第22話 退鬼師と過去


「――新しい支流は出来ていないか?」

「今、最終確認中ですが、その様子はなさそうです」

「ならいい。俺も見て回るが、見落としはないようにしないとね」


 鬼の討伐後、玲央は駆けつけた調査部隊と共に境界川の見回りを行っていた。明日葉や貴澄も別方向から、他の調査部隊と確認している。

 一方、黒鬼を一瞬で討伐してみせた柊矢は、建造物の一部だったコンクリート片に腰掛けて大きな欠伸を零した。いくら素早く片づけたとはいえ、消費した霊力は大きい。その反動で、討伐直後は不覚にも明日葉の肩を借りなければ歩けないほどだった。

 天音から解刃した桜は、現在、少し離れた場所で傷の具合を看てもらっている。今回は大した怪我を負っていないが、先の戦いで受けた傷が開いていないかの確認だ。


(久しぶりに本気出したな……)


 天音を握った右手を開いたり閉じたりしながら、長く「本気」というものから遠ざかっていたと実感する。真面目に討伐に取り組んでいた頃……柊矢の師匠が存命だった頃は、休日以外は常に感じていたものだ。

 すると、リオンと珊瑚が揃って柊矢のもとに歩み寄ってきた。リオンも治療を受けたため、スカートから覗く足には包帯が巻かれている。


「聞いちゃったー」

『柊矢も、ついに素直になったかえ?』

「……うざ」


 にやにやと笑みを浮かべるリオンと珊瑚は、明らかに桜を降神したときの発言を揶揄している。

 はっきりと嫌悪を露わにするも、今のふたりにとっては痛くも痒くもなかった。

 そこに、傷の確認を終えた桜もやって来た。


「お待たせしました」

「良かったね、桜。ちゃんと柊矢に大事に思われてるじゃん」

「えっ!?」

『一時はどうなるかと思うたが、これで心配はなくなったのい』


 完全に、ふたりは茶化すスイッチが入っているらしい。冷やかされる桜も顔を赤くして狼狽えている。

 このままでは、別の問題が起こりそうだと思った柊矢は、溜め息を吐いてから口を開いた。


「『大事』って言ったのは、君達が思っている意味とは違うよ」

「『え』」


 揃って固まったリオンと珊瑚は無視して、柊矢は桜に視線を移す。

 目が合った桜が緊張したのが、姿勢を正されたのを見て伝わってきた。


「あんたの両親が殺されたとき、駆けつけた退鬼師が二人いるでしょ?」

「は、はい」


 姿は朧気にだが、二人の退鬼師がいたことは覚えている。男性と女性であることも、男性が大きな刀を持っていたことも。

 その退鬼師がどう関わっているのかと思った矢先、柊矢はあっさりと退鬼師の正体を明かした。隠すつもりはなかったが、わざわざ言うつもりもなかったことを。


「あれ、俺の両親」

「へっ?」

「はぁ!?」

『ほう』


 桜は理解が遅れて間の抜けた声を上げる。代わりに、驚きの声を発したのはリオンだ。

 唖然とする桜に、柊矢は説明を続ける。


「桜が保護されたあと、施設に行くまでは黎明で預かっていたけど……ショックが大きすぎて覚えてないか。一週間くらいだし」

「そ、うですね……。あの時の記憶は、少し曖昧なところもあります」

「俺と会ったことも?」

「柊矢さんと……?」


 両親を一度に失い、頼る親戚もいなかった桜にとって、心に開いた穴はとても大きかった。誰かと会話ができるようになったのは、果たしていつからだったか。また、過ごしていたのもほとんど室内だったせいか、黎明で過ごしていたとは思わなかった。

 柊矢に言われ、当時を振り返った桜は、ふと、ぼんやりとある事を思い出した。

 夜、泣いてばかりだった桜のもとを訪れた、一人の少年がいたことを。


 ――なんで泣いてるの?

 ――おとうさんも、おかあさんも、いなくなっちゃったから……。

 ――鬼のせい?

 ――……うん。


 歳は桜とそう変わらないように見えたが、今思えば随分と落ちついた少年だった。そして、段々と明瞭になってきた少年の面影は誰かに似ている。


 ――じゃあ、その鬼を倒さないといけないな。

 ――わ、わたしにも、できる?

 ――弱そうだし、おれが代わりにやってあげる。けど……。

 ――けど?

 ――おれの父さんと母さんみたいに、一緒にできたらいいな。


 無邪気に笑った少年の顔が、目の前の柊矢と重なった。最も、現在の柊矢は、そんな無邪気な笑顔はどこかに置いてきたのか浮かべたことがないが。

 漸く思い出したことで固まる桜をよそに、柊矢は淡々と話を続ける。


「俺があんたを選んだのは、単にあんたを死なせたくなかったから。俺の両親が守った命を、目の前で散らせたくなかったんだ」


 桜のデータを見て、すぐに自分の両親が助けた子供だと分かった。同時に、何としてでも助けなければならないという使命感に駆られ、結果、神威にしてしまったのだ。

 まさかの繋がりに、驚きの声を上げていたリオンも、ついに言葉を失って唖然としている。

 そこへ、複数の足音が近づいてきた。今までに感じたことのない、精錬された霊力も。

 我に返ったリオンは、慌てて振り向いて姿勢を正す。柊矢の隣に佇む珊瑚も、ぴんと背筋を伸ばして座っている。

 桜は不思議に思いつつも振り返れば、見覚えのある青年が一華を引き連れて歩み寄ってきた。


「あれ? あなたは……」


 穏やかそうな風貌の青年は、桜が神威になった当初、黎明の中庭で出会った人物だ。ただし、服装はあのときと違って、きっちりとした退鬼師の……一華とよく似た意匠の白い制服だが。

 マントを靡かせてやって来た彼は、目を瞬かせる桜ににっこりと笑みを浮かべた後、その奥にいる柊矢に視線を移した。


「やぁ、お帰り。『最強』の退鬼師君」

「はぁ……。まんまとあんたの手のひらの上で踊らされたってわけだ」

「え?」

「そう言えば、まだ名乗っていなかったね」


 どういうことだと困惑する桜を見て、青年は自分が正体を明かしていなかったことに気づく。後ろに控えている一華が、呆れたように溜め息を吐いたのはスルーだ。

 姿勢を正した青年は、柔らかい笑みは崩さないままに名乗る。


「黎明総帥、朝霧あさぎりみなとです。以後、お見知り置きを。瑞樹桜さん?」

「……え?」

「総帥の顔、知らなかったの?」


 今、彼は肩書きを何と言ったか。脳は思考を放棄した。

 いつもと同じ調子の柊矢に、湊は朗らかに笑った。


「あはは。俺、顔出ししてないもの。唯一、俺が出ている会議には玲央君が出席してるし、仕方ないよ」

「顔出しについては、あなたが『総帥の立場を隠して、後で知った人達の顔を見たい』と仰ったからしていないだけですよね」

「いつも代理ありがとうね、一華ちゃん」


 労う湊に対し、「礼を言うくらいなら仕事をしてください」と冷静に返す一華は、日頃の苦労が滲み出ている。

 そんな一華の言葉を流した湊は、また桜に向き直ると、柊矢を一瞥してから言った。


「桜ちゃんも、柊矢君のやる気を引き出してくれてありがとう」

「いっ、いえ! そんな……私は、何もしていませんので……」


 まさか組織のトップから礼を言われるとは思わず、桜は肩を縮ませて首を左右に振った。

 すると、漸く緊張が解れてきたのか、リオンが先ほどの柊矢が呟いたことについて訊ねる。


「湊さん。さっき、柊矢が言ってた『手のひらの上で踊らされた』って……?」

「んー、よく分かんないけど、桜ちゃんがいた施設を襲った鬼の討伐任務に、柊矢を向かわせた事かな?」

「分かってるじゃん……」


 敢えて出すということは、本人に認識はあるはずだ。柊矢は頭を抱えたくなった。

 一方で、襲撃がわざと起こされたものなのかと不安になった桜だったが、呆れた様子の柊矢からその理由が明かされた。


「あれくらいの鬼、一般人には驚異だけど、俺達退鬼師からすれば造作もない相手だ。まして、第一部隊が出るほどでもない」

「確かに、あの時の討伐は、総帥から部隊……というより、柊矢に向かわせるように指示が入ったな。何故かと思いはしたが……」


 当時を振り返った一華も引っかかってはいたようだ。ただ、討伐に関する事で湊が出す指示ならば仕方がない、何か相応の理由があるのだろうと素直に従った。勿論、間違ったものであれば口は出すが。


「あんた、なんで俺と桜を会わせようと思ったの?」

「君のお師匠さんから、君が退鬼師を目指す切っ掛けになったのが桜ちゃんだって聞いたからね。彼女も、退鬼師候補生になる予定だったし、会わせたら何かあるかなって思って」


 師匠を失い、半ば自暴自棄になりかけていた柊矢には、何かしらの変化はあると思っていた。それが良い方向に動くかはともかく。

 あの人、死んだ後も影響残すとか何なの……、とぼやく柊矢だが、桜としては驚きから何も言えなかった。

 漸く口から出た言葉は、微笑んでいた湊の表情を変えさせた。


「総帥は未来予知でもできるんですか?」

「え? ……あ、いやいや。俺のはそんな大層なものじゃなくて、ただの勘。こういうの、昔からよく当たるんだ」

「勘……」

「あと、俺のことは湊でいいよ。肩書きで呼ぶ人が多いけど、堅苦しくてあんまり好きじゃないんだ」

「は、はぁ……」


 苦笑を浮かべる湊だが、大半が肩書きを使っている中、果たして気軽に名前で呼べるだろうか。

 「一華ちゃんも、前は湊先輩って呼んでくれてたのに……」とわざとらしく嘆く湊に、一華が珍しく顔を赤くして「それは就任前の話です!」と取り乱している。

 だが、彼はすぐに気を取り直すと、桜にまた笑みを向けて言った。


「じゃあ、俺は調査に加わるから失礼するね。これからも柊矢のこと、よろしく頼んだよ」


 踵を返して去って行く湊とその後に続く一華を、リオンは頭を下げて見送る。普段は年上相手だろうと気さくに接しているリオンでも、ある程度の礼節は弁えているようだ。

 湊と一華の姿が見えなくなった頃、桜は隣にいる柊矢を横目で見る。

 柊矢は小さく溜め息を吐くと、ゆっくりと立ち上がって歩き出した。


「帰るよ」

「は、はい」


 相変わらず、桜を待ってくれる気配はない。

 リオンはまだ残って作業を手伝うらしく、すれ違う際、桜に「また後でね」と笑顔で手を振ってから珊瑚を連れて明日葉達の元に向かった。

 柊矢の隣に並んだ桜は、今さらながらにこみ上げてきた感情にくすぐったさを覚え、思わず笑みを零す。


「ふふっ」

「怖いんだけど」

「柊矢さん、どうしましょう。私、すっごく嬉しいです」

「はあ? 突然、何なの」


 表情を緩める桜の唐突な申し出に、柊矢は怪訝な目を向ける。


「だって、柊矢さんが退鬼師を目指す切っ掛けが私だったんですよ? 誰かの変わる切っ掛けに……それも良い方向になら、嬉しいに決まってるじゃないですか」

「……あっそ」


 てっきり、柊矢は両親が殺されたから退鬼師を目指そうとしていたのかと思った。だが、それよりも先の理由として「両親に助けられた桜」がいた。

 嬉しそうな桜から視線を逸らした柊矢だが、髪の合間から見える耳はしっかりと赤く染まっている。


「柊矢さん、照れてます? ――いたっ!?」

「喜ぶのはいいけど、捨てられないよう頑張ることだね」

「ええ!? 『折れるまでこき使ってやる』って言ってたじゃないですか!」


 からかえる、と思った桜だが、柊矢の平手が飛んできた。

 桜は叩かれた頭を押さえながら、以前と言っていたことが違う柊矢に不満の声を上げる。

 すると、彼はあっさりと、口元に笑みを浮かべながら言ってのけた。


「時と場合によるに決まってるでしょ」

「酷い!」



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