不名誉な恩恵、授かりました~聖女になれず婚約破棄されたので隣国でのんびり暮らすことにしました~

ワイエイチ

汚された恩恵

第1話 もうすぐ旅も終わりだね

 隣国へと向かう馬車の中で背中を丸めて膝を抱える。ちらりと見える外の景色はそれほど変わっていないけど、もう少し先の関所を越えて国境を越えたら、もう帰ってくることはできないと思う。


「もう戻れない、か。ううん、もう戻らない、かな」


 誰に聞いてもらうでもなく、ついつい言葉が漏れてしまう。馬車の中は私一人というわけではないけど、幸いなことに誰も気には止めなかったみたい。聞かなかったことにしてくれてるのかもしれないけど……。


 ティーナ・レリクス、それが私の名前――だった。多分、もうその名前を名乗ることはできない。正確にはレリクス姓が名乗れなくなったって言ったほうが良いかもしれない。これからはただのティーナとして生きていくことになる。


 私の中の大きな喪失感。そのポッカリと空いた穴の中で形容し難い感情がぐるぐると巡っている。


 腰のポーチから一枚の紙を取り出して、そこにある文字を見て一つため息をつく。


 まだ色々な考え事が、頭の中をかき回している。早く気持ちを切り替えないといけないけど、まだ自分の中で整理がつかない。悔しいという思いは強いけど、今は喪失感があまりにも大きくて考えがまとまらない。


 ――あの男にまんまとしてやられた。


 あの二人の関係に関しては、これまでも何度も怪しく思う節はあったけど、最終的には収まるところに収まるんじゃないかなんて、甘い考えでいたのが間違いだった。まさかあんな手で来るなんて……。


 つい先日、私の婚約者でありおよそ一年の旅で、苦楽を共にしたパーティのリーダーであるルーリオから突きつけられた婚約破棄。最後に取り上げられた婚約指輪を改めて見たとき、ようやく私は自分の身に起きた事を理解した。


 『――君の繊細な指によく似合ってるよ』

 『ありがとう。ふふ、面と向かって言われるとちょっと照れるね』

 『きっとこの指輪が君を守ってくれる。ずっと身につけていて欲しい』


 彼の計画は旅に出る前、あの婚約指輪を私に送ったときには始まっていたんだね……。私は長い旅路で苦楽を共にしたと思っていたが、それも殆どは偽りだったのだろう。


 婚約自体は互いの親同士が決めたことだった。別にルーリオのことが好きだったわけじゃない。でも貴族の娘としてある程度は覚悟してたから、婚約をすんなりと受け入れることはできた。


 旅に出てすぐの頃はルーリオのことを知ろうと思って頑張った。そして旅も終わりに近づいた頃には彼の色々な面を見て理解できた、つもりになっていた。


 ……まだ涙は枯れてないみたい。だめだなあ、止まらないや。




 ――時は少し遡る。


「みんな、もう少しだ! 魔物は弱っているぞ!」


 パーティのリーダーであるルーリオが先頭に立ち、異形なる獣の魔物を牽制しながら皆を鼓舞する。皆が必死に自分の役目に集中している中でも、よく通る声が不思議と安心感を与えてくれる。


 金色に輝く長い髪をなびかせながら、見事な盾さばきで魔物の攻撃をいなす姿はまるで一枚の絵画を見ているようだ。


 ルーリオのいなしによって体勢を崩した魔物はたたらを踏みその直後、私の後方から十数本のファイアアローが放たれ魔物に突き刺さる。魔術師キャンディールの魔法だ。


 ファイアアローは一般的に初級魔法に区別される魔法ではあるが、キャンディールが行使するこの魔法は強化された火矢を同時に複数本生成したものだ。


 ――旅に出た当時からは考えられないほどに、皆の行動が手に取るようにわかる。もちろん旅が終盤に差し掛かっているということもあるけど、私自身が慣れてきて色々なものが冷静に【見る】ことができるようになったのが大きいと思う。


 今日は特に皆の調子が良く、戦況は私達の有利に進んでいる。


 私は皆の身体から薄っすらと放たれる白い光、そして魔物の身体から放たれる薄灰色の光を見て笑みを浮かべる。うん、バッチリだ。


 ルーリオと同じく前衛に立つダイナスが、魔物の右足へ鋭い一撃を見舞った。魔物は苦悶の表情を浮かべて倒れまいと耐えようとする。でも、その隙は見逃さない。魔物の動きが鈍ったこのタイミングで、更に追い打ちの一手を打つ。両手に握った棍をくるりと回転させ魔力を込めた。


「支援行きます。アディショナルエッジ・クインタプル!」


 振り下ろした棍の先端に生まれた複数の魔法陣から薄緑色の光が放たれて、ルーリオとダイナスの武器をまばゆく包み込む。


「はあぁぁ!」


 ルーリオが渾身の力を込めて振り下ろした剣閃。しかしその一撃は魔物が身体を捻り紙一重でかわされてしまった、かに見えた。しかし――次の瞬間、魔物の身体は複数の刃で大きく切り裂かれる。


 ――アディショナルエッジ・クインタプル。実体を持つ追撃の幻刃を武器に付加する支援魔法。その幻刃に切り裂かれた魔物は、断末魔の叫びを上げながらその場に沈んだ。




 ルーリオが簡易的な水魔法で剣に付いた返り血を洗い流しながら、何かを考えるように空を見上げる。私もつられて上を見上げてみたけど、木々の隙間から空が見えるだけだった。


「ルーリオ、どうかしたの?」

「ん、いや、なんでもないよ。ティーナは怪我してない?」

「私は大丈夫だよ」

「そっか。少しだけ早いけど、今日はもう野営の準備を始めようか。皆、それで良いか?」

「え、まだ日は高いから、もう少し先に進めると思うけど」

「私はそれで構いません。今日は少し疲れてしまいましたから」


 普段なら強行気味に先を急ぎたがるダイナスだが、ルーリオに言われればしっかりと同調する。できることなら先を急ぎたかったのだけれど、彼はルーリオ付きの護衛みたいなものだから仕方がない。


 基本的にはリーダーの決定なので、私としても無理に反対をするつもりはない。他のメンバーも一様に賛同したことで、今日の野営準備が始まった。




 野営の準備はつつがなく終わり。食事を終えた頃には辺りはすっかり暗くなっていた。魔法で作り出した焚き火を囲みながら揺らめく炎を見つめる。ゆらりゆらりとした赤い炎は不安を掻き立てるから嫌う人も結構いるけど、私は結構好きだ。


 赤い揺らめきを見つめていると、これまでの旅路での出来事が浮かんでは消え、また浮かんでは消えていく。


「もうすぐ旅も終わりだね」

「……そうだね」


 私の独り言にルーリオが答える。視線を向けるとその表情は少しだけ硬く見えた。特に感情は読み取れないけど、緊張しているのかな? まあ、仕方がないとは思う。


 なんと言っても、この旅は国王陛下からも大きな期待を掛けられている。そういった重圧からか、この旅の間にリーダーであるルーリオがそういう表情を見せたのも一度や二度じゃない。


 ――聖女巡礼の旅。


 これが私達の旅につけられた名前だ。初代の聖女ジャンヌ様が埋葬されたという地、そこには女神様の力が――話せば長くなるのでざっくり端折るけど、その地に建造された教会で祈りを捧げ、王都へと無事帰還することで私は聖女として洗礼される。


 旅を始めてからおよそ一年。当然これまでに一言では言い表せない程の苦難を乗り越えてきた。いや、本当に大変だった。死にそうな目にあったのも両手では足りないほどで、我ながらよく乗り越えられたものだと自分を褒めてあげたい。家に帰ったら大好きな甘いケーキをいっぱい食べてやるんだ。……ちょっと脱線した。


 苦難の末、旅の目的地である教会へとたどり着き、私は儀礼通りに祈りを捧げて女神様から正式に恩恵ギフトを授かった。

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