なりからすると神父みたいだけど、ちょっと言葉遣いが汚かったような?


「急に済まないな。ここで――」


 ルーリオが事情を説明すると、神父の表情が更ににこやかなものに変わった。……安心感を微塵も感じさせない笑顔だ。


「ルーリオ、別にここじゃなくても――」

「さあさあ、お嬢さん。こちらへどうぞ!」

「ちょっ、ちょっと待って」


 助けを求めるようにルーリオを見るが、彼はただ傍観しているだけだった。他の皆も特に止める様子はないみたい。……仕方がない、か。


 受け入れなければいけないなら、気持ちを切り替えてさっさと終わらせてしまったほうが楽、そう考えて神父に促されるまま前に進む。そして部屋の奥に立つ神父の眼の前で片膝を付き頭を垂れて目を閉じる。


 ほんの少しだけ建物の中を沈黙が訪れる。


「遥か高き天より我々を見守る――」


 神父が女神様への宣誓を行ったあと、右の手のひらを私の頭上にかざす気配がする。次の瞬間、私の身体から魔力が少しだけ失われた感覚があった。


「それでは目を開けなさい」

「はい」


 ゆっくりと目を開いていくと、私の目の前に薄っすらと光る文字が見える。これで私にしっかりと女神様の恩恵が与えられていることが――えっ!?


 ――視界に飛び込んできた文字を認識した瞬間、心臓が止まりそうになった。


 いやいや、ちょっと待ってよ……。


「ど、どういうこと?」

「ティーナ、どうした?」

「あ、いや……なんでも、ないよ」


 戸惑う私に違和感を覚えたのか、後ろで待っていたルーリオが声をあげた。……どうしよう。一体何が起きたっていうの?


 頭の中で整理がつかないままでいると、神父は私の反応を見ることなく一枚の厚手の紙を取り出して再び手をかざす。


「では、この洗礼紙に転写しました」

「ちょ、ちょっと待っ――」

「貸してくれ」


 ルーリオはこの少しの時間も我慢できなかったのか、足早に歩み寄って洗礼紙を親父の手から取り上げた。そして洗礼紙に転写された文字に目を通した瞬間、その表情が変わった。


「……どういう、ことだ?」

「ル、ルーリオ」

「これはどういうことだ! ティーナ、これのどこが問題ないと言うんだ!?」


 ルーリオが怒りの表情で、私の目の前に洗礼紙を突きつける。そこには先程、私の視界に入ってきたものと同じ文字が記されていた。


 私の手足が震えてくるのがわかる。なんとか抑えようとしているけど、どうにもならない程に混乱してしまっている。


「ティーナ! どういうことだ、これを読んでみろ!」

「そ、それは……」

「読んでみろ!」

「は、はい。……【覗き】、と」


 覗き、確かにそう書いてある。私がその文字を読み上げた瞬間、離れた位置にいる皆が思い思いの声を上げる。皆の声につられてそちらを振り向くと、誰しもがこれまでの旅では見せたこともないような暗い表情を浮かべていた。


 ――そうか、私の旅は失敗したんだ。女神、様……。どうして?

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