2:長期休暇の我輩
――――――
「魔王様が引退?!」
「ほ、本当に引退とおっしゃったのか…?」
「ああ!どうしたらいいの!?勇者が攻めてくる!」
「どうして、どうして…」
″そろそろ新たな魔王を選び、我輩は王座を退こうと思う。皆も考えておいてほしい″
あの日魔王様がそう述べ出ていった後の部下達の様子といったら、阿鼻叫喚という表現があれ程似合う状況も珍しいのではないだろうか。
かく言うミモラも、魔王補佐という立場がなければ彼らに混じって泣き喚いていたに違いない。役職の支えがあっても呆然と立っているのがやっとだったのだから。
後を追いかけることが出来たのは、ミロが魔王を退いた後に消えてしまうのではないかという恐怖がショックよりも勝ったからであった。
――あれから数日が経っても、魔族たちの混乱は治まっていない。
「…それもそうよね、300年続いた平穏が崩れ去るんだもの…」
魔王へと渡す書類をこれでもかと持ったまま、重い歩みを止めぽつりと零した。廊下をすれ違う者達も見るからに纏う雰囲気が暗い。
もうすぐ戦争が始まるかもしれないのだから当然だ。
現魔王、ミロ・シュ・ガオゼータ様は歴代の魔王、否、その魔王達を討った勇者達を凌ぐかもしれないほどの力の持ち主である。
更には優しき心の持ち主で、思慮深く、伝統を大切にしながら新たな思想を取り込もうとする、まさに『故きを温ねて新しきを知る』を体現するようなお方、とミモラは感じている。
この魔王、この力、この心があったからこそ、魔王国は300年にも渡る安寧を実現したのだ。
自らのことしか考えず、馬鹿馬鹿しい仲良しごっこの為に異種族を必要悪とする人間達を震え上がらせるほどの魔力をミロは持っている。
『被害がないうちに討て』から『被害がないのなら戦うことは避けたい』と敵国に思わせるその存在感は、魔王国の1万年の歴史の中で初代魔王とミロだけである。
ミモラはその事実を再確認し、その魔王に仕えているという高揚と興奮にぶるりと身体を震わせた。
なんという光栄!なんという快感なのだろうか!
魔族であっても幸せに暮らせる。決して100年ごとに蹂躙され搾取される為に生きているわけではないと教えてくれた魔王様……
そうだ、これからもミロ様が魔王として頂点に立ち続けるものだと思っていたのに………
もしミロが魔王を退いたことが人間に知れれば、必ず勇者を筆頭に人間軍が攻めてくるだろう。人間側は、三度目の飢饉を迎える訳にはいかないはずである。今か今かと好機を狙っているはずと、ミモラだけでなく部下達全員が推測している。だからこその阿鼻叫喚であったのだ。
ミロ様は引退の理由を、『勇者が来ないから』と仰っていた…やはり平穏の真の理由をお伝えしなくては―――
ミモラはシワが寄るのも気にせず書類ごとその細く白い拳を握りしめると力強い足取りで執務室へと向かった。
――――――
「…?なぜ…」
妙にシワだらけな書類にミロはサインと判を印していく。コホン、と壁際のミモラが咳をした。
ミロはいつ休暇の話しを切り出そうか考えながらミモラの様子を横目で伺った。
ミモラは非常に真面目で、仕事を任せばこちらが期待した以上の成果で返してくる。いつも魔王補佐として多くの仕事を任せてしまっているし、魔王である自分が休むことでミモラや他の部下達も休暇を取りやすくなるのではないか。
「――あの、魔王様」
「む、」
思い思いの休暇を楽しむ想像の部下達にうむ、と頷いていた所を引き戻される。ミモラは真剣な顔でミロを見つめ、緊張した面持ちで口を開いた。
「誠に恐れ多いのですが、申し上げてもよろしいでしょうか…!」
「ふむ、構わんが」
「!では、お言葉ですが魔王様、引た…」
「魔王様!!長期休暇を取るというのは本当でしょうか?!」
ミモラが何事か言いかけた時、執務室の扉が勢いよく開く。飛び込んできたのは書類のやり取りを仲介する文官であった。
「うむ、確かである。皆の話しを聞き、引退は先延ばしにしようと思ったのだが、せめて長期休暇は取りたいと思ったのだ」
しかしなぜそれを…?とミロが首を捻る。誰かに話した憶えはないのだがと考えていると、文官が手に持っていた書類を開きミロの机にそっと置いた。
「これは先日我輩が確かに目を通したが…」
「その、魔王様、こちらに…」
「なんだ」
文官が控えめに指した欄には魔王であるミロの署名――ではなく、『長期休暇』と書かれていた。
開け放たれた執務室の扉の向こうからは文官の話を聞き付けた部下達がゾロゾロと集まってくる。ミロはその文字と部下達を交互に見る。
「…無論、我輩は長期休暇を取る」
気持ちが先走ってしまう癖は良くないな、とミロは内心思った。
ベビーシッターは我輩 きりもみねこ @kirimomineko
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