四月九日
私が目を覚ますと、すでに夜が明けていた。徹夜続きと事件のストレスで疲労がたまっていたのだろう。てっきり警察署の留置所かと思いきや、そこは病室だった。まぎれもなく私の病院だ。一方で伯爵夫人の拘束は解かれ、どこにも姿がなくなっていた。
私はわけがわからなかった。あの警官隊は、私を逮捕したのではなかったのか。小一時間ほど悩んだすえ、私は勇気を出してスコットランドヤードへと出頭することにした。
受付でレストレード警部を呼び出してもらうと、なんと現れたのは、昨夜の男とは似ても似つかぬブルドック顔だった。私はますます困惑した。では、あの連中はいったい何者だ?
帰宅する気が起きずアテもなく歩いていて、ふと気づくと私の足はベーカー街221Bへと向いていた。名探偵シャーロック・ホームズならば、この不可解な出来事の謎を解いてくれるかもしれない。
「いらっしゃってよかったミスター・ホームズ。実を言うと、おとといの夜も訪ねたのですが、あいにく不在だったものですから」
「ああ、申し訳ありません。ちょうど入れ違いになってしまったようです。急な依頼でノーバリまで出張していまして」
「そうでしたか。無事に事件は解決できましたか?」
「……それがお恥ずかしい話でして、この僕としたことがあまりに見当違いな推理をしてしまいました。問題にならなかったのは、本件が犯罪には無関係だったことと、とある父親の深い愛があったおかげです。僕はおのれをけっして過信しないよう、『ノーバリ』を一生記憶に刻みつけるでしょう。ところで、本日のご用件は? ドラキュラ伯爵に関して何か思い出されたとか?」
私はわずかに逡巡して、結局は吸血鬼に関する部分だけを伏せて、事情を語った。あの偽レストレード警部の言葉が耳に残っていたせいだ。狂人扱いされるのは御免こうむる。伯爵夫人については隠して、患者を拷問しているという名目で偽警官に押し入られ、気絶しているあいだに患者がいなくなっていたと伝えた。
「犯人たちの目的は実に明確です。おそらくその患者を精神病院から連れ去ることにあったのでしょう。むろん警官のフリをしたのは、あなたに抵抗させないためだった。善良なロンドン市民なら、警察に抵抗しようとは夢にも思いませんからね」
「ええ、そこまではわかります。しかし、誰がなぜそんなことを」
「その先を推理するには、まだ情報が少なすぎます。せめて患者の素性をもっとくわしく教えていただかなくては」
「……あいにくですが、医師として守秘義務がありますので」
「そうですか。でしたらお引き取りを」ホームズは毅然とした態度で言い放った。「僕は事件の両端に謎があることを好みません。依頼人に隠し事をされては、こちらも仕事になりませんからね」
「そこを曲げて、何とかお願いします。この患者は非常に危険な性質です。とてつもなく暴力的で、野へ放たれれば確実に犠牲者が出るでしょう。即刻ゆくえを見つけ出して、ふたたび隔離しなくては」
「どうあっても真実を語るつもりはないようですね」
「ご理解いただきたい。これはとてつもなく微妙な問題なのです」
「いいえ。何も教えていただけないのでは、理解しようがない」
「……なるほど。私が医師としてのポリシーを曲げられないように、あなたも探偵としてのポリシーを曲げられないのですね。ご無理を言って申し訳ありません。……ですがせめて、偽レストレード警部の正体に心当たりがないかだけでも、教えていただけませんか?」
「まあいいでしょう」ホームズは肩をすくめた。「どんな男でしたか? まさかそれも言えないということはありませんよね」
「もちろんですとも。まず、年配の男でした。細く突き出た鼻に、高く禿げ上がった額、白髪交じりの立派な口ひげをたくわえていました。顔はやせて浅黒く、深く獰猛なシワが刻まれていました。それから青い瞳に、だらりとしたまぶたでしたね」
私は思い出しうるかぎりあの男の人相を伝えた。するとホームズの顔はみるみるうちに赤みが差し、興奮を抑えきれぬ様子だった。
「――セワード先生。あなたはどうやら運がいい。ロンドンで二番目に危険な男から襲われて、かすり傷ひとつで済んだのですから」
「ミスター・ホームズ! あの男が何者かごぞんじなのですか!」
「セバスチャン・モラン。元インド陸軍大佐。そして現在は女王陛下ではなく、べつの皇帝に仕えています――犯罪のナポレオンに」
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