孤高と孤独(2)


 手がかりが掴めないまま、三日が経過した。

 ローシェはその日、いつものように掃除や洗濯などの仕事を終えて、厨房で何かお菓子でも作らせて貰おうと廊下を歩いているところだった。

(あれは、シルバレーヌ卿?)

 彼女はその人物を見て違和感がした。

(なぜシルバレーヌ卿がこんなところにいるの?)

 ここは主に従者たちが使う建物だ。侯爵ともあろう彼がいるべき場所ではない。

 ローシェは後を追った。

 シルバレーヌ卿は建物を抜けて、城の裏にある森の中へと入っていく。

 彼女の尾行は完璧だった。メイド服は気をつけないとスカートが草木にあたり、音を立ててしまうのだが、そんなヘマをする事はない。

 なぜなら、これが彼女の本業だからだ。

 メイドは建前。ローシェ・フェルナーはシンテアン皇帝が用意した、城の内部に起こる厄介ごとを調査させる密偵なのだ。

 ローシェには親友と呼べる存在がいない。両親や親戚もいない。もしそれで何か弱みを握られてはいけないから、何も持たないローシェがこの役に選ばれている。

 彼女はシルバレーヌ卿が、顔を隠した誰かと密会するのを目撃した。

(報告しないと……)

 ローシェは男たちが別れたのを確認し、すぐさま皇帝とコンタクトを取る。

「ご苦労。また何かあれば逐次報告するように」

「かしこまりました」

 給仕のふりをして、ローシェは執務室で報告を終えた。

(あ……。そういえば、クッキー焼こうと思ってたんだった)

 ふと思い出したのは、エウィンにあげようとしていたお菓子のこと。

 彼はローシェが作るお菓子の中でも、きっとクッキーが好きに違いなかった。人の様子を観察するのが得意なローシェには、簡単にわかることだ。

 彼女がエウィンに世話を焼くのは、ほんの出来心からだった。

 ローシェは裏の仕事の都合上、周りの人間とは距離を保って接している。広く浅い人間関係が求められたのだ。

 しかし、女同士の会話上、いつも話題になるのは興味のない恋愛話。真面目な性格としてローシェは振舞っていたが、彼女たちの仲間に入るには、自分も何か話しの種を持っている必要があった。

 女の情報網とは、時に侮れないことがあるとは彼女が一番理解している。

 丁度その頃だった。エウィン・ハルバートが帝国直属騎士になって、城にあがったのは。

 初めて彼を目にした時、ローシェは彼にしよう、そう思った。すっきりとした短髪に、大きな切れ目は凛として、彼女の脳裏に焼きついた。しばらく様子を見てから近づくことにして彼を探れば、彼女はエウィンも独りだということに気がついてしまった。

 それからだ。ローシェが世話を焼くようになったのは。

 ローシェは頼れる者もなく、常に疑いの目を忘れないでいなければならない。

 エウィンは熟年とも未熟とも言えない立場で、打ち解ける者がいない。

 事情は違えど、ローシェは彼に親近感を覚えていたのだ。

(クッキー。やっぱり作りに行こうかな)

 彼女は方向転換して、厨房へ歩き出す。

 彼に何かをすることで、ローシェは自分が救われる気持ちになっていた。こうやって誰かのために行動している間は、純粋なメイドとしていられる。

 だから、他のメイドがやりたがらない仕事も、彼女にとっては大切なものだった。


(あ、エウィン様みっけ!)

 お菓子づくりの後で、甘い香りを纏わせたローシェはエウィンを見つける。

「エウィン様!」

 エウィンは名前を呼ばれて、そちらを振り返る。

「フェルナーか」

「今日はクッキーを焼きました! どうぞ貰ってやってください!」

 ローシェは袋を差し出す。

「……ありがとう」

 エウィンは彼女が渡すものを、拒絶したことがなかった。そこでローシェは閃く。

「エウィン様は甘い物がお好きですか?」

「まあ、それなりに」

「実は明日のお休みで、私、幻のプリンを買いに行こうと思っているんです。エウィン様の分も調達してきましょうか?」

 ローシェの情報網にかかれば、入手困難な幻のプリンを手に入れるなど、お手の物だ。

「幻のプリン?」

「はい。なんでも、とても滑らかな口当たりで、とろけるプリンだそうですよ。絶対美味しいと思います。よし。やっぱり私エウィン様の分も買ってきます。お味見だけでもしてみてください」

 自己完結したローシェは、エウィンの答えを待たなかった。彼にプリンを食べたい、なんて言わせるのは似合わない。想像するとくすりと笑ってしまいそうになるが、どうしてだかエウィンがそれを食べているところは容易に想像できる。

「それでは、楽しみにしていてくださいね!」

 ローシェは微笑んでエウィンに別れを告げる。彼に背を向けて、その笑みはふっと消えた。彼女は明日、シルバレーヌ卿の情報を集めることになっている。

(色々手配しとかないと……)

 プリンのことは、そのついでだ。

(侯爵か。面倒なことになってそう)

 思わずため息が漏れそうになったが仕方ない。


 そして当日。

 いつものメイド服ではない私服を着て町に出る。シルバレーヌ卿に関する情報を手当たり次第集めていく。最後に顔なじみの情報屋を訪ねたが、これといったものは手に入らなかった。それでも、彼が何か怪しいことをしている事だけは明瞭である。

 とりあえず売り切れる前にと、シルバレーヌ卿の情報とともに集めた幻のプリンを買い、ローシェはどうしたものか考えた。

(やっぱり、潜入しないとダメかな)

 シルバレーヌ卿の屋敷に忍び込まなければ、大した情報が掴めそうにない。

 ローシェは屋敷の様子を知るために、近くまで寄ることにした。

 屋敷の裏は、人通りが少なくて身を隠せる場所も多い。彼女は試しに裏門の近くに身を隠す事にした。

 しばらくすると、行商人らしき人物が現れる。

(大きな荷物……)

 ローシェはひとつも見流さないように、目を光らせる。

「ご苦労」

「はいよ。今回も上玉だぜ。報酬、弾むように頼むよ」

「わかった。呉々も気をつけてくれよ」

「わかってるって。聞いたぞ。旦那はこれを餌にして、警備が手薄になってるうちにヤルつもりなんだろ?」

「……命が惜しかったら他言しないことだな」

「へーい。おれは金さえ手に入ればなんだっていいさ」

 行商人は、荷台に乗せた箱を渡した。

「それにしてもこんなに女を集めて。旦那もさぞお楽しみなこった」

 ローシェはそれで箱の中身が何かわかってしまった。

(誘拐事件の犯人はシルバレーヌ卿か!)

 しかし、それを餌にするとはどういう事だろうか?

 気になることはたくさんあるが、あまり首を突っ込んでは危険だ。

 ローシェはその場を離れて、皇城に戻るとすぐさま報告する。

「よくやった。アレのことだ。きっと私を殺す手筈でも整えているのだろう」

 どうやら皇帝は心当たりがあるらしい。

「お前はそのまま普段通りにしていろ。その件は泳がせることにする」

「かしこまりました」

 ローシェは返事をして、部屋を出た。

 もちろん、その後はエウィンに会いに行く。

 彼は中庭にいた。

「エウィン様! 手に入りましたよ!」

「今日は休みじゃなかったのか?」

 彼はきちんとメイド服を着たローシェが現れたので、首を傾げる。

「私服で城を動き回りませんよ」

 ローシェは笑って答えると、小さな箱を差し出す。

「これ、例のものです」

「わざわざ渡しに来たのか?」

「だってプリンですよ? 何日も持っている訳にはいきません」

 エウィンはそれもそうかと納得して、その箱を受け取る。

「あんたは食べたの?」

「えっ、あ、……はい」

 実はたどり着いた時には売り切れる寸前で、ひとつしか手に入らなかった。

 一瞬目を泳がせたのを、エウィンは見逃さなかった。

「で、本当は?」

 完全にバレている。

「……ひとつしか手に入りませんでした」

 ローシェはしゅんとして白状した。

「最初からそう言えよ。これはあんたが食べたくて買ったんだろ。別に俺はいいから」

 エウィンは初めて、ローシェから受け取ったものを押し返した。

「いえ。私、約束は守る女なので。エウィン様が召し上がってください。自分の分は次回までのお楽しみです。是非感想を聞かせてくださいね」

 頑固としてローシェも譲らない。

 エウィンもそのことがわかったのか、その場でおもむろに箱からプリンを取り出して、一口食べるとローシェに返した。

「これでいいだろ。面倒くさい」

「え、あ……」

 エウィンは呆然としているローシェを置いて、その場から離れていった。

 取り残されたローシェはプリンを見つめる。

「ふっ」

 プリンひとつでこんな事になっているのが、おかしかくて思わず笑ってしまう。

「やっぱり、優しい人なんだよな」

 ローシェはもう見えなくなった彼の後ろ姿を追っていた。

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