孤高と孤独(3)



 帝国直属騎士たちは秘密裏に召集され、シルバレーヌ卿についての情報が共有された。

 エウィンはこういう情報は一体、誰がどこで仕入れているのか、と気になりはしたが、こうして自分たち以外にも、密かに国を支えているものが存在すると知れるだけで十分だった。自分も与えられた任務を全うすれば良い。

「エウィン、お前最近メイドといい感じらしいな〜」

 会議の後、先輩騎士にエウィンは声をかけられていた。彼の名はマバロフ・タオマクロ。一番エウィンを気にかけてくれる、この騎士団の副隊長だ。

「いい感じって……。そんなんじゃないですよ」

「本当かー? 別に責めてるわけじゃねぇんだぞ? 男なら惚れた女に一途でいろってな!」

 豪快に笑い声をあげ、マバロフはエウィンの背を叩いた。

 彼は愛妻家として有名だ。子供も2人いる。

「違いますよ……」

「まだ言うか! 認めないのはお前の勝手だが、気がついた時には誰かに取られてましたー、なんてことにならないようにな」

 こればかりは余計なお世話だ、とエウィンは思った。

「ま、お前顔良いし。他に気になる奴でもいるのか。おれは彼女、いいと思うんだけどなー」

 マバロフはどうやら、そのメイドが誰かということまで知っていて、エウィンに話しかけたらしい。最後に「ま、頑張れ!」と残してマバロフは去っていった。


(そんなんじゃ、ない……)

 エウィンはローシェのことを思い浮かべる。

 彼とて今年で24。それなりに女性と付き合ったことはある。だが、ローシェとの関係は今までのそれと全く当てはまらない。

 女性たちは皆、騎士である彼に憧れてあれやこれやとアプローチしてきたが、付き合って数ヶ月も経てば自然と離れていった。

 若き逸材として仕事に励むエウィンは、彼女たちが思っている以上に忙しく、会えない日が続き、彼に抱いた騎士として自分を大切に守ってくれるという幻想が打ち砕かれたらしい。

 一方でローシェは、大きく捉えれば仕事仲間だ。メイドという職業柄か、気が効くし毎日顔を合わせる。それに彼女といる時は気が楽だった。

 そこまで考えて、エウィンは眉をひそめる。

(……違う、よな?)

 どうしてだか、ローシェの良いところしか思い浮かばない。多少強引に物事を決めるときはあるが、そのくらいどうって事ない。

 エウィンは雑念を振り払うように、首を左右に振った。

(そんなことはいい。今は仕事に集中しよう)

 今はシルバレーヌ卿だ。

 誘拐した女性たちを一体どうしているのか、何を企んでいるのか、明らかにしなければいけないことが山積みだった。


 彼らはまず、女性を攫っていると思われる行商人を捕まえた。尋問するが、彼は自分が無実だということしか主張しない。シルバレーヌの名を出せば、態度が一変したが。

 彼は自分の保護を条件に、シルバレーヌが何を企んでいるのか吐いた。

 皇帝が睨んでいた通り、集めた女性を盛大に闇取引に出し、その対応で城の警備が薄くなったところで皇帝を殺そうという、簡単な策謀だった。

 それくらいなら前もって知っておけば、幾らでも対処できると判断した皇帝は、そのまま決行の日を待つことにした。


 ***


 準備は整い、後は返り討ちにしてやるだけ。

 ローシェはその事を全て把握していた。

(シルバレーヌ卿もここまでか)

 探れば探るほど、悪事が明らかになったシルバレーヌはもう表に顔を出すこともなくなるだろう。

 今日もこうして、自分の陰謀がバレていないと思って、あの男と密会している。

 ちなみにその男の素性もわかっている。そこそこ腕の立つ殺し屋だ。

 ローシェは事細かにシルバレーヌ卿の行動を報告し、決行日のあたりをつけた。

 その翌日も相手に気がついているのを悟らせないように、ローシェはいつも通りの生活を送っていた。

 こんな日であるにも関わらず、彼女は仕事終わりのエウィンを思って、茶葉のブランドをしていた。

「そうだ。疲労回復にハーブを摘んでこよう」

 医務室の近くにある庭園で、少しハーブを分けてもらおうとローシェはすぐ行動に移る。

 世話をしている庭師に許可をもらい、彼女はハーブを手に満足して城の中に戻ろうとした。

 カシャンっと何かが床に落ちる音がして、ローシェはそちらを見た。

(え?)

 医務室にいた医師が何者かに襲われている。

 慌てて姿を隠し、彼女は窓から中の様子を伺った。

 年老いたベテラン医師を襲っていたのは、見習い医師のペーター・ヌガレスだった。

 予想外の事態に、ローシェは目を見開いた。

 ペーターは一年前からこの城で働いている。もし、彼が今日の為に用意された密偵だったら。ローシェにバレず息を潜めていたとしたら。腕は相当なものだろう。

 彼女はすぐにでもこの事を皇帝に報告しなければ、と気配を殺して城に向かう。

(医師を捉える……もしかすると、毒殺するつもり?)

 きっとそれが答えだろう。皇帝に毒を盛り、医師を使えなくしておけば、成功する確率はぐっと上がる。

「ローシェ・フェルナー」

 その声を聞き、ローシェは自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。

 今向かっているのは、使う者の少ない城の中に繋がる裏門。

「見ちゃったんだよね? 僕があの医者を襲うところ」

 それを聞いた瞬間、振り返って誰かを確かめるまでもなく、ローシェは走り出した。城の中にさえ入れればまだ何とかなる。

 しかし、ペーター・ヌガレスが追いつくのが早かった。

「離して!」

「それは出来ない。僕、君に興味があったんだ。だって、君、皇帝の犬だろう?」

 ローシェの正体はペーターに知られていた。

「最初はまさかと思ったよ。僕、そういうのは見た瞬間わかるんだけど。君、凄く自然にここに馴染んでるから、わからなかったんだ」

 ローシェは自分の腕を抑え込む男から、どうにかして逃げなければということしか、考えていなかった。

「まさかこんなに可愛い子に、密偵やらせるなんてね」

 ペーターは直ぐそばの城の壁に、彼女を追い込んだ。

(どうする。どうする……)

 ローシェは相手を尾行したり、暗号を解読したりすることはできるが、それ以外は他の女性と何も変わらない。成人男性の力に敵うはずがなかった。

 片手で両手を頭の上で押さえつけられ、ローシェは足で対抗するが、足の間を片足でスカートの上から抑えつけられ、それも上手くいかなかった。

「ごめんね。少し眠ってて」

 ペーターはそう言って小瓶を自分の口に含ませると、ローシェと唇を重ねた。彼女は驚いて離れようと抵抗するが、それは不可能。息が苦しくて、呼吸しようとしたところで液体が喉に流れ込んだ。

 その瞬間、ローシェの身体から力が抜ける。

「おやすみ」

「まっ、て……」

 ローシェが手を伸ばすも、ペーターには届かない。取り残されたローシェは、瞼が次第に重くなっていくのがわかった。

(誰か……)

 そう考えて辞めた。自分が居なくても、それに気がつく者がいるはずなかった。

 自分は仕事を失敗すれば、捨てられる。

 そんなことはわかっていたし、辞めたいと思ってもそれでしか、彼女は存在価値がない。孤児院から引き抜かれたときに、ローシェの人生などたかが知れていた。

(誰も来ないで……)

 だから次にローシェはそう思った。

 果たして自分がどんな薬を盛られたのか、彼女はわかっていなかった。ただ、あの男は口でそれを移したので、猛毒ではないと信じる。とするとこれは完全に自分の失態なのだ。誰にも知られたくない。

 ローシェはそこで意識を手放した。



 誰も通らない、城の外。

 冬の冷たい風が、彼女さえ気がつかないまま、身体を突き刺す。

 ローシェは少しだけ外に出るつもりだったので薄着だった。さらに不運なことに、放置された場所が城の壁に囲まれた日陰。

 彼女の身体は冷たくなっていくのだった。



 ***


 シルバレーヌ卿によって集められた女性たちは、待機していた騎士たちに保護された。

 城の方も皇帝が襲われかけたが、速やかに対処され、騒動の熱は広がるまえに消えていった。

「上手くいった。これでヤツを裁ける」

 皇帝は満足そうな表情だ。長年シルバレーヌには手を焼いていたらしい。

「あの子に何か褒美をやらないとな?」

 側にいたエウィンに皇帝は問いかけるが、エウィンには何のことだかわからない。

 皇帝もそのことがわかったらしく、驚いた表情になった。

「なんだ。お前たちが恋仲だという話を聞いたから、わたしはてっきり知っているのだとばかり思っていた」

「へ、陛下。それは一体何の話で?」

 エウィンは嫌な予感がしていた。

「もちろんローシェとのことだ。あの子も真面目だから、お前にすら仕事のことを言っていなかったんだな。優秀な子だよ」

 皇帝が感心しているのはわかったが、肝心なローシェの仕事というものがわからない。

「フェルナーは何を?」

 ここには今、エウィンと皇帝しかいない。

 エウィンは皇帝の口から、ローシェが城で密偵をしていることを聞かされ、驚きを隠せなかった。

「いつから……」

「ここに来てからずっとさ。その前には訓練もあったが、その時から彼女は口が固くて賢い子だった」

 皇帝は彼女の昔を振り返って、ぽつりぽつりとその断片をエウィンに話す。

「この役が必要だったとはいえ、彼女には苦労させている。……誰も信じるなと教えているからな。頼れる者もいない」

 彼はそう言って、エウィンを見つめた。

「……どうして、それを俺に?」

 エウィンは皇帝の考えていることが読めない。

「そうだな。きっとこれはまだ幼かった子供を孤児院から引き抜いたことに対する、罪悪感からくるものなんだろう。強制してしまったわたしに、彼女を助けることはできない。だからこうして、お前に彼女を任せようとしている。卑怯だろう?」

 それは彼が初めて吐いた弱音だった。

 エウィンはなんと返せばいいのか、言葉に詰まった。

 皇帝は誤解しているようだが、彼はローシェと恋仲でも何でもない。

 それなのに巧まずして聞いてしまった彼女の過去は、お世辞にも輝かしいものではなかった。

「悪い。困らせたな。もうネアスが戻ってくるだろう。エウィン、彼女を探して来てくれるか?」

「はい」

 近衛騎士であるネアスとすれ違いで、エウィンは執務室を出て行った。

 そしてローシェの姿を探すのだが、なかなか見つからない。

「どこにいるんだよ……」

 エウィンは今、彼女に聞きたいことがいくつもあった。

 どうして密偵の仕事をすることになったのか。その仕事は辛くないのか。自分に構うのは、本当に憧れているからなのか。

 どうしてこんなに焦りを感じるのか、エウィンにはわからなかった。

 いつの間にか小走りになったエウィンは、城中を探して、ようやく彼女を見つけた。

「フェルナー?!」

 彼女は誰にも気付かれず、数時間冬の外気に晒されていた。






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