第18話 退鬼師と復讐心


「――やぁっ!」


 角を持つ愛らしい容姿の巨大な熊を、桜は天音で一刀両断した。だが、体は裂けず、後頭部から飛び出た黒い欠片が粉々に砕け散る。

 この熊は、鬼が宿ったことで変形したテディベアだ。元の愛らしい容姿はほぼそのままで、額に角を生やし、三メートルの巨体へと変貌した。

 いつものごとく傍観していた柊矢は、鬼が斬られたことで元のサイズに戻ったテディベアを拾い上げ、表面についた土埃を手で軽く払う。


(ぬいぐるみに傷はない。あっても、それは鬼が憑依して暴れたことでついた傷くらいか……)


 祓われたテディベアの状態を確認すれば、刀による傷が一つもなかった。霊力の調整ができているからこそ、器に傷をつけずに鬼を祓うことが出来ている証拠だが、苦手としていた桜が昨日の今日で出来るようなものでもない。現に、貴澄は入隊して半年が過ぎてもまだ失敗することがあるのだ。

 柊矢はテディベアを小脇に抱えながら、天音を見て反省していた桜に歩み寄る。


「うーん。あともう少し……あ! 柊矢さん。今日の任務はまだありますか?」

(たった三時間で五件、か……。いくら小物ばっかりだったとはいえ、随分とハイペースだな)


 柊矢は任務の完了を報告するためにも、端末を取り出して時間を確認した。本部を出てから、一度も本部に戻らずに任務をこなしていたが、移動時間を含めれば収束が早い気がする。

 昨日、桜は何やら意気込んでいた。それが関係しているのかと思いながら、柊矢は小さく息を吐いて首を左右に振った。


「いや、もうない。帰る」

「そ、うですか」


 肩を落とした桜だが、それは「安堵」からではなく「落胆」からだ。以前ならば、安堵から息を吐いていたが、今は意味が違っている。

 本来であれば、この心境の変化は喜ばしいところだが、何かが引っかかった。


(成長が早いのは良いけど、これだと――)


 嫌な結末が過ぎったところで、端末が小さく電子音を立てた。

 その音が意味するものを知っている柊矢は、嫌そうな顔をしながら端末を操作して、音の原因である「新しい任務」を見る。インカムではなく、端末に任務の報せが入ったということは、個人での任務ではない。


「げっ。最悪……」

「新しい任務ですよね?」


 受信した任務を見た瞬間、柊矢は反射的に声を上げたことを後悔した。隣から桜が覗き込んできたからだ。

 新しい任務には、「第一部隊に出動要請。場所は暁北十五、大型ショッピングモール」と文頭に書かれている。


「私は大丈夫なので、行きましょう!」

「そういう意味じゃ……いや、そういう意味でもあるけど……」


 確かに、連戦続きの桜の霊力を心配しての反応だが、桜が思っている心配されている理由と柊矢が心配する理由は違う。

 しかし、これも成長するためと思えば仕方がないのだろうか。

 そう逡巡する柊矢に、桜はやる気満々で訊ねる。


「ちなみに、五蓋は何ですか?」

「…………」


 桜に言われ、渋々端末を見た。そして、頭を抱えそうになった。

 どうして、避けてきたこれが今になって出てくるのか、と。


「……緑」

「なら、何度か相手もしていますし、復習も兼ねてちょうどいいですね」

「と」

「『と』?」


 すっかり鬼に慣れた様子の桜は余裕そうだが、対する柊矢の表情は苦虫を噛み潰したかのようにすっきりしない。

 言葉に続きがある様子の柊矢に首を傾げれば、観念した彼は指示書に記載されたもう一つの五蓋を伝える。


「赤」

「…………」


 桜がいた施設が破壊されてから、まだ一週間も経っていない。また、施設を破壊した鬼の五蓋は「赤」だ。

 誰にも明言していないが、柊矢は任務を受ける際、五蓋が赤の鬼はなるべく避けてきた。まだ神威として力の扱い方が不完全な桜では、精神的な負担は戦闘に大きく影響してしまうからだ。

 以前、第一部隊として出陣した際は幸いにも赤はいなかった。そのため、今回の任務が久しぶりの……神威となってからは初めての対立となる。

 赤の鬼がいると知った桜はどういう反応をするのか。

 柊矢は口を閉ざし、彼女に異変が起きていないかを見る。


(俺は雷鋼があればどうにでもなる。けど、もし、こいつに少しでも異変があれば、意地でも本部に戻す)


 これ以上、『面倒な事』を起こさないためにも。

 桜は視線を落とし、気持ちを落ちつかせるように大きく息を吐いた。少しの間を開けてから、再び柊矢を見た桜の目に動揺は見受けられなかった。


「早く、行きましょう」

「……分かった」


 何が彼女を突き動かしているのかは分からないが、大丈夫だと本人が言うのであれば連れて行くしかない。

 柊矢は待機していたヴァンへと向かいながら、ホルスターの上からそっと雷鋼に触れる。


(いざとなれば、これを使うか)


 桜に意識を向ければ、霊力が先程よりも研ぎ澄まされていると分かった。最も復讐したいであろう鬼を前に、桜はかなり集中しているようだ。

 ヴァンに乗り込み、目的地に移動する。

 現場である大型ショッピングモールは、被害の拡大を防ぐための防護陣が張られていた。中では、実体化した鬼が複数暴れており、柊矢と桜以外の第一部隊が戦闘を開始している。


「うげ。出遅れた。しかも、川超細いし……」

「急ぎましょう!」


 ショッピングモールの駐車場の片隅に、出現元である川があった。既に修繕されているが、川自体がなくなったわけではないため、討伐を急がなければ鬼の力に引き寄せられて新たに決壊する。

 防護陣へと駆け出した桜を見ながら、柊矢は暫く彼女に任せてみよう、とスピードを緩めた。


「遅くなってすみません!」

「あれ!? 桜、来て平気なの?」

「大丈夫。なんだか、今日は体がうまく動いてくれているから」


 近くにいたリオン達に聞こえるように声を張れば、振り向いたリオンは驚いて桜へと駆け寄る。玲央と明日葉は視線を向けることなく鬼と戦っており、貴澄も一瞥だけするとすぐに戦闘に集中した。

 桜達が単独で任務を遂行していたのは全員が知っている。だからこそ、遅れてきたことを咎める者はいない。唯一、口を挟むとすれば、受けた任務の数くらいだ。

 案ずるリオンに礼を言いながら、桜は出したままだった天音を構え直す。気持ちを切り替えるため、一度深呼吸をする。


「――行きます」

「っ!」


 桜がそう短く言って地を蹴った瞬間、リオンの全身を電流が駆け巡った。鬼による攻撃ではなく、桜の纏う霊力によって。

 戦闘に加わった桜は、昨日、複数の鬼を相手に苦戦していたのが嘘のように身軽に立ち回っている。


「すごいね。何やったの? たった半日の任務で、こんなに成長できるもんなの?」

「……やっぱり、あんたと特訓っていうのは嘘か」

「え?」

「何でもない」


 小さく呟いた柊矢の言葉は、少し距離のある位置に立つリオンには届かなかった。聞き返す彼に首を左右に振れば、「何でもなくないでしょー!」と不満の声が上がったが無視だ。

 そんな二人のやりとりを見かねてか、一旦、戦線から下がってきた玲央がリオンを宥めに入る。


「飲み込みが早いのもあるけど、退鬼具の記憶がそのまま反映されるからね。彼女自身が、『神威として』強くなりたいと思うのなら、自然と記憶も馴染むんじゃないのかな」


 桜と柊矢では、霊力の差があるだけでなく、立場の違いもある。柊矢は退鬼師だが、桜は神威だ。「退鬼師」として神威の力を借りて退鬼具を扱うのではなく、「神威」として自身の力を振るって退鬼具を扱うのであれば、退鬼具も使いやすくなる。あとは、動きの基本を柊矢達から学ぶだけだ。

 動きが良くなった桜に感心していた玲央とリオンだったが、貴澄だけは違った。


「で、でも、なんだか、様子がおかしい気もするのですが……」

「まぁ、あいつが神威になったときとほぼ似たような状況だしな。いろいろと思うこともあるんだろ」


 貴澄の目には、ただ動きが軽くなったのではなく、何かに駆り立てられて急いでいるようにも映ったのだ。

 明日葉は鬼を斬り払いながら、桜が神威となった日を思い出す。場所や鬼の数は違えど、赤の鬼はいる上、複数の人がいる施設だ。救助は行っているが、今回については場所が悪かったせいで死者も出ている。


(今まで、死者が出ている現場には行ってない。……めんどくさ)


 玲央達は再び戦闘に戻った。

 柊矢も雷鋼をホルスターから取り出し、神威の状態を確認しながら桜の加勢に向かう。

 その頃、鬼と戦闘を繰り広げていた桜は、ふと、子供の泣き声に気づいて急いで鬼を斬った。任務を重ねたことで、核を見つけるコツは掴めてきた。


「何処から……?」


 駐車場は地面が抉れ、割れて捲り上がったアスファルトが死角を増やしている。また、横転した車や押し潰された車が辺りに散乱しており、中にはガソリンが流れ出している車もあった。下手をすれば大事故に繋がりかねない状況で、桜は焦る気持ちを宥めながら泣き声の主を探す。

 少しして、崩れた花壇の影にその姿を見つけた。


「うわあああああん!」

「いた。僕、もう大丈夫――」


 座り込んで泣きじゃくる少年は、掠り傷はあっても大きな傷はなさそうだ。

 桜は安堵しながら、彼を安全な場所に避難させようと近寄る。

 だが、見えた少年の傍らに横たわった姿を見て、心臓が一際大きく跳ねた。


「ママぁぁぁ!!」

「っ!」


 一人の女性が、血の海の中でうつ伏せで倒れていた。子供を庇ったのか、伸ばされた腕は少年の膝に置かれたままだ。さらによく見れば、右の腰から下と左膝から下がなくなっている。

 血の気のない顔を見れば、彼女が既に息絶えていると嫌でも分かってしまった。

 少し先には、金棒を振り回す赤の鬼がいる。


「よ、くも……!」


 天音を握る手に力が籠もる。

 そのとき、背後で火花が散った音がした。

 振り返って見れば、空中に小さな亀裂が走っている。それが何を意味しているのか、桜はもう確認しなくても分かった。

 隙間から刺又が顔を覗かせた直後、亀裂をさらに大きくするように振り上げられ、太く青い腕が出てきた。


「はぁ!? ちょっ、瘴気体すっ飛ばすとかまだ見たことないんだけど!?」

「それだけ、川が細いということだよ」

「つまり、あいつは一筋縄じゃいかない鬼ってこった」


 亀裂から現れたのは、実体化している青の鬼だった。

 実体化のまま現れる鬼はほぼおらず、初めて目の当たりにしたリオンは驚きを隠せない。

 玲央の表情からは余裕がなくなり、明日葉も北斗を構え直す。今、桜の近くに現れた鬼は、彼女にはまだ荷が重い相手だ。

 早々に救援に向かうべきところだが、玲央達の前にも緑と赤の鬼が立ちはだかっている。

 桜は桜で、怒りで周りが見えていないのか、果敢に鬼に立ち向かっていた。


「はっ!」


 鬼が突き出してきた刺又をしゃがんで避け、膝を伸ばす反動で一気に間合いを詰める。横一文字に振り抜いた天音は、刺又の柄で塞がれ、石突きで腹を突かれて吹き飛んだ。

 横転していた車体にぶつかれば、バランスを崩した車はひっくり返ってしまった。

 それでもめげずに車を蹴って跳躍。空中で霊力の刃を放った。

 しかし、それも刺又で軽く打ち消されると、素早く刺又を突き出してきた。先端のU字型の金具には棘がついており、拘束用だけでなく殺傷能力も兼ね備えている。


「っ!?」


 空中ではうまく避けきれず、腹部に重い衝撃が走って胃液がこみ上げた。次いで、棘が肉に刺さったことによる激痛が襲ってきたが、痛みに声を上げる間もなく、地面に叩きつけられる。

 棘はさらに深く食い込み、逃げ出すことは不可能となった。


「桜!」

「っあ、ぐっ……!」

「下手に動くな! 今すぐそっちに――」


 何とか這い出ようと身動く桜を、明日葉が一喝して止める。

 立ちはだかった赤の鬼の核を一発で仕留め、駆け出そうとしたときだ。


「――雷流」


 火花が爆ぜる音がした直後、明日葉の頬を何かが掠めた。

 摩擦による一瞬の熱さを感じたのと、元凶が青の鬼を貫いたのは同時だった。

 鬼の絶叫が辺りに木霊する。


「――桜、降刃」


 耳を塞ぎたくなるほどの叫びが響いているはずだが、その淡々とした声はやけにはっきりと聞こえた。

 桜の体が天音の刀身から溢れ出た桃の花びらに包まれ、また刀身へと戻っていく。刺又によって地面に縫い止められていた桜は、血痕だけを残して消え去った。

 地面に転がっていた天音を素早く拾い上げた声の主――柊矢は、青の鬼を見据えて唱えた。


「――退鬼、霊刃」


 下から上へと大きく振り抜いた天音は、刀身の軌跡から白い光の刃を放つ。

 素早い動きは鬼に防御の暇を与えず、体は真っ二つに裂けた。間に出てきた黒い欠片も割れていたが、柊矢は「割れて当然」と言わんばかりに確認せず、振り返りざまにまた天音を振るう。

 いつの間にか背後に詰めていたのは、赤と緑の鬼だ。それぞれの得物を振り上げていたが、武器は役割を果たすことなく主を失った。

 さらに、柊矢は雷鋼を取り出すと、離れた位置にいる鬼に銃口を向ける。「――退鬼、雷弾」と呟いて撃てば、電流を纏った弾が鬼を……その核を的確に撃ち抜いた。


「ひえ……」

「マジ、チートじゃん……」


 ほんの一分程の時間で、柊矢は鬼を一掃してしまった。

 貴澄は恐怖から思わず声を上げ、リオンも唖然として柊矢を見る。玲央や明日葉は慣れているのか、息を吐いてから決壊の修繕に動いた。

 それを横目に見た柊矢は、冷めた目で天音を見下ろすと、凍てつきそうな声音で唱える。


「――解刃」

「っ!」


 天音から桃の花びらが溢れ出し、傍らの地面で渦を巻く。やがて、花びらが刀身に戻っていくと、渦の中から現れたのはボロボロのままの桜だった。

 出血が酷く、今すぐ手当てをしなければ危うい状態だ。

 リオンが慌てて駆け寄ろうとしたが、柊矢は気にせずに桜の胸倉を掴む。


「ねぇ」

「ちょっ……! 何してんの!」


 柊矢からは怒気が漂うが、今は説教をするより先にやるべきことがある。

 しかし、柊矢はリオンの制止を無視して言葉を続けた。


「あんたさ、思い上がるのも程々にしなよ。それとも何? 死にたいの? 死にたいなら解約するよ」

「おい! やめろって! 傷が――」

「この前からうるさいんだけど。こいつは俺のだよ。君達にどうこう言われたくない」

「はぁ!?」


 リオンだけでなく、明日葉も止めに入ったが、柊矢は二人にも苛立ちをぶつけるだけで桜を離す気配はない。

 これは困ったことになった、と玲央が出ようとしたとき、柊矢に胸倉を掴まれたままの桜がか細く声を上げた。


「す、みま、せ……」

「桜?」


 謝る桜に怪訝な顔を向けるリオンだが、桜は気にせずに無茶をした理由を話す。


「けど……は、やく、強く、なら、ないと……また、後悔、させて、しまう、から……」

「は……?」


 あの日、談話室で漏れ聞こえた「後悔している」という言葉が、ずっと頭の片隅に残っていた。解約されないためには、無理をしてでも成長する必要があった。

 それに加え、施設が襲撃されたときと似た状況だ。泣きじゃくる少年の姿は、施設で共に過ごしていた子供達と重なって見えた。

 いろんな要素が同時に起こったからこそ、今回の怪我に繋がってしまった。

 言葉を失う柊矢に、桜はゆっくりと視線を動かしながら、先ほど母親の傍らで泣いていた少年の行方を訊ねる。


「あ、の……あそこに、いた、男の子は……?」

『心配無用じゃ。貴澄達が保護しておるよ』

「よかっ、たぁ……」


 明日葉の北斗から解刃された珊瑚が、柊矢の肩に乗って答えた。止まらない桜の出血を見て、叱るように柊矢の頭を尻尾で叩いて言う。


『ああ。もうよい。これ以上、喋るでないぞ。柊矢もよせ』

「……桜、降刃」


 天音から、再び桃の花びらが溢れ出て桜を包む。また天音に宿らせることで、桜の出血もマシにはなるが、今の状態で天音を使えば折れかねない。

 鞘の代わりに羽織っていたケープを軽く巻き付け、リオン達に背を向けた。


「先に戻ってる」


 後始末は玲央達に任せ、柊矢はヴァンへと急いだ。


「だから、後悔しているんだ……!」


 こみ上げてくる苛立ちから、自然と顔が歪む。だが、この苛立ちは桜に対するものではない。

 握っている柄の部分から伝わればいいのに、と切に願ってしまった。




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