海に行く四人 〜僕の頭痛のタネたち番外編〜

ウサギノヴィッチ

海に行く四人 〜僕の頭痛のタネたち番外編〜

 提出日までずっとレポートを書いていた。

 テーマは「漱石、鴎外、一葉の生きた時代について」だった。三人は被っていそうで被らないような、複雑な関係にある。そして、その時代が三者にどれだけ文学に影響を及ぼしたかについてを論じなければならなかった。課題は二週間前に発表された。それ以来、大学の図書館に通ったが同じ講義を取っている人に先に参考文献を借りられていて、全然書けなかった。仕方なく、地元の図書館に行って、同じような本を借りた。

 大学と地元の図書館と家は図形にしたら三角形になっていて、なかなか面倒だった。

 それと並行して、僕は演劇部の稽古にも参加していた。学園祭が終わってからの一発目の講義が課題の提出日だった。レポートのネタが思い浮かんだのが演劇部の公演当日。書き始めたのが千秋楽だった。それから、何回か書き直しをしながら、徹夜をして課題を提出をするためだけに大学に行った。帰りは図書館に行って、資料を返却して、さっき帰って来た。

 やっと眠れると思ってベッドに横になろうとしたら、家の前に車が止まる音がした。気になって窓から外を見てみると、赤のミニクーパーが止めっていて、助手席からミズキが降りてきた。きっとミズキの友人だろうと思って、もう一度寝っころがろうとしたときに、はたと身体を半身起こした。国民的アイドルの福浦瑞稀こと服村ミズキに友人なんていただろうかと思った。いたとしても、この家を教えるだろうか。おそらくミズキだろう足音が階段をあがってくる音がする。そして、この部屋のドアが開いた。

「ねぇ、ちょっと来て!」

「えっ? どういうこと?」

「みんな来てるから」

「みんな」というのが僕にはわからなかった。ミズキと僕に共通の友人なんていたかなと考える。が、考えるスキを与えず、僕の手を引いて外に連れて行った。

 外は少し涼しかった。秋ももう終わりに近づいているなんて思うのも一瞬もなかった。半ば強引にミニクーパーに入れられる。車体は小さいので少し屈まないといけなかった。

 中に入ると運転席にはギャルで大学生探偵の宮副先輩と僕の隣の後部座席には大学生で純文学新人賞三冠の黒崎先輩がいた。二人はにやけていた。助手席にミズキに座った。そして、宮副先輩がミズキに話しかけた。

「お客さま、どちらまで?」

「海が見えるところまで」

「かしこまりました」

 宮副先輩は車を発進させた。

「えっ? 嘘でしょ? まじで。嘘!」

 ここから海までだいたい五時間近くかかる。今はもう五時半である。海に着くのが十時だ。それじゃ、僕の身体がもたない。

「僕は、寝かしてもらうよ」

「ダメよ、寝かせてあげない」

 宮副先輩はなんか意味ありげに言った。他の女性に言われるならいいけど、このメンツに言われても僕はグッと来ない。

「寝ます」

「ダメ」

 今度はミズキだった。

 僕の隣では黒崎先輩は涼しそうに本を読み始めた。本のタイトルは横光利一の『上海』だった。黒崎先輩はいいのかよと思ってしまう。

「あたしは、宮副さんが寝ないようにしなきゃいけないの。わかる?」

「わかるよ。いいじゃん、それは、ミズキがやれば、僕は今日提出のレポート書いてて寝てないんだ」

「それは、自分の日頃の行いが悪いわよ」

 黒崎先輩がぼそっと言った。味方だと思ったのに……。

「そう、だから、あんたも付き合うの。っていうかこのメンツで寝るなんて天罰が下るわよ」

 ミズキはわけのわからないことを言っている。「天罰」とはなんぞや。このメンツといることが僕にとっての「天罰」だ。

「高速乗りまーす。シートベルトよろしくー」

 宮副先輩は言った。「してまーす」ミズキは子供のように反応した。

 車は高速道路に乗った。車は加速して行く。僕はなんとなく心配になりスピードメーターを確認すると一〇〇キロになろうとしていた。どんどん遅い車を抜いていく。宮副先輩って、車に乗ると性格変わる人なのかもしれないと思った。

「もしかして心配してくれてる?」

 宮副先輩が僕に話しかけた。

「はい、少し」

「大丈夫だよ。ボクは慣れてるから」

「そうなんですか」

「うん、そう。探偵の仕事で、県外とかは車の場合とかあるから」

「へー」

 そういえば僕は宮副先輩の詳しい仕事をあんまり知らない。有名な事件は知っているが、それ以外だと知らないのもあったりする。

 車は何個かのインターチェンジを過ぎた。思ったより早く着きそうだと思った。パーキングエリヤの看板が見えたときにミズキが言った。

「お腹減ったかもー」

「そうだね。そろそろ、休憩しようか。ボクも一旦休みたいや」

「僕は寝たい」

「それはダメ」

 黒崎先輩はまたボソっと言った。僕は黒崎先輩になにか悪いことをしたかなと記憶を巡らせる。でも、思い当たる節はない。僕は心配になってしまう。

 クルマがパーキングエリアに入る。時間が時間だし、平日なので、空いている。

 僕たちは降りて適当に散らばった。僕はなんとか寝ることはできないかと考えたが、それはできなかった。食事をとったらさらに眠くなると思い、無料で飲めるお茶で我慢することにした。テーブルでスマートフォンをいじっていたら、トレーにラーメンとカレーライスを乗せたミズキが現れた。

「お前、そんなに食べて大丈夫かよ?」

「大丈夫よ。あたし、成長期だから」

「それ、嘘だろ」

「ほんとだもん。それより、あんたご飯は?」

「食べたら眠くなりそうだから、食べない」

「それこそ身体に悪そうだけどね」

「だれかさんたちが寝かさないのが悪い」

「知らなーい」

 そう言いながらミズキはカレーを頬張った。美味しそうに食べるのが妙に腹が立った。僕は紙コップに残っていたお茶を一気に飲み飲み干してうさを晴らす。

 そのあと、宮副先輩は牛串を、黒崎先輩は焼きそばを買って僕とミズキのいるテーブルにやって来た。

「宮副さん、それ美味しそうですね」

 ミズキが言った。宮副先輩は「美味しいよー、一切れあげようか?」と言った。

「じゃあ、いただきます」

 ミズキは一切れもらうとカレーラスの上に乗せて食べた。食べているものも食べ方も男だと思った。黒崎先輩は上品に焼きそばを数本ずつすすっている。いつもゲームしている姿しか知らないから新鮮だった。僕の視線に気づいたのか、僕を見つめて言った。

「なに? 食べたいの?」

「いえ、いいです。大丈夫です」

 三人で一番最初に食べ終わったのは、宮副先輩だった。宮副先輩は椅子の背もたれに寄りかかり言った。

「ソフトクリーム食べようかな」

「食べたい!」

 ミズキは手を挙げた。こいつこんなに大食いだったっけ? と思った。

「僕も食べようかな」

「じゃあ、買ってきて」

 宮副先輩は急に僕にパシリを頼んだ。なんか急にハシゴを外された気分だった。「えっ?」と小声で漏らしてしまう。

「ボクたちは食後だからまだ動きたくないの、だから、買ってきてよ」

 なんていう横暴な話なんだ。僕は餌に釣られた魚のようだった。

「そういうこと。あたしなんか、まだ食べてるし」

 ミズキはさらに死体蹴りをしてきた。僕の心はボコボコになった。

「じゃあ、私の分も買ってきて」

 さらに黒崎先輩が僕にとどめと言わんばかりに、上から一〇トンの重りを落としてきた感じがした。

 僕はうなだれて声が出ない。僕は、「はい」と小さい声で言って立ち上がってカウンターに向かう。

 なんで、こんなことしなくちゃいけないんだ。なんで、こんなことしなくちゃいけないんだ。なんで、こんなことしなくちゃいけないんだ。なんで、こんなことしなくちゃいけないんだ。なんで、こんなことしなくちゃいけないんだ。なんで、こんなことしなくちゃいけないんだ。なんで、こんなことしなくちゃいけないんだ。なんで、こんなことしなくちゃいけないんだ。なんで、こんなことしなくちゃいけないんだ。なんで、こんなことしなくちゃいけないんだ。なんで、こんなことしなくちゃいけないんだ。なんで、こんなことしなくちゃいけないんだ。なんで、こんなことしなくちゃいけないんだ。なんで、こんなことしなくちゃいけないんだ。なんで、こんなことしなくちゃいけないんだ。なんで、こんなことしなくちゃいけないんだ。なんで、こんなことしなくちゃいけないんだ。なんで、こんなことしなくちゃいけないんだ。

「ソフトクリーム買って来ました」

 精一杯の明るい声で三人にソフトクリームを手渡していく。全員に渡すと、本来もらえるはずのものがもらえない。僕の方からいうこともできないから黙ったままでいる。みんな、「食後のソフトクリームは美味しいわね」とかなんとか言っている。いや待て、なんかズレているだろ、みんな、なんか忘れているだろ。僕に渡すものがあるだろ。そのソフトクリームは、高原牧場で無農薬の牧草を食べた乳牛のミルクを使っているソフトクリームなんだぞ。一つ六〇〇円するんだぞ。あなたたちみたいにまとまったお金が入る人間ではないんですよ。わかってますか? 僕はソフトクリームを食べずに握ったまま三人を見ていた。

「あー、美味しかった。ごちそうさまでした。じゃあ、行きましょうか」

「行こう、行こう」

 三人は立ち上がりミニクーパーに向かった。宮副先輩が振り返り僕に向かって言った。

「ごめん、車内で、食べるの禁止だから、ここで食べてね」

 僕はサイレンサー付きの自動小銃で撃たれた気分だった。

 車の中では、他愛もない話があった。探偵とアイドルの追いかける側と追いかけられ側の話だった。宮副先輩は過去に一回だけ、芸能人の尾行があると話をした。そのときは関係者のフリをして、近づいたそうだ。そして、家の特定をして、家の前でいると、短パンとシャツの格好をして出かけて行ったそうだ。その先は、コンビニエンスストア。そこでなにかを買うのかと思いきやなにも買わずに出て、さらにその先にあるレンタルDVDショップに入って行った。そこでは、アダルトコーナー入って行った。そこで宮副先輩は尾行をやめてしまった。芸能人といえども所詮人間なんだと思った。

「そりゃ、そうよ。あたしだって、すっぴんで出ってたらだれかわからないもん」

 おそれおおくも、そんなことはない。ミズキは化粧をしなくてもそれなりに美人だと思う。うう、そんなことを言ってしまう自分が気持ち悪い。

 とにかく、僕が起きている必然性がないまま車はどんどん南西に進んで行く。一般道に降りて、車の平均スピードが落ちる。山を越えなくてはならないので、急カーブが続く。隣をみると黒崎先輩は本を読んでいる。いつのまに読んでいる本が変わっていて、三島由紀夫の『禁色』だった。

「ねぇ、あたしはどう思う」

 おー、寝ていない僕をついに使ってくれるときがきたわけですね。話はきいていましたよ。大丈夫ですよ。

「えーとねー」

「海まで、あと二〇キロ! イエーイ」

 宮副先輩がハイテンションで片手をハンドルから離して突き上げて言った。

「イエーイ」

 ミズキもそれにつられて、両手を挙げて言った。

 僕不発。意味ないじゃん。もう、僕挫けました。勝手に話を続けててください。と思っていたら、本当に二人は話を始めていた。まったくこの二人は気があうのかもしれない。まったくやってられない。

 会話についてけないし、眠れないので、ちょっとだけミズキの方を見る。彼女は、夏休みに入る直前にちょっとした問題を起こしてしまい、芸能活動を休止してしまった。それ以来、僕のうちに居候をしている。両親と妹には適当にごまかしているが、もちろん国民的アイドル福浦瑞稀だということは知っている。向こうから出された条件は、迷惑をかけないでほしいということ。マスコミに追いかけられたりとかだ。ミズキはそれを了解した。ミズキは、その日のうちに必要なものを取ってくると同時に、長かった黒い髪の毛を、水色のショートカットにした。「これで文句ないでしょ?」彼女は自信満々に僕に言った。彼女がイメージチェンジをするとき、それは彼女が芝居やテレビドラマで役を演じる上で必要になったときだ。それ以外で、髪を切ることなどなかったはずだ。僕の家に住むためだけに彼女の髪を切らせてしまったということは、つまり、それだけ彼女が僕の家に住みたいということなのだろう。夏休みの間中ずっと家にいてゲームをしていて、後期が始まると少しは授業に出たが、あとは演劇部の稽古で演出を頑張っていた。そのときの縁があって、この三人は仲がいい。今、ミズキが笑顔で喋っているのも演劇部のおかげなのだ。

「そろそろ着くよ」

 宮副先輩が言った。看板があと一キロと出ていた。

「こっち側すごい、海だよ」

 ミズキが言った。左手側は海だった。暗くても通りの光と海に面したホテルの明かりが海を照らした。

「わー」

 僕も小さく声を上げる。海を見るのは、小学生四年生のとき以来だった。僕は小学五年生ころから家族といるのがいやになってしまった。家族といるのが恥ずかしかった。それは、おそらく反抗期の始まりで、僕が旅行に行かなくなってから、家族旅行がいなくなってしまった。僕はそのことに罪悪感を感じていないし、今も家族といることに関してはまだ少しの居心地の悪さを感じる。

 コインパーキングを探して車を止める。僕たちは、車を降りて海岸に向かう。

 だれもいない海岸。波音だけが静かに鳴っている。僕は適当なところに座っていた。僕からそんな遠くないところに黒崎先輩が座った。本を読んでいた。暗くても読むんだ。邪魔しなようにしよう。ミズキと宮副先輩は波打ち際まで行っている。「濡れた!」とか言って、なんかわちゃわちゃ騒いでいる。

「ねぇ!、こっちにおいでよ! 楽しいよ」

 ミズキが僕に向かって言った。ミズキが子供っぽいのか、僕の方が冷めているのか、どっちもなのか。

「濡れるから嫌だ」

「バーカ」

 ミズキは舌を出した。

「ほっとこうよ」

 宮副先輩がそういうと二人は再び遊び出した。

「楽しそうね」

 黒崎先輩がいつの間に近づいていて僕に言った。

「そうですね」

「私も遊ぼかな」

「えっ?」

「私も遊ぼう」

 黒崎先輩は立ち上がって二人の元に駆け寄った。「冷たい」とか言いながら海水のかけっことかを始め出した。黒崎先輩は急にどうしたんだろうと思った。あの二人が楽しそうに見えたのだろうか。そうだとしても、展開が急だと思うんだが……。

「ねー、本当にこっちに来ないの?」

 僕は腕を組んで考え込む。そんなことをしても無駄なのかもしれない。ここでノリが悪いのはいただけないし、もし、ここで一緒に遊ばなかったらきっとここに置いてかれる可能性があるかもしれない。そんなちょっとした強迫観念がありつつも、僕は遊ぶことを覚悟(?)を決める。

 僕は三人の元へと走っていく。そして、思いっきり水しぶきを立てて三人を濡らす。

「あー、もう濡れるじゃない。どうするのよ」

 ミズキは言った。

「もう今日はここで一泊ね。と、いうことで、遠慮はしないわ」

 宮副先輩は僕を思いっきり突き倒した。僕は全身びしょ濡れになる。もちろん、スマートフォンはもうお釈迦になった。

「やりましたね。僕も本気になりますよ!」

 僕たち四人は笑い合いながら海で遊んだ。

 もうすぐ冬がやってくる。今がずっと続けば良かったなんて、このときは思ってもみなかった。失って気づく大切なものってあるんだと、二一歳の誕生日になって初めて知る。それはそんなに遠くない未来だった。今なんて、長い人生のほんの一瞬に過ぎないんだ。その一瞬なんて永遠にはならないことを僕はまだ知らない。

                                  了

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