第二部

エイブラハム・ヴァン・ヘルシング教授の手記

一八八五年九月二日 ドーバー海峡洋上

 船がロンドンへ到着するまで暇なので、ブダペスト大学のアルミニウスがトランシルヴァニアで採集した民話を読み返した。おそらく十五世紀以降に成立し、時代を経て変遷したものだろう。なかでもスコロマンスにまつわる言い伝えには、非常に興味をそそられる。ただし私はハンガリー語に不慣れなので、細部を理解できているかどうかは怪しいところだ。例えばガチョウの足の上で回転する城などといった奇妙な描写は、もしかしたらハンガリー語特有の慣用句か何かなのかもしれない。あと、竜が馬に乗るというのも理解に苦しむ。そのあたりの注釈を訊くため、今回の用事が終わったらブタペスト大学を訪ね、アルミニウスに直接訊いてみるのもよいだろう。

 さて、わが命の恩人ジョン・セワードたっての頼みで、私は一名の奇妙な患者を診察することになっている。患者はルーシー・ウェステンラという若い女性だ。手紙に記載されていた症状を読んだかぎり、これはどうもただの貧血症とは思えない。むろん、実際に診察してみないことには断言できないが、何か嫌な予感がする。

 しかしどんな原因があるにせよ、かならず科学的に説明できるはずだ。例えばトランシルヴァニアの民話に出てくる、吸血鬼のしわざなどということは絶対にありえない。そんなものが現実に存在するワケがないのだから。ひとの生き血を啜り、永遠の若さを謳歌する不死身の怪物など。もしも仮に吸血鬼が実在するというのなら、ぜひともお目にかかってみたいものだ。

 さて、もうすぐテムズ川の河口へ入るようだ。このくらいにして、そろそろ下船の準備をするとしよう。

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