四月一日

 昨夜、オリエント急行で密室殺人事件が発生しました。

 殺されたのはルーマニア貴族の娘で、サンダ・ルクサンドラ十四歳です。婚約者とともにパリ見物へ向かう途中でした。婚約者のグーラ・カスカは四十三歳、コンスタンツァで貿易会社を経営しています。ふたりは親子並みの年齢差ですけれど、これは没落貴族ルクサンドラ家の借金を肩代わりする見返りとして、娘をもらい受けたという事情らしいです。当然ながら、サンダは婚約者に好意を抱いてはいなかったようですね。婚約者を罵るサンダの姿が、ほかの乗客たちに何度も目撃されています。かく言うわたしもその一人です。

 第一発見者はカスカでした。食堂車でのディナーのあと、午後十一時半過ぎにサンダは先に寝ると言って客室へ戻り、その後カスカはほかの客と酒を呑みながら、午前一時ごろまでカード遊びに興じていました。客室へ戻ると扉が施錠されていたため、鍵を使って室内へ入り、変わり果てた婚約者の遺体と出くわしたそうです。

 遺体は客室のベッドに横たわっており、どうやら眠っているあいだに殺された様子。首を切断され、心臓がえぐり出されていました。

 偶然乗り合わせていたベルギー人刑事が、現場検証を行いました。

「これは万が一にも生き延びさせまいとする、犯人の執拗さを感じるな。傷口の切断面はかなり荒いし、よっぽど切れ味が悪いか、こういった作業には不向きな種類の刃物を使用したようだ。凶器はたぶん、犯人が窓から投げ捨ててしまったんだろう」

 また、こちらも偶然乗り合わせていた医師が検死し、体内から血液がほとんど失われていることが判明しました。

「私は専門ではないので断定はできかねますが、おそらく被害者が失血死してから、遺体を損壊させたのではないかと」

 一方で不思議なことに、室内はほとんど血で汚れていませんでした。いったい流れ出た血はどこへ消えてしまったのでしょうか。

 おかしな点はもうひとつあります。部屋は内側から施錠され、窓にも留め金がかけられていました。つまり完全な密室です。鍵は乗客にわたされるものと、車掌が管理しているものを合わせて二本だけ。どちらも盗まれておらず、鍵をこじ開けた形跡もありません。となると、犯人はどうやって逃走したのでしょうね。

 はたして事件の顛末は、婚約者のカスカ逮捕で決着しました。

「嘘じゃない! その時間は腹をこわして便所に行ってたんだ!」

「そうはおっしゃるがね、そいつを裏づけられる人間は誰もいないじゃないか。三十分も時間があれば、犯行は十分可能なはずだ。それに鍵を持ってるおまえさん自身なら、密室もクソもない」

 被害者の血がどこかへ消えてしまったのは、犯人が返り血を浴びないために、まず窓の外へ血抜きしたからでしょう。線路沿いを調べれば、どこかに血がばらまかれているはずです。もっとも、あまりに範囲が広すぎて場所の特定はむずかしいでしょうけれど。

「つれない態度の婚約者がそんなに憎かったか? この外道め」

「だから違うんだって……俺は犯人じゃない……」

 こうして凶悪な殺人事件は迅速に解決を迎えたのです。犯人は次のブダペストで降ろされ、最寄りの警察署へ連行されました。結果として、オリエント急行は定刻通り走り続けられています。

 とはいえ何を隠そう、真犯人はこのわたしなのですけれど。

 鍵が施錠されたままでしたのは、魔術で塵に変身して鍵穴から侵入したから。招かれていない家には神の加護が働くので入れないのですけれど、列車の客室は乗客にとって家ではありませんし、どちらにせよ、わたしも乗客として車内にいるから関係ないのです。

 最初にブカレストの駅で見かけて、彼女には目をつけていました。血をほんのちょっと飲ませてもらうだけのつもりでしたけれど、あんまり美味しかったからついつい飲みすぎて、うっかり失血死させてしまいました。現場に血が残っていなかったのはそのせいです。

 wampyrに血を吸われて死んだ者は、wampyrになります。しかしこの旅行は隠密行動が原則です。成りたての眷属なんか足手まといになるのは明らかですし、そもそもwampyr騒ぎが敵の耳に届いたら、こちらの動きが気取られるかもしれません。なので万が一にも蘇生しないよう、首を切り離して心臓をえぐり出しました。傷口が荒かったのは、爪と歯を使ってムリヤリ引きちぎったからです。

 やれやれ、いきなり計画が頓挫するところでした。もしこんなことがアマーリアに知られてしまったら、「ほら、それ見たことですか。やっぱりわたくしがお供するべきでしたね。イロナ様をひとりにしておくのは危なっかしくて」とか何とか言うに決まっています。『緋色の研究』の名探偵ホームズみたいなのが乗り合わせていなかったのが不幸中の幸いでした。いえ、まあさすがにあんな現実離れしたキャラクターが実在しているはずはないけれど。

 ひょっとしたら自覚がないうちに、わたしは浮かれた気分になっているのかもしれません。なにせこんな冒険は四百年ぶりなわけですし。反省して、ここからは気を引き締めませんと。

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