第20話 退鬼師と和解


 柊矢の居場所を突き止める方法は、自然と浮かんできた。まるで、以前、その様子を何処かで見たかのように。

 自らの霊力を研ぎ澄まし、身に馴染んできた柊矢の霊力を探る。自室にはいない。談話室も別の退鬼師の霊力ばかりだ。

 少しして、ある場所から柊矢の霊力を感じた。そちらへと足を進める。

 寮の階段を上り、屋上へと繋がる昇降口のドアを開く。吹き込んできたひんやりとした風が、桜の頬を撫でた。


「柊矢さん」

「…………」


 屋上にはベンチがいくつか置かれており、その内の一つに柊矢は座っていた。

 陽が傾いてきた今、屋上には他に人はいない。

 呼びかけても反応がない柊矢に構わず、桜は歩み寄りながら言葉を続ける。


「さっきは、一方的に文句を言ってすみませんでした」

「…………」

「あと……」


 ベンチの傍らに立っても、柊矢は視線すら寄越さなかった。しかし、纏う空気には拒絶の色は見受けられない。

 このまま言ってもいいのだろうか、と一抹の不安を覚えた桜は、それでも勢いのままに頭を下げた。


「契約をしていただいて、ありがとうございました」

「…………」


 柊矢は何も言わない。

 二人の間を、柔らかい風が吹き抜ける。

 桜が額に冷や汗が浮かんできたのを感じた頃、柊矢が小さく溜め息を吐いた。


「はぁ……。あんたって、ホント……」

「は、はい」

「怒らないんだ? 俺が早まらなかったら、あんたは神威にならずに済んだかもしれないのに」


 何を言われるかと内心怯えていた桜だが、それに反して柊矢は怒っていると言うよりは呆れている。むしろ、怒るのは桜のほうだと。

 桜は先ほどの医務室での会話を思い出しながら、理由を言うべきか迷った。だが、他に適当な理由も見つからず、仕方なくありのままを話す。


「あー……それについては、玲央さんと明日葉さんから話を聞いたので」

「だから、当人のいないところで勝手に喋るなよ……」

(お二人ともすみません!)


 これは確実に、次に顔を合わせたときに柊矢は二人に文句を言うだろう。

 玲央達に内心で謝ってから、桜は話を進めた。


「前に、天音が二度折れたことと、関係しているんですよね?」


 柊矢は無言で頷いた。やけに素直だが、もう黙っておく必要がないからだ。

 そして、彼は過去を振り返る。天音が折れ、両親が死んだ日を。


「俺の父親が天音を折られて、母親と一緒に鬼に殺されてから、天音はずっとそのままにしていた。俺が退鬼師になるときに、天音を再刃してもらおうと思って」


 退鬼師の両親の背を見て育った柊矢は、いつかは自分も退鬼師になるのだと密かに思っていた。退鬼師になりたい、と口に出すようになったのは、また別の一件があってからだが、桜には言わなくていいことだ。だが、両親からは、せめて十三歳になってから候補生の試験を受けるようにと止められていた。

 そして、柊矢が十二歳になる年。両親が鬼に殺され、復讐心に駆られた柊矢は、当時、最強と謳われていた一人の女性退鬼師に弟子入りを志願した。

 最初は相手にされなかったが、しつこさに折れた彼女は柊矢を受け入れ、泣き言を許さないスパルタぶりで柊矢を最年少の退鬼師に育て上げたのだ。


「師匠から退鬼具の許可が下りてから、天音を再刃してもらって、最初に契約したのは『大気』だった」

「それって、神威の中でも契約が難しいものですよね?」


 貴澄も契約している神威だが、他に契約をしている退鬼師はかなり少ない。

 すると、柊矢からは久しぶりに感じる怪訝な目を向けられた。


「俺を誰だと思ってるの?」

「最年少の天才退鬼師様です」

「そう」

(頷くんだ……)


 自分で言うのかと呆れてしまいそうになるが、事実、彼は最年少で退鬼師になった最強の退鬼師だ。謙遜すれば嫌みにも捉えられる。

 柊矢はベンチに背中を預けると、暗くなってきた空を見ながら言葉を続けた。ただし、反省の色を含んだ声音で。


「だから、驕って一人で突っ走って、沢山の鬼を斬って最強の名も師匠から俺に変わって、それでさらに驕って」


 自分は、もう鬼を恐れる必要はない。自分に斬れない鬼はいないのだと慢心していた。

 師匠には何度か注意されていたが、まったく聞く耳を持たなかった当時の自分を、今でも殴りたい気持ちで一杯だ。


「その結果、天音をまた折ってしまったんだ。今度は、師匠を犠牲にして」

「えっ」


 師匠が死に際に、「だから、周りはよく見てって言ったでしょ」と言ったことで、漸く目が覚めた。天音を見れば、折れて当然だと言わんばかりの傷が深く入っていたのだ。

 それからというもの、両親の、そして、師匠の最期が脳裏にちらつき、戦闘が怖くなった。自分よりも強く、尊敬していた人でも、あっさりと死んでしまうのだと。

 師匠が亡くなった後も討伐を繰り返してきたが、恐怖心も相俟って、いつしか戦闘に身が入らなくなってしまった。

 どれほど力を手に入れたところで、負けるときは負けてしまう。また、自分が下手に前に出ないほうが、仲間もカバーに入る必要がなくなり、犠牲も少なくて済む。

 ならば、一人で突っ走ってしまう可能性を捨てるためにも、犠牲を増やさないためにも、自分はなるべく大人しくしていようと決めたのだ。


「勿論、両親の仇を討ちたい気持ちは消えてない。だから、あんたを神威にしたのは、俺がまた何かやらかしそうなとき、止めてくれると思ったからでもある」


 珊瑚を見て、自我のある神威も悪くないと思った。

 そして、重傷を負った桜を見て、とある想いも過ぎって、これしかないと契約に踏み切ったのだ。その想いについても、まだ桜には明かす必要はないが。


「でも、制止ができなかったら、また天音を折ってしまうかもしれない。そうなると、契約は強制的に解除されて、あんたは消えてしまう」


 選択肢さえ与えず、半強制的に神威にしてしまった。桜の人生を奪ってしまったのに、今度はその命すら奪ってしまうのか。

 あのとき、選択を誤っていなければ、彼女は退鬼師候補生として切磋琢磨していたはずだった。


「後悔しているのは、安易な自分の行為だけ。あんたの力不足に対するものじゃない」

「そう、だったんですね……」


 柊矢には、桜の命の責任を背負うほどの覚悟ができていなかったのだ。だからこそ、談話室で明日葉に「後悔している」と言った。

 話を聞いた桜は、そっと息を吐く。自分はまだ見捨てられたわけではないという、安堵の意味を込めて。そして、これから言うべき言葉を整理するために。

 桜はぐっと手を握って、柊矢を見据える。彼はまだ、暮れなずむ空を見ているままだ。


「でも、私は、あのままだったら、あそこで死んでいました。それは間違いないです」

「……なんで言い切れるの」


 桜の止血は行い、治療班も呼んでいた。

 明日葉も言っていたように、柊矢も桜の手当ては間に合うだろうとは頭の片隅では分かっていた。ただ、自分の気持ちがそれが本当かと揺さぶり、愚行へと走らせたのだ。

 まさか、柊矢のフォローでもしようとしているのか、と怪訝に桜を見る。

 桜は苦笑を浮かべ、あっさりと理由を告げた。


「私自身の命だからですよ。それに、柊矢さんはちゃんと選択肢をくれていますよ」


 生か死か。どちらかを選べと。

 安堵から気を抜きそうだった桜を引き止めて、選ぶ時間も与えてくれた。あそこで気を抜いていれば確実に死んでいただろう。


「私は自分でそれにしがみついた。それは変えようのない事実なんですから」

「けど、あんなの、あってないような選択肢で……」

「柊矢さん、面倒くさがりのくせに、意外と面倒くさいこと引きずるんですね」

「は?」


 何を言っても後ろ向きな彼を見ていると、桜も段々と苛立ちと面倒くささが沸々と湧いてきた。感情がそのまま口から出てしまったが、悔いはない。

 柊矢の性格が移ったのだろうかと思いながら、嫌悪感を露わにした彼ににっこりと笑みを向ける。


「たらればの話はもうおしまいにしましょう。私は、あなたの剣になると決めたんです。剣は鋭利な武器ですが、扱い手がいなければ何も斬れませんから」


 天音、と呟いて、契約印から天音を出す。その様子をただじっと見ていた柊矢に、鍔に近い部分を持って差し出した。


「私を、使ってください」

「……分かった」

「柊矢さん……」


 これで漸く、柊矢も降神をした上で戦ってくれる。天音を受け取って了承した柊矢の返事に、桜は胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。

 だが、口元に笑みを浮かべた柊矢は、その感動を見事に打ち砕いた。


「折れるまでこき使ってやるから、覚悟しなよ」

「想像してた言葉とちょっと違いますけど、諦めますね」

「腹立つな。神威のくせに」


 やる気を見せてくれても、意地の悪さは変わらないようだ。

 むすっとした柊矢に桜は笑みを零しながら、「すみません」と返したときだった。

 柊矢のポケットに入れていた端末が、大きな電子音を響かせた。


「な、何の音ですか?」

「危険度の高い鬼が出たらしい」

「え?」


 いつもとは異なる音に、桜は不安を覚えながら端末を取り出した柊矢に訊ねる。

 柊矢は端末を取り出しながら淡々と答え、一旦、天音を桜に返した。そして、送られてきたメッセージを開く。

 並んでいる文字を確認した柊矢は、至極面倒くさそうに顔を歪めた。


「第一から第四部隊まで出動? ……パスしよっかな」

「柊矢さん?」


 もしや、早速、やる気が失せたとでも言うのか。

 訝る視線を柊矢に向ければ、彼は大きく溜め息を吐いて行きたくない理由を述べた。


「だって、これだけの数が出てるなら、わざわざ重傷のあんたを振り回す必要はないでしょ」

「打ち明けた途端に慎重になりましたね」

「隠す必要もないでしょ。それに、安静にしてろって言われてるんだし」


 確かに、京子には怪我の治癒には時間が掛かるとは言われている。治るまでは安静にしていろとも。ただし、それは桜自身が戦うなということであり、神威としてならば動くのは柊矢だ。


「と言いますか、私が降神すればいい話じゃ……」

「…………」

(あ。この人、サボりたいだけだ)

「分かった。行けばいいんでしょ、行けば」


 黙り込んでしまった柊矢は、図星を突かれたことで視線を桜から逸らした。それでもじっと見つめてくる桜に根負けをし、柊矢は諦めてベンチを立った。

 歩き出した柊矢のあとを追えば、彼はわざとらしく大きな溜め息を吐く。


「はぁ……。ちょっと、準備運動くらいさせてほしいのに」

「そこはあれですよ。柊矢さんお得意の、実戦が準備運動……いたっ!」

「煩い折れかけ」

「うう……。酷い」


 ほんの冗談のつもりだったのに……と、軽く叩かれた頭を押さえてぼやく桜を置いて、柊矢はさっさと昇降口を下りていく。

 その口元には、小さく笑みが浮かべられていた。



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