その後
来客はなんと、あの名探偵シャーロック・ホームズだった。助手のワトソン博士も一緒だ。有名人の唐突な訪問におどろかされた私だが、その用件にはさらに度肝を抜かれた。
ホームズは開口一番こう告げたのだ。「以前、こちらの精神病院の裏にあるカーファックス屋敷で暮らしていた、ドラキュラ伯爵という人物について、何かご存じですか?」
私はおどろきのあまり、心臓が止まるかと思った。動揺を抑えつつ「昨夜の事件ですか」と私が返すと、ホームズは理解できない様子で首をかしげた。てっきり吸血鬼の存在を知っているのかと思ったが、だったらなぜこのタイミングで伯爵のことを詮索するのか。
相手の目的がわからない以上、下手に伯爵の話をするわけにはいかない。四年前のあの出来事は、おそらく無関係な人間からすれば実に荒唐無稽で、デタラメとしか思えないだろう。精神病院で狂人ばかり相手にしているうちに、自分も頭がおかしくなってしまったのかと疑われかねない。ひとまず様子を見ることにした。
「ドラキュラ伯爵? 四年前にカーファックス屋敷へ誰かが引っ越してきたようなのは気づいていましたが、そんな名前のかたでしたか。一度も顔を合わせないうちに、またどこかへ引っ越してしまったのか、いつのまにかあそこは孤児院になっていましたね」
「孤児院はあなたのご友人である、ゴダルミング卿の慈善事業だそうですね。何でもロンドンじゅうの空き家を借り上げて、孤児院や救貧院を次々設立しているとか」
「ええ、そのようですね。彼から以前、そんな計画を聞いたことがあります。まさかうちの裏に出来るとは思っていませんでしたが」
「ゴダルミング卿とあなた、それともう一人で、ルーシー・ウェステンラという女性を奪い合っていたそうですね」
「ええ、まあ。彼女は結局、アート――ゴダルミング卿アーサー・ホルムウッドと婚約しましたが。それが何か?」
「その三人目の恋敵というのが、ドラキュラ伯爵だったのでは?」
ホームズのその一言で、私はついカッとなってしまった。
「三人目はテキサスのクインシー・P・モリスだ! この世に男のなかの男がいるとすれば、それは彼以外にありえないだろう! だというのに、よりによってあんな卑劣なヤツと間違えるとは――」
私は冷静さを取り戻して口をつぐんだ。しかし私がドラキュラ伯爵を知っていると、もはやホームズに悟られてしまっただろう。もっとも、彼は最初から私が知っていると確信していたに違いないが。
かと言って、事情をすべて明かすのはやはりためらわれた。ワトソン博士の伝記を読んだかぎり、シャーロック・ホームズは科学の信奉者だ。ホームズに吸血鬼の存在を信じてもらえるかわからなかったし、たとえ信じてくれたとしても、吸血鬼との戦いに彼らを巻き込んでよいのか、すぐには判断がつかなかった。
だが、そこで私はふと気がついた。警察は犯罪の疑いがあれば自主的に捜査するが、私立探偵は違う。誰かに依頼されて初めて動くものだろう。ならばホームズも、誰かに頼まれてドラキュラ伯爵の件を調べているはずだ。タイミングからしてその依頼人とは、昨夜の事件を起こした吸血鬼なのではないだろうか。だとすれば、下手にこちらの情報を明かすのは危険かもしれない。
「……ご足労いただいたのに申し訳ありませんが、私からお話できることはありません。どうぞお引き取りください」
「そうですか。ですが、もし何か思い出しましたらご一報ください。どんなささいなことでもかまいません」
「そのときは、こちらからベーカー街221Bに出向かせていただきますよ。実は一度行ってみたいと思っていたんです」
ホームズたちを追い返してから、私は娼婦殺しの犯人を捜しに出かけた。まだ昼前だし、日没までは十分時間があった。贅沢を言えば、今日じゅうに吸血鬼の隠れ家を特定しておきたいところだったが、さすがにそれはむずかしいだろうとは承知していた。
夜の吸血鬼は無敵だ。十字架やニンニクなどでこちらへ近寄らせないことはできるものの、けっして倒せはしない。ゆえに、吸血鬼が昼間に棺桶で眠っているところを襲う以外、人類に勝ち目はない。逆に言うと、日中の寝込みを襲ってしまえば、生かすも殺すもこちらの意のまま。赤子の手をひねるよりもたやすい。
また、たとえ夜に吸血鬼と対峙するハメになったとしても、こちらとて四年前のままではない。新たな奥の手がある。もっとも実際に試すのは初めてなので、上手くいくかどうかは正直なところ五分五分だ。しかし、やってやれないことはないだろう。
ましてや今回の敵は、あのオスマン帝国を蹴散らした無敗の将軍ではないのだ。ヴァン・ヘルシング教授も以前こう言っていた。もしほかのアンデッドがドラキュラ伯爵と同じ企てをしたとして、後にも先にも実現できる者はいないだろう、と。
伯爵があんなにもおそろしかったのは、けっして吸血鬼だからではない。吸血鬼だからあんなにも手ごわかったわけではない。伯爵が持っていた真の武器とは、そのたぐいまれな頭脳と、不利と悟ればいさぎよく退き、また何度でも挑戦する執念深さだった。それに比べれば、ほかのどんな敵もおそるるに足らず。
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