第19話 退鬼師と誤解
「――怪我してばかりねぇ」
「すみません……」
「ううん。あなたに言ったんじゃないのよ」
手当てをする京子がぽつりと零し、ベッドに横になっている桜は申し訳なさがこみ上げる。
だが、彼女は目を丸くして首を左右に振った後、壁際にいる柊矢を一瞥した。目が合った柊矢はすぐにふい、と目を逸らしたが。
多少は罪悪感があるのかと思いながら、京子は手当てを続ける。
「神威は、比較的、怪我の治りは早いみたい。けど、今回は傷も深いし、出血が酷いから、治りは遅れると思うわ。暫くは安静にしてなさい」
「どれくらいですか?」
「治るまで」
「…………」
彼女は笑顔を浮かべているが、その裏には「傷が開いたら容赦しないから」という意味が潜んでいる気がした。
京子が完治までの期間を明確にしなかったのは、神威の自然治癒力が未知数であること、言ってしまえば桜がそれに合わせて動きそうだったからだ。
早くまともに戦えるように実戦を重ねたい桜にとって、今回の怪我はとんだ足枷になってしまった。包帯が巻かれていく腕を見ながら、桜はぎゅっと手を握りしめる。
すると、今まで黙って治療の様子を眺めていた柊矢が口を開いた。
「ねえ。なんで無茶をしたわけ?」
「え?」
「相手の力量を見れば、あんた一人で太刀打ちできる相手じゃないことは分かってたでしょ」
「そう、ですけど……」
鬼と対峙したときから、一人では無理な相手だと分かっていた。しかし、最初から無理だと決めつけて引いてしまえば、近くにいた柊矢に何を言われるか、何を思われるか。それを考えると、自然と足は鬼へと向かったのだ。
そんな桜の心中を読んだかのように、柊矢は呆れ混じりに言う。
「俺は引くなとは言ってないし、無理だと思ったら、一度引いて、隊長達が来るのを待ったって良かったじゃん」
「で、でも、そんなことをしたら、柊矢さんは――」
「『また後悔させてしまう』って?」
「っ!」
言うか躊躇った言葉を、柊矢が先に口にしてしまった。
京子はただならぬ空気を感じ取ったものの、ここは黙って見守るべきと見て、包帯をテープで留めながらそっと息を吐く。
手当てが終わったことで上体を起こした桜に、柊矢はさらに問い詰める。
「後悔って? なんで俺の悔いをあんたが勝手に決めつけるの」
「だ、だって、談話室で……明日葉さんと話しているときに、私を神威にしたことを後悔しているって……」
「はぁ? そんな事で、毎回、大怪我されたら困るんだけど」
桜としては、あれは酷くショックを受けた一言だった。
だが、それさえ些事だと言わんばかりの柊矢の態度を見て、桜の中で何かが切れた。
「そんな事じゃないですよ! 私だって、神威になって戸惑うことも多いのに、せめて柊矢さんに迷惑を掛けないように頑張ったのに!」
「迷惑を掛けないようにするなら、相談なり何なりすればいいだろ。勝手に動くな」
「勝手に動いているのはどっちですか! 戦闘のときだって、柊矢さんは私を降神させずに戦わせるし、私が怪我をするまで援護してくれないじゃないですか!」
「……もういい」
まだ柊矢は返してくるかと思ったが、意外にも引きが早かった。
踵を返した柊矢は、そのまま部屋を出てしまい、残された桜は後を追うことはせず視線を落とす。
すると、閉じられたドアが再び開かれ、入ってきたのは困惑した様子の玲央と明日葉だった。明日葉の肩には珊瑚もいる。
「大丈夫かい? 廊下まで聞こえてたけど……」
「えっ! す、すみません……」
「あいつ、何言ったんだ?」
「…………」
玲央に言われて、自分が大声を出していたのだと認識して恥ずかしくなった。
縮こまる桜に明日葉が事情を聞くも、振り返れば自分にも悪い点はあったので素直に説明できない。
代わりに口を開いたのは、静観していた京子だ。
「砂羽君、彼女を降神しないっていうのは前に聞いたけど……ギリギリまで手助けしないって言うのは本当?」
「……そうですね。少なくとも、桜君が危険な状態になるまで、近くにはいますが手は出しません」
「何故、そうするかは?」
「それは……」
追及する京子から、玲央は視線をさ迷わせた。理由を知っている様子だが、言ってもいいのかと考えているようだ。
京子は桜に向き直ると、優しく訊ねる。
「瑞樹さんが無茶をしたのは、どうして?」
「私は……早く成長するためにも、実戦を重ねたかったんです。それに、私が怪我をしても柊矢さんが動いてくれるので、結果的には問題はないのかなと……」
「いや、問題はある。成長しようとするのはともかく、怪我をしても良いっていうのは、柊矢じゃなくてもほとんどの退鬼師なら怒るさ」
「右に同じく」
桜の考えを否定したのは、京子ではなく玲央だった。隣の明日葉も頷いている。
鬼を討伐をする、という結果は良くても、そこに犠牲は必要ない。
今更ながら、基本的なことに気づかされた桜は、「ごめんなさい」と肩を小さくさせて謝った。
「神威となった人や動物は、頑丈ではあるけど不死ではない。だから、今回のような無茶を重ねていると、いずれタダでは済まないことになる」
「でも、柊矢さんは降神をしてくれるわけでもないですし、戦闘の基礎を教えてくれるわけでもないんです。どうしたら……」
実戦で覚えろ、と天音の記憶を頼りに動いているが、柊矢がもっと指導してくれれば、上手くできたこともあったはずだ。勿論、柊矢に頼ってばかりなのはいけないが。
すると、玲央は珍しく、人前で溜め息を吐いてぼやいた。
「柊矢にバレたら怒られそうだな……」
「え?」
「実は、君を降神しない理由、柊矢から聞いているんだ。勿論、全部ではないけど」
いくら隊長である玲央でも、すべてを聞けるわけではない。
だが、前回の部隊での任務の際、柊矢は玲央の「降神するように」という指示を無視したのだ。理由ははっきりさせておかなければならない、と夜の内に聞いていた。
これで「面倒だから」などと言われれば、退鬼師の職を解くところだったが、柊矢にもきちんと理由はあった。
「まず、理由とはあまり関係ないけど……神威として、自然界の霊力が選ばれているのは、法で定められている以前に何故だと思う?」
「替えが利くから、ですか?」
「確かに、それもある。けど、一番の理由は、自我がないために扱いやすいからなんだ」
まるで講師のように、玲央は前置きから始めた。桜がどこまで理解しているか、玲央はまだ把握していなかったからだ。
「退鬼師は神威を退鬼具に宿したとき、神威と精神を同一にする。それが動物や、まして自我の強い人間だったなら、退鬼具の力を維持するのはかなり難しい」
想いがバラバラだと、いくら神威の霊力を乗せたところで威力は発揮できない。また、霊力の調整も、神威とどこまで馴染めるかによって難しさは変わってくる。ここに貴澄がいれば、耳を塞ぎたくなるような内容だ。
「だから、あの子は君自身が神威としての自覚を持って、戦闘に慣れてほしかったみたいだよ」
あと、君の退鬼師としての夢が叶えて、こちらも人手が増えるっていうメリットかな。と付け足した玲央は苦笑していた。
しかし、それもあくまでも降神をしないことの理由だ。
桜は談話室で聞いてしまったことを口にした。
「でも、後悔しているって……」
「あー……あん時のか。それについては誤解だな」
「誤解?」
すぐに否定をしたのは明日葉だ。
その肩にいる珊瑚も、あの日、桜がしていた表情の理由が漸く分かった。
『ああ、どうりで泣きそうな顔をしておったのか』
「えっと、誤解って……?」
先ほどの玲央と同じく、明日葉も一瞬だけ自分が言ってもいいのかと躊躇った。しかし、「直接、柊矢に聞け」と言っても、今の状態では柊矢も話さないのは目に見えている。
仕方なく、明日葉はあの日、話していたことを桜に明かした。
それを聞き終えた桜は、礼を言うとすぐに医務室を飛び出したのだった。
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