孤高と孤独(4)
「おい、しっかりしろ!」
触れた彼女の頬はすっかり冷たくなり、唇も紫色に変わっている。
エウィンは着ていた上着で彼女を包むと、横抱きにして医務室に連れて行く。
だが、そこで見えたのは散乱した紙や道具。医師はひとりも見当たらない。
エウィンは彼女を放っておける訳もなく、そのまま執務室に行く。
「どうした、エウィン。な?!」
確かにローシェを連れてこいとは言ったが、何故こんな状態で連れてきた、と突っ込みを入れたいところだが、エウィンの顔は真剣だった。
「城の裏口の方に倒れていました。今、医務室に運ぼうとしたのですが、何か争った形跡があり、医師はひとりもいませんでした」
「何!?」
皇帝はすぐに現場に向かい、消えた医師を探させた。
日が沈み始めたころに、その医師は見つかった。彼は高い薬を持ち出し、逃亡を図っているところだった。後から見習い医師が現れ、その医師が秘密裏に薬を高額で取引していたことを証拠付きで暴露した。
その見習いとはペーターのことだ。
そうしてその日、長年悪さを働いていた2人の男が捕まった。
*
ローシェは自分の部屋のベッドに運ばれた。
丸一日経つと目を覚ましたが、長いあいだ寒い場所にいたせいで酷い風邪を引いていた。
何日も高熱が続き、ローシェは苦しんだ。
意識がはっきりしないまま、彼女は自分をこんな目に合わせている原因である本人__ペーターに、看病されていた。
それに気がついた時は、流石に叫ぼうとした。
「なんで、あなたがここに」
警戒心を剥き出しにして、ローシェは熱っぽい目でペーターを睨んだ。
「すまなかった!」
ペーターはその場で土下座した。
ローシェにはもう、何が何だかわからない。
「君に僕の計画を邪魔される訳にはいかなかった。あのクソ医者を牢屋にぶち込むには、今回を逃す訳にはいかなかったんだ」
ペーターはローシェが納得するまで説明し続けた。
つまり彼は、あの年寄りな医師の不正を暴くために、1年もの間ずっと機会を伺っていたのだ。
どうやらその医師のせいで、彼の姉は薬屋を閉じることになり、そこに通っていた人々にも必要な薬が行き渡らなくなって死人まで出たらしい。それを気に悩んだ姉も、体が弱り、ペーターは城に乗り込んだそうだ。
「本当にすまなかった。でも、あの様子だと君は僕を皇帝殺害の方で、訴えるつもりだったろう……」
「もういいですよ。事情はわかりましたから」
「え……」
ローシェはペーターのしたことを許した。
「だって、あなたは私を殺す気は無かったし。何より、あの医師の不正に気がつかなかった私の責任です」
ペーターから聞いた話は、どれも初めて耳にするものばかりで、ローシェは自分の不甲斐なさに腹が立った。
「ごめんなさい。私のせいです」
ローシェはベッドの上で、深く頭を下げた。
「僕のせいで君はこんなことになってるのに……」
ペーターは納得いかない様子だ。
「じゃあ、ペーターさん。このことは無かったことにしてくださいますか? 私も自分のミスを知られたくないんです」
彼はその言葉に頷いて、心から彼女に感謝した。
本当なら彼だって牢屋に入れられてもおかしくない事をしていたのだ。
それを目の前の彼女は自分のために無かったことにしてくれと言う。
「ありがとう。ローシェ。この恩は忘れない」
ペーターはそれから、甲斐甲斐しくローシェの世話を焼くのだった。
***
「あーあ。エウィン、いいのか? おれ、またあの見習い医師がローシェちゃんの部屋に入っていくところみたぞ?」
そうエウィンに話しかけるのは、マバロフだ。
「治療でしょう。俺が気にすることじゃないです」
エウィンは適当にあしらう。
「そうかー? おれにはそんな風には見えなかったけどなー」
「そうですか」
エウィンの言葉には棘があり、マバロフはニヤニヤその様子を伺っている。
「……何ですか」
その視線が煩わしくて、エウィンはつい尋ねる。
「いやー? 男の嫉妬なんて見苦しいだけだぞー」
「は?」
——言っている意味がわからない。
(嫉妬? 俺が?)
エウィンにはそんなつもりは毛頭無かった。
ただ、この間見舞いに行こうとして、偶然ふたりが楽しそうに話すのを耳に挟んだだけだ。
「お、噂をすれば……。おれはお邪魔だろうから、じゃあな!」
マバロフはエウィンの後ろに現れた人物を目にして、その場を立ち去る。
エウィンは疑問に思って後ろを見た。
「エウィン様!」
それは久しぶりに見るメイド服を着た、ローシェの姿だった。
「フェルナー。あんた熱は?」
「もう大丈夫だって言われました! これ、ずっとお借りしたままだったので、返そうと思って」
ローシェはエウィンの上着が入った紙袋を差し出した。
「あの、エウィン様が運んでくださったと聞きました。迷惑をおかけしてすいません。本当にありがとうございました」
「これくらい気にするな。それよりも、なんであんなところに倒れてた?」
エウィンはその事がずっと気にかかっていた。
「……近道をしてハーブを取りに行った帰りで。なんだか凄い睡魔に襲われたんですよ。きっとその前に用意していたお茶に、睡眠作用を効かせすぎてしまったんだと思います」
「気をつけろよ。あんた、あのままだと凍死してたぞ?」
エウィンはその理由を聞いて呆れた。
ローシェはハハ、と苦笑い。
「そういえば、陛下のところには行ったか?」
「え?」
なぜローシェをあの場で見つけることになったのか、エウィンは思い出した。
「そうか、あんた寝てたからな。呼んでたぞ」
「わ、わかりました! ありがとうございます」
ローシェは慌てて皇帝の元まで行く。
「失礼します。ローシェ・ファルナーです」
「入れ」
そこには書類の山に囲まれた皇帝が、大きな仕事机の前に座っていた。
「よく来た。もう身体の方は平気か?」
「はい。お気遣いありがとうございます」
「うん。元気そうだ。さて。ローシェ、お前は今回よく働いた。色々とひと段落したから、休みをやろうと思う」
「お休みですか?」
ローシェは皇城に住み込みで働いている。それはなるべく長く城にいて、変化に気がつくためだ。休みの日は勿論あるが、いつ何時大切な情報が流れてくるかわからないので、生活全てにおいて気を張っていなければならなかった。
「そうだ。あまり長くはやれないが、たまには仕事を忘れて楽しんで来なさい」
「はい……」
そうして、ローシェは1週間の休暇をもらった。
(1週間か。どうしよう)
今まで仕事ばかりしてきたローシェは、その時間を何に使えば良いか悩んだ。
「となり町の温泉にでも行こうかな……」
いつかエウィンに勧めた温泉を、自分も行ってみようかと思い立つ。
あとは時間もあるので、出来るだけ地方を回って情報を仕入れておこうと、ローシェは早速準備を始めた。
どう転んでも、彼女は仕事から離れる事が出来ないのである。無意識に人を観察し、無意識に気になったことは調べる。もう身体に染み込んだ習慣だった。
準備を終えると、彼女はメイド長に連絡してから城を出た。
ローシェはひとり、大きなバックを肩に下げて、帝都から旅立つのだった。
***
エウィンはまた、いつもの通り任務を終えて城に戻る。
ちゃんと任務を遂行したはずなのだが、何か胸騒ぎがした。
(なんだ? 俺、何かを忘れているのか?)
何か忘れている気がして、エウィンはあれやこれやと考えるのだが、何も心当たりはない。
『エウィン様!』
そこで刹那に脳裏に浮かんだのは、ローシェが自分を呼ぶ姿。
「そういえばあいつ、最近見ないな」
コートを返して貰ってから、彼女の姿を見ていない。
事件以前は毎日のように顔を合わせていたのに、彼女が寝込んでからその回数が急激に減った。
エウィンはローシェと元・見習い医師が、仲良く会話していたのを思い出す。
今ごろ彼女は、そちらのほうに行っているのかもしれない。
(別に俺には関係ない……)
エウィンはふっと湧いて出たその思考を停止した。
だが、次にローシェにあったら、あの日尋ねることができなかった質問をしようと思う。
エウィンはそれから4日間、何か物足りない気持ちを見て見ぬ振りして、ローシェを待つのだった。
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