奇怪病棟

七星

第1話 101号室 薔薇が巡る





 彼らを苦しめているのは互いの存在だった。





 こんこんと白い扉を叩くと「どうぞ」という二重奏が聞こえた。耳に心地良いソプラノとテノール。


「こんにちは」


 挨拶をしながら扉を開けると「こんにちは」という二重奏が再び返る。

 病室の中には二人の少年と少女がいた。綺麗に一人分のベッドを二つ並べて体を添わせている。


 まるで鏡合わせだ。


 少年の左手と少女の右手には針が刺さっていた。一本のチューブが互いの腕を繋いでいる。


「調子はどうですか?」


 尋ねて、そこにあった椅子に座る。

 良く似た顔をした二人はしかしながら全く違う表情をして、同じように首を横に振った。


「何もないわ。あなたも大変ね。週に一度は来るでしょうに、緊急で呼び出されて。他の人のカウンセリングもあるのに」

「姉さん失礼だよ。あと他人事みたいに言ったら駄目だよ、先生が来るのは僕らのためじゃないか」

「私達の『せい』の間違いじゃないのかしらね」


 毒を吐く姉に苦笑して、肩口で髪を切りそろえている少年は眉を下げた。


「姉さんは仕方が無いなあ、もう」

「あなたこそね。今回はあなただったじゃないの。危うく死ぬところだったわ。あなたの勘の鈍さのせいで」

「それはごめんってば」


 ぽんぽんと交わされていく会話。キャッチボールというよりお手玉のようだ。左手が彼、右手が彼女。僕は少年のほうに顔を向けた。


「今回は君だったのですね」

「そうですね、僕でした」


 恥ずかしそうに笑う少年。彼は人に注目されるということに慣れていない。それがどんなことであろうとも。姉と違って誰にでも優しい彼はひどく大勢に好かれたらしく、姉が守ってやらなかったら今頃ストーカーに襲われていただろうというのは当の姉の言葉だ。


『だって私達無駄に綺麗な顔してるんだもの。毒の一つでも覚えないと、生きていけないわ』


 この病棟に来たばかりのころの彼女の言葉がぼんやりと思い浮かんだ。彼女の言葉に生える棘は弟という薔薇を守るためのものなのだ。


「先生。あの、先生、聞いてますか?」

「……ああ、聞いてますよ。どんな夢だったんですか?」


 記憶の霧を振り払い、薄く微笑んで彼に向き直る。


「ええっと、最初はすごく綺麗なところでした。古典は最初の方しか習ってないけど、かぐや姫の話に出てきた桃源郷ってきっとあんな感じなんだと思います」


 少年が顔をほころばせるのとは対照的に、姉は呆れたとでも言いたげに目を眇めた。







 彼らは奇病に冒されている。彼らだけでなくこの病棟にはそういう人ばかりが集められているのだ。今の科学ではどうしようもない病に冒された人々が隔離されている。ここが、あまりにいびつで、人間社会にはどうしてもとけ込めない彼らの安息の地なのか、それとも牢獄なのかは彼らにしか分からない。

 そんな病棟に棲む目の前の二人は、互いの血を定期的に交換しなければ死んでしまう。末期の癌が体中のそこかしこに現れるのだ。

 さらに、血を交換しているときも彼らは安全ではなく、必ず二人は同時に同じ夢を見る。そしてその夢の中ではどちらかが必ず記憶を失っているという。

 そんな夢の中で、彼らは互いの血を交換しなければならない。血を表す何かを体の中に取り込まなければならない。






「今回は、何だったんですか?」

「薔薇よ」


 答えたのは姉だった。皮肉気な笑みを口元に刻んでいる。


「薔薇だなんてこの子にぴったりよね……ぴったりというよりそっくりかしら……ねえ先生?」

「? 僕は人間だよ、姉さん」

「……本当にあんたは壊滅的に察しが悪いわね」

「薔薇を食べたんですか?」

「あ、はい、そうです」


 彼らの優しい口論をばっさりと断ち切ったので、少女の方から恨めしげな視線を注がれた。けれど放っておくと彼らは日がな一日話しているので仕方が無い。


「血の交換中に死にかけたことが何度かありましたよね。あれ全部僕が記憶失ったときなんです。今回もちょっと死にかけになりかけて」


 もちろん知っている。すべて記録してあるのだから。

 おかしな言葉遣いをしながら彼は自分の頭をこつんと叩く。


「もうちょっと僕が頭良くて聞き分けよかったらなあって思うんですけど」


 結局今回もなんとか薔薇を食べたものの、予想以上に時間がかかってしまったという。確かにいつもより随分長かった。そのせいでカウンセラーである僕が来ることになったとも言える。


「本当に気をつけてほしいわ。毎回私が記憶を失うわけにはいかないのだから」

「うん、ごめん姉さん」


 素直に謝る少年ときつい物言いの少女を傍から見たら、やはり少年のほうに好意を抱くだろう。少年のために少女が毒を身につけたと知っている僕は、少し可愛そうだと思ってしまう。


「あの、先生、そろそろ夕方ですけどいいんですか?」


 顔を上げる。申し訳なさそうな少年の傍らで、少女が興味を失ったかのようにレコーダーにイヤホンを繋げて音楽を聴いていた。


「ああ、そうですね、それじゃあそろそろ……」


 腰を上げた途端、あ、先生、と弱めの声がする。少年が柔らかく笑っていた。


「いつもの、届いてませんか」

「……ああ、これですね」


 僕は鞄の中からまとまった五通ほどの手紙を出して手渡す。


「ありがとうございます」


 ちらりとその手紙を見て、彼はそれを申し訳なさそうに小さく折りたたんでごみ箱に捨てた。少女はそれに気づかない。気づいても「またなの?」とでも言いたげに見つめるだけなのだろうが。

 一般にラブレターと呼ばれるものがただの紙くずになってしまった。やはり少し残念だとも思う。

 少年はちらりと姉を見た。彼女はぼんやりと窓の外を見つめていて、僕らのことなどもう感知していない。

 それを見て、少年はくすりと笑った。


「全く、変な虫がつくんだから困りますね」


 さっきの柔らかな天使のような微笑みは消え去り、人を誑かす悪魔の如き唇をゆらゆらと歪ませていた。

 ゴミ箱の中を汚泥でも見るかのような視線で満たす。


「どうしてでしょうね……ここの人達は僕のことをあんまり好いてはくれないみたいで……まるで、外とはあべこべだ」


 先ほどの手紙の宛名は少年宛ではない。それを知らないのは、彼の姉である少女だけだった。


「またお願いしますね、先生」

「……本当に、薔薇のようですね」


 僕は苦笑した。

 彼は再び、徒花のように笑うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る