第2話 聖女巡礼の旅
恩恵というのは、天上に住まう女神様が下界に住む私達にお与えになるもので、恩恵自体の存在は実はそれほど珍しいものではなかったりする。珍しくないとは言っても百人に一人くらいなので、恩恵を持つものは一般的に大事にされてはいる。
ただ、この聖女巡礼の旅では一般的な物とは大きく異なる性質の恩恵が授けられる。
その女神様からの恩恵、これが支援術士である私にぴったりと当てはまった。旅の中で恩恵の力を理解していくにつれて、私の支援魔法は洗練されて旅は少しずつ楽になっていった。女神様の恩恵って本当にすごい!
どうして私みたいな支援術士が聖女となるのかはよくわからない。普通、こういったものは聖職者がなるものだと思うのだけれど。まあ、それを突っ込んでも答えが返ってくることはないし、それは良いや。
そして、この【最も深き森】と呼ばれる魔の領域を出ればようやく人里へと帰り着く。
――最も深き森。
王国に残されている記録によれば、数百年前には存在していなかったみたい。初代聖女であるジャンヌ様が死後に祀られたのもその頃で、当時は今のようにいくつもの国が存在するようなことはなくて、一つの国が統一していた。原因はわかっていないけど、一夜にしてその統一国の首都は森に飲まれてしまったのだそうな。
そして初代聖女ジャンヌ様を祀る教会は、その首都にあった。
突然生まれた森は長い期間を経て、少しずつこの大陸を侵食している。いずれはすべてが最も深き森に埋め尽くされてしまうのかもしれないけど、侵食のペースには波があるみたいで、今は遅くなっているらしい。
王国では、森の侵食に抗うべく幾度となく伐採を試みてはいるのだけれど、森のなかに生息する多数の凶悪な魔物達に襲われてうまく行っていない。そんな危ない森を旅して、今日まで良く無事だったと自分を褒めてあげたいほどだ。
閑話休題、最も深き森の南端にほぼ隣接した場所に人が住む町がある。それが直近の目的地だ。予定では、その町を経由してから街道をひたすら南下して、いくつかの町でお披露目をしながら王都へと戻る事になっている。
危険な場所に作られた物なので、経済規模はとても小さいので特別に目立つようなものはない。王都では【最果ての町】なんていう仰々しい名前で呼ばれてはいたけど、外敵への対策以外はほとんど村と言ってもおかしくはない。実際の防衛線はもっと王都寄りに存在するしね。
それでも心が弾んでしまうのは、とある切実な事情によるものだ。
「このペースなら明日にはこの森を抜けられるかな。温かいお風呂が恋しい~」
「ふふ、そうですね。最果ての町へ戻ったらゆっくり入りましょう」
隣で焚き火にあたっていたセリアが、柔らかい微笑みを浮かべながら同調する。他の面子はまた始まったとばかりに興味を失ってしまっていた。……そんなに言ってたかな。まあ、いいや。お風呂は正義。
僧侶セリア。王都の教会で修行中の身だったにも関わらず、パーティリーダーであるルーリオからの強い推薦があって、セリアはこの旅には僧侶として同行してくれた。たった五人という人数の少ないパーティに物腰の柔らかいセリアが居てくれたのは、私的にものすごく助かった。
決して美人というわけではないけどとても可愛らしく、華奢な身体つきは同性である私から見ても庇護欲を誘う。
それはそれとして、最も深き森での旅路にはもちろんお風呂なんてものは存在しない。最果ての町よりも先に行くのだから、当たり前といえば当たり前だ。もちろん過酷な旅だと理解はしているし、相応の覚悟もしていた。
――でも、お風呂がないことが、こんなにも私の気持ちを削っていくとは予想もしていなかった。私は最も深き森に入ってからほんの数日でお風呂の偉大さを思い知った。もちろん水魔法を使ってでそれなりにきれいにはできるけど、危険な旅路である以上は毎日のんびりと温かいお湯を用意してゆっくりと浸かっている余裕はなかった。
でも、そんな苦しい期間も明日で終わり。そんな小躍りしてしまいそうな気持ちを態度で示す。
「ふっふっふ、その汚れた身体を私がすみずみまできれいにしてあげよう」
「な、なんか手付きが怪しいです。それに毎日水魔法できれいにしてますよ!」
セリアが私の手を見て若干引き気味に後ずさる。それを見てルーリオが救いの手を伸ばした。
「こらこら、セリアをいじめるんじゃない」
「もう、いじめてなんていないってば」
「なら、その怪しい手つきはなんですか」
「まったく、ティーナは相変わらずだね」
ルーリオは自身が推薦したからなのか、ずいぶんとセリアのことを気にかけて大事に扱う。……婚約者である私よりも、ね。
多分というかほぼ間違いなくルーリオはセリアのことが好きなのだと思う。多分セリアも……。ルーリオが強く推薦していたのも、その辺りの事情があったからなんだと思う。ルーリオの婚約者としてはどう対応したらいいのか悩ましい。セリアが良い子な分、余計に悩ましい。
とはいえ、私的にはそんなルーリオの態度を見たからといって、それほど苦にはならない。多分、婚約という親同士で決められた関係のせいだと思う。彼のことを好きか嫌いかと問われれば、どちらかといえば好きにはなってきている。でも、情熱的な恋をしているというわけでもなくて、親同士が決めたことなので受け入れるべきものだと認識しているだけだと思う。レリクス家の娘としての役割は十分に理解してるから。
この旅が終われば、私は望む望まないに関わらずこの人と結婚することになる。そう決まっている。そこに私の気持ちはあまり影響しない。……愛はこれから育んでいけるといいなあ。
「――みんな、ちょっといいかな?」
ひととおり休憩を終えた後、食器類の片付けを始めようとした私を止めて、ルーリオが皆に声をかけた。声のトーンはいつもと変わらないけど、その表情はどこか緊張しているようにも見える。暗闇に揺らめく炎がそれを余計に際立たせている。
「ルーリオ、どうしました?」
「これを見て欲しい」
「地図?」
ダイナスが問いかけると、ルーリオはバックパックから一枚の地図を取り出して広げる。皆の視線がその地図に向けられたことを確認してから、とある地点を指差す。……そのマークは、教会?
「明日は予定を変えて、少し遠回りしてここにある教会に寄ろうと思う」
「まっすぐ最果ての町に戻ったほうが良くない?」
「……いや、町に戻る前に一つ確認しておきたいんだ」
――確認?
ルーリオはそう言った後、喉をごくりと鳴らす。つい地図から目を離してルーリオの顔を見てしまった。その表情は何かを決心したような、そんな顔に見えた。なんとなく場の空気が少し重くなったようにも感じる。
「今回の巡礼の旅は私たちだけではなく、この国にとっても重要な意味を持ってる」
「それは皆わかっているよ。ね?」
一人一人に視線を向けると、皆が大きく頷いた。
「でも、それとこの教会となんの関係があるの?」
「町に戻る前に確認しておきたいんだ。ちゃんと役目を果たすことができたのかって」
「恩恵のこと? でも、確認なら街に着いてからでも良くないかな?」
巡礼の旅で実際に女神様から恩恵が与えられたことは私自身が実感している。というよりも、皆には詳しく話しては居ないけど、旅を始めてから少しずつ与えられていった感じだったりする。多分だけど、最も深き森にある教会で祈りを捧げるのは、最後の儀式のようなものだったんじゃないかな。
しかし、ルーリオは静かに首を横に振った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます