イロナ・コルヴァンの日記
四月九日
いまいましいジョン・セワードの言葉どおり、文明の光を前に敗れたわたしは、幻想と迷信の時代は終わったのだと強く意識せざるをえませんでした。いいえ実のところ、以前からその事実を薄々と感じてはいたのです。都合よく目をそらしていただけで。
Vasorru babaも六本脚のparipaも死に、ismejuの国への入り口はいつの間にか閉ざされ、stregoicaになれる才を持つ娘も明らかに減ってしまいました。動物たちも昔とは違って、人間のような複雑な思考をしなくなったように思われます。最近ではカンタンな命令に従ってくれるだけです。首占いを始めとして、いくつか使えなくなった魔術も少なくありませんし、まだ使える魔術も少しずつ効力が弱まっていると言わざるをえません。まるで文明の光が世に満ちれば満ちるほど、迷信の暗闇が消え失せていくかのように。
実際、わたしの精神力はギリギリでした。あとほんの少し拷問が続いていたら、限界を迎えて洗いざらいしゃべってしまったかもしれません。あやうく大事な生徒たちを危険にさらすところでした。
その窮地からわたしを救ってくれた偽警官は、セバスチャン・モラン大佐と名乗りました。彼は会わせたいひとがいると告げ、わたしはピカデリー通りにある最高級ホテル、リッツ・ロンドンのスイートルームへと連れていかれました。
そこでわたしを待ちかまえていたのは、初老の男性でした。彼は背が非常に高くやせていて、額は白い弧を描いて突き出し、両目は深く沈み込んでいました。綺麗にひげの剃られた顔は青白く、苦行者のようで、学者のような雰囲気の顔立ちでした。背中は丸まり、突き出た顔はずっと横にゆっくり揺れていました。まったく似ていないにもかかわらず、わたしは不思議と、彼からドラキュラ伯爵に似た何かを感じていました。
まるで奇妙な爬虫類のようなしぐさで、彼は目をすぼめてわたしを興味深げに見つめました。
「お初にお目にかかる。スコロマンスの魔女よ。私はジェームズ・モリアーティ、ダラム大学の元数学教授だ。以後お見知りおきを」
「わたしはトランシルヴァニア公ヤーノシュの娘、ハンガリー王にしてボヘミア王マーチャーシュの妹、そしてトランシルヴァニア公ドラキュラ伯爵夫人イロナ・コルヴァンよ。ひとまず窮地を救ってくれたことに礼を言っておくわ」
「恩義を感じる必要はない。私は私の目的があって、君を助けたにすぎないのだから。あくまで対等の立場で、君と取引がしたい」
「取引?」
「つまり君にもメリットがあるということだ。私に協力してくれたら、ドラキュラ伯爵殺害に関わった連中を見つけて差し上げよう」
「なるほど。こちらの事情はすべて把握済みというわけね。でもあいにくだけれど、そういうことなら間に合っているわ。連中の捜索は、シャーロック・ホームズに依頼しているから」
わたしがそう答えると、モリアーティはひとを小ばかにするような薄ら笑いを浮かべた。怖気が走るほど酷薄な笑みだ。
「ホームズを頼ったのはうかつだったな。彼はああ見えて、英国と女王陛下に深く忠誠を誓っている。それゆえ、英国法に背くような行為を基本的には好まない。君の本来の目的が復讐だということを、あの男は最初から見透かしていたのだ。ドラキュラ伯爵の仇敵たちはホームズの警告を受け、すでに身を隠してしまったよ」
それを聞いてわたしは愕然としました。けれども同時に、本で読んだシャーロック・ホームズという男ならば、そういう行動を取りそうだと腑に落ちました。むしろそれでこそと言うべきでしょう。
「なに、そう落胆することはない。シャーロック・ホームズがコンサルタント探偵なのとは逆に、この私は犯罪のコンサルタントなのだ。くだらん法の縛りなどなく、君の復讐を手助けできる。わが組織力を駆使すれば、多少時間はかかるだろうが、おびえて逃げ隠れする連中を捕らえて、君の前に引きずり出すくらい朝飯前だ。それに、君は万全の態勢で待ち構えていたにもかかわらず、ジョン・セワードにおくれを取った。ほかの者たちも同等以上に手ごわいだろう。君ひとりで立ち向かうのは限界があるのではないかね?」
その指摘に、わたしはまったく反論できませんでした。トランシルヴァニアの土が詰まった棺桶は郊外の林に埋め、けっして見つからないようにしました。絶対的に有利な状況で戦うため、夜に敵が出てこざるをえない事態を作り上げました。それでもわたしは、敵に一枚上をいかれてしまったのです。しかもまったく想定外の手段で。それを思うと、モリアーティ教授の提案は実に魅力的でした。
「……確かに悪くない話だわ。でも口だけなら何とでも言える。まずは手始めに、ジョン・セワードをここへ連れて来てちょうだい。わたしに恥辱を味わわせた報いを受けさせてやるわ」
「どうしてもというのならかまわんが、あまりおすすめしないな」
「なぜ?」
「セワードは今のところゆいいつの手がかりだ。ほかの仲間から連絡が入るかもしれないし、その逆も期待できる。しばらく泳がせておけばいい。むろん万が一にも逃げられないよう、厳重に監視をつけさせるから、そこは安心したまえ」
「……わかったわ。連中を見つけて捕まえるのは、おまえたちに一任する。それで、交換条件にわたしは何をすればいいのかしら?」
「なに、カンタンな仕事だ。スコロマンスの魔女の力を借りたい」
モリアーティ教授は、新聞のとある切り抜きをわたしに見せました。それは四年前の八月八日と九日の『デイリーグラフ』紙で、ホイットビーに漂着した幽霊船デメテル号に関する記事でした。姿を消した乗組員たち。操舵輪にロザリオとともに縛りつけられたひとりの死体。積み荷は肥土が詰められた大きな木箱五十箱だけ。そして甲板のしたから飛び出して走り去った巨大な犬――目を通してすぐ、これは伯爵が英国へ上陸した際の記録だとわかりました。
「私がドラキュラ伯爵を知ったのは、残念ながら彼が討たれたあとだった。しかしそこから興味をいだき、吸血鬼という存在についてあれこれ勉強させてもらったよ。単に不死身なだけでなく、君たちは実に多彩な能力を有しているね。そのうち私が頼りにしたいのは、オオカミへの変身能力だ。それも怪物じみたオオカミへの変身だ」
モリアーティ教授はわたしに、悪だくみの詳細を明かしました。
「君には、バスカヴィル家の魔犬を演じてもらおう」
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