孤高の騎士と世話焼きメイド
冬瀬
孤高と孤独
エウィン・ハルバートは〈シンテアン帝国〉の帝国直属騎士だ。まだ23歳という若さで得た地位は、彼を孤立させるのには十分だった。
「エウィン。仕事だ」
「はい」
彼は上司の命令に従い、今日も一人で任務に出る。
誤解させてしまったかもしれないが、彼を慕うものが誰もいない、という訳ではない。
ただ、同世代の者たちは彼の遥か後方。周りは自分より歳を重ねた猛者ばかり。
馴染むに馴染めない状況だった。
だから、任務を終えても、昔のように気さくにエウィンに声をかける仲間はいない、はずだった。
「エウィン様!」
今日も彼女は笑顔で、彼の名前を呼ぶ。
「お疲れ様です! 私、クッキーを焼いたので是非食べてください!」
彼女は皇城に仕えるメイドのローシェ・フェルナー。
気がついたときには、こうして付きまとわれていた。最初は確か、制服の留め具が外れかけているから縫おう、というものだったはずだ。
エウィンは渡された袋を見つめる。
「あ、もしかして甘いものは苦手でしたか?」
「いや。そういう訳じゃない……」
彼は何故、彼女がこうして自分に構うのか、いまいちわからなかった。
自分で言うのもなんだが、顔は整っているし、女性に困ったことはない。
今回も彼女は自分に好意を寄せている、と結論しようとしたのだが、それにしては屈託のない表情を向けてくる。
「なぁ。なんで俺に構う?」
彼女がこうしてエウィンと交流し始めて、1ヶ月。彼はついに尋ねた。
「それは……」
ローシェは口ごもる。
「なんで?」
エウィンはもう一度問う。
ローシェは顔を赤らめて、彼を見る。
「あ、憧れてるからです!」
「は?」
エウィンは予想外の言葉に、眉間にしわを寄せた。
「まだお若いのに、あの騎士様たちと一緒にお仕事なさっているなんて。今日もおひとりで任務をなさったとか。流石としか言いようがありません! あ、私先ほど、騎士様たちがエウィン様のことを褒めなさっていたのを聞きましたが、お聞きになります?」
ローシェは一気に喋り終えた。
目を輝かせる彼女に、エウィンはなんと言ったらいいのかわからない。
「……遠慮しとく」
とりあえず返事だけ返した。
「そうですか……。あの、エウィン様。もしかして私、迷惑でしたでしょうか」
先程とは一変してローシェは、眉を八の字にする。
珍しく悲しそうな顔をするものだから、エウィンは「そんなことはない」と思わず言ってしまった。それを聞いた彼女は花が咲いたように笑って、走って仕事に戻っていく。
エウィンはもらったクッキーをひとつ、口の中に入れる。それは甘さと塩っけが絶妙なバランスで美味しかった。
他にも色々彼女から食べ物をもらうことがあったが、どれも彼の口に合っていて、エウィンは彼女を突き放すことができなかった。
何だかんだで、ローシェは一定の距離を保って彼と接しており、踏み込んだことはしてこない。
(今度、何か買ってくるか……)
貰いっぱなしも良くないので、エウィンは次の任務の帰りに何か買ってこようと決めた。
「あ! エウィン様。お仕事ですか?」
「そうだけど」
あんたは毎回俺に構って仕事をサボっていいのか、とエウィンは心の中で思ったが、黙っていた。
「これ、もしよかったら持って行ってください。解毒薬なのですが、私が貰っても使うことがないので」
「解毒薬? なんであんたが?」
「知り合いの子が、他の薬と間違って買ってしまったらしいんです。いりませんか?」
「……一応もらっとく」
ローシェから小包を受け取ると、エウィンはまた新しい任務に出る。若者は元気でいいな、なんて先輩騎士たちに言われるが、仕事なのだから仕方ない。命令されれば行くしかないのだ。
今回は少し遠出になる。城に戻るのは数日後だろう。
「俺、数日は戻らないから」
彼は自分がいない間、ローシェがまた気を遣って世話を焼く準備をしては悪いと思った。
「そうなんですか? ……お気をつけて。どうか無事に戻って来てくださいね」
ローシェは心配そうに彼を見送った。
今回の仕事は慣れない気候と土地で、勝手が違う。不法な取引をしているという男たちの根城を見つけ出す、ということが彼に課せられた任務だった。
途中で得た情報を頼りに、息を殺して森の奥へ奥へと進み、エウィンはそこを突き止める。あとは城に戻って報告するだけだ。
しかし、エウィンはその森にいる動物の生態を知らなかった。
人の匂いを嗅ぎつけたその獣が、喉で声を鳴らし、相手に気がつかれてしまった。
獣の皮を被った敵たちは、エウィンと一戦を交える。
エウィンは帝国直属騎士。素人相手に負けるはずはなかったが、剣に毒が塗ってあったらしい。倒した後、身体が痺れる感覚に襲われた。
ローシェからもらった解毒薬をすぐに飲み、エウィンは事なきを得たが、任務は失敗だ。
すぐにその町の役所に出て、城に報告を入れる。初めてのミスは、その場では責められなかった。だがそれは、仕事に対して真面目なエウィンでは逆に、自分を責めさせてしまった。
「エウィン様……」
疲れて任務から戻ると、待っていたらしいローシェは、何か察したのか、いつものように元気に声をかけることはしなかった。代わりに水筒を差し出す。
「これ、リラックス作用のあるお茶です。よかったら飲んでくださいね。ご無事でよかった。お疲れ様でした」
簡潔に済ませると、ローシェはエウィンに背中を向けてその場を後にした。
(……待ってたのか?)
エウィンはローシェの赤くなった手と顔をしっかり捉えていた。
今は秋の終わり。きっと彼女はエウィンが戻ると聞いて、外で待っていたのだろう。
さりげなく水筒と一緒に、いつもの小袋が付いている。
エウィンは一度荷物を自分の部屋に置き、報告を終えてからそれに手をつけた。
少し温くなったお茶と、パウンドケーキを食べ終わると、エウィンはベットに倒れこむ。
(疲れた……)
ローシェのお茶のおかげだろうか。
彼はすっと眠りにつくのであった。
そして次の日。休暇をもらったエウィンは町に出ていた。
食料や消耗品など、適当に買い物を終えると、ふとある物が目にとまる。
(髪飾りか)
銀のフレームに、品の良い宝石が散りばめられている。
「それをひとつ」
エウィンはそれを購入した。勿論渡す相手は、あの世話焼きなメイドだ。
エウィンはそれを渡そうと、初めて自分から彼女の姿を探した。しかし、一向に姿が見えない。
そこで自分は彼女のことをメイドだということ以外、何も知らないことに気がついた。
「あれ、エウィン様?」
どうしてこんなところに、と探していた彼女はひょっこり現れる。
「あんた、ちゃんと仕事してるんだな」
重そうな荷物をもったローシェに、エウィンは言う。
「それはもちろん。私、これでも真面目に仕事をするので、みんな、少しのことには目をつぶってくれるんですよ」
それはつまり、エウィンと会っている時のことを言うのだろう。
「貸して。どこまで運ぶの?」
エウィンはローシェの手から荷物を取る。
「え、わ。私持ちます!」
「いいから。これ、結構重いだろ」
ローシェは申し訳なさそうに、場所を伝える。案外近くの部屋だったので、ローシェは一緒についてきた。運び終えると、エウィンは例の袋をローシェに手渡す。
「これは?」
「いつも貰ってばかりだから。気に入らなければ捨ててくれ」
「見てもいいですか?」
エウィンは頷く。ローシェは袋から出てきたものを見て目を輝かせた。
「可愛い! 私がもらっていいんですか?」
「いいよ。あんたに買ってきたんだから」
「ありがとうございます。大事にしますね!」
ローシェは嬉しそうに、髪飾りを見つめる。
エウィンもその様子をみて、渡せてよかったと思った。
それからローシェは毎日、彼からもらった髪留めをつけていた。それを見るとエウィンはなんだかくすぐったい気持ちになる。
ローシェはまるで闇を知らない、明るい女だ。エウィンはあれから少しずつだが、彼女について知ろうとすることが増えていた。
今わかっているのは、真面目で丁寧な仕事をし、当たり障りのない性格は誰からも受け入れられる。ただ、特定の人物と一緒にいる話を聞かない。ということくらい。
「エウィン様、となり町で温泉が湧いたらしいんですよ! 白い湯は、いろいろな効能があるそうです。エウィン様も是非行ってみてください。友達がすごく良かったって言ってましたから!」
あとは、そう。
良いと思ったことは、こうして教えてくれる。意外に物知りなことが、彼女の人脈の広さを暗に示していた。
そうしてほぼ毎日、エウィンとローシェは顔を合わせていた。
ちなみにだが、他のメイドたちはエウィンとローシェの関係を気に留めていない。実は、手の早い皇子がこの城に3人いる。皇帝と似てそろって美形なので、メイドたちはそちらにお熱なのである。彼女たちからすれば、エウィンは少し堅すぎるのだ。顔が整い好青年を想像させる彼は、騎士という職業柄故に、仕事以外に興味がなさそうと思われていた。今はそれもローシェが構うので崩れてはいったが。
「ヘェルナー」
「はい?」
フェルナーとはローシェのファーストネームだ。呼び方から少しづつだが、エウィンは彼女に心を開き始めていた。
「最近、町で行方不明者が増えてるらしい。気をつけろよ」
今日の会議で話題になった事を、彼女に警告する。町ではどうやら、若い女を狙って誘拐しているものがいるらしい。今はまだ調査中だ。
「そうなんですか? 気をつけて行動しますね。わざわざありがとうございます」
「別に。俺の仕事が増えると面倒だからってだけ」
彼は臨時でいつもより多く、町の巡回をすることになっている。これ以上被害が増えると、騎士の信用が危ういのだ。他の騎士たちも捜査にあたっている。エウィンはローシェと別れて町で犯人を追うのだった。
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