第16話 退鬼師と後悔
(うう……。柊矢さんにどうやって訊こう)
京子とリオンに背中を押されたものの、いざ、訊くとなると何と切り出していいのか言葉に迷う。単刀直入に訊けばいいのか、それとも、何かの会話の中に混ぜて訊くか。
脳内でシミュレーションをしながら自室に向かっていた桜は、ふと、談話室から慣れた気配がする事に気づいた。
(柊矢さん?)
談話室から感じ取ったのは柊矢に似た霊力だ。普段は感じたことはないが、残り香のようにふわりと流れてきた。戦闘後で、気配に過敏になっているからかもしれない。
近寄った談話室のドアは少しだけ開いており、隙間から中を窺うと、ソファーに座る柊矢の頭とその隣に立つ明日葉が見えた。
まだ言葉を決めてもいないのに、と緊張で手が震える。感情を押さえるように胸に手を当て、一つ深呼吸をした。
よし、と意気込んでドアに手を掛けようとしたときだった。
「――お前、なんであの子を神威にしたんだ?」
「それについては、総帥達にはもう説明した。君に説明する義務はない」
(わ、私の話?)
「『死にかけだったから』だろ?」
明日葉の問いは、桜についてのものだ。返す柊矢の口調はかなり冷たいが。
思いも寄らぬところで自分の話が出たことで、桜は入ろうに入れなくなった。ここで入れば、会話は確実に終わってしまう。
何故、柊矢が桜を神威にしたのかは、桜自身も聞きたいところだ。
「確かに、桜の怪我は重傷だった。けど、助かる可能性もあった。なのに、お前は早々に神威の契約をしただろ? リスクを犯してまで、神威にした理由は何なんだよ」
(契約がなくても、助かった……?)
桜の怪我は瀕死の重傷で、このままだと死ぬと言われた。だからこそ、桜は死にたくないと願い、柊矢と契約を結んだ。どんな内容かは知らないまま。
柊矢は言葉を探しているのか、二人の間に沈黙が流れる。
静かな空間の中、柊矢の答えを待つ桜は、自分の心臓の音が二人にまで聞こえそうだと思った。
「……分からない」
「分からないって」
柊矢の答えは、普段の強気な彼からは想像もつかないほど頼りないものだった。対する明日葉も困惑の色を滲ませている。
救おうと焦ったのだろうか、と思った矢先、桜の耳に飛び込んできたのは、一番聞きたくない言葉だった。
「でも、契約をしたことは後悔してる」
「っ!」
「後悔って、お前な……!」
反射的に出掛かった声を押し殺そうと、口元を手で押さえる。
苛立った明日葉に柊矢はまだ何かを返していたが、桜の耳には入らなかった。
(じゃあ、ずっと、神威として降神してくれないのは、戦力の一つなんかじゃなくって……)
嫌な考えが脳裏を横切った。
柊矢は桜が怪我を負ったり、対処しきれなくなってから手を貸してくれる。それが一歩でも遅れてしまえば、神威として死んでしまうのではと思ったことはあった。
しかし、それを柊矢が望んでいるのだとしたら。
京子やリオンが言ってくれた言葉など、頭の片隅に追いやられてしまった。
一人戸惑っていた桜だったが、横からおっとりとした声がして現実に引き戻された。
『おや。そんな所に立って、どうかしたかえ?』
「っ!」
やって来たのは珊瑚だ。きょとんとした彼女には、中での会話は勿論、聞こえていなかった。
だが、珊瑚に事情を話すにはまだ気持ちの整理がついていない。
桜はぎこちなく笑みを浮かべると、ゆっくりとドアから離れた。
「ご、ごめん。ちょっと、用事を思い出したから、部屋に戻るね……」
『そうか? 気をつけてのぅ』
足早に去る桜を、珊瑚は心配げに見送った。そして、角を曲がったのを見てから、少し開いたドアに頭を割り込ませて談話室に入る。
ドアが動いた音に気づいた明日葉が珊瑚に目を向け、柊矢との会話を止めた。
『戻ったぞい』
「お帰り」
「珊瑚。この失礼な飼い主、何とかしてよ」
『どうにもならん。して、柊矢。先程、桜が用事を思い出したとかで部屋に戻ったが……お主はいいのかえ?』
「用事?」
さらりと失礼なことを言った珊瑚に、明日葉が眉間に皺を寄せた。勿論、取り合われなかったが。
桜はまだここに来て日が浅い。用事を言いつけられる可能性も、神威であることを鑑みればあまりないはずだ。一華やリオン辺りならば何か言いそうだが。
珊瑚は、怪訝に顔を歪めた柊矢から、桜が立っていたドアへと視線を移す。
『何やら深刻そうな顔をしておったが……お主ら、何を話しておったのじゃ?』
ドアは少し開いていた。もしかすると、二人の会話が漏れ聞こえて、それが桜の表情を暗くさせたのでは? と思ったのだ。
だが、柊矢は明日葉を一瞥すると、何でもなさそうに言う。
「別に。こいつが、『なんで桜を神威にしたんだ』って訊いてきただけ」
「わざわざ許可されてないことをやったんだ。それなりの理由があるのかと思ったら、『分からない』とかって言うんだぜ?」
「明日葉だってそうだろ」
「珊瑚は……こいつは、神威を失った俺を見かねて飛び出したんだ」
あれは、まだ退鬼師となって間もない頃。多くの鬼と対峙し、明日葉はいつの間にか部隊から孤立していた。その結果、神威を消費しすぎて失い、退鬼具を使えなくなったのだ。鬼に囲まれた中で。
このままでは鬼に殺されるというとき、影で様子を見ていた珊瑚が飛び出し、明日葉を庇って負傷。救助も間に合わないと判断して、神威としての契約を結んだのだ。
柊矢とよく似た状況ではあるが、桜のときは救助が間に合う可能性があった。多くの戦闘を経験した柊矢なら、その判断はできたはずだ。
珊瑚は視線を僅かに落とし、自身が契約をしたときを思い出しながら言う。
『元々、明日葉に救われて生き延びた命じゃ。明日葉を救えるのなら、あの場で死んでいても悔いはなかったが……剣となり、共に生きて死ねるのならそちらが良い』
「珊瑚……」
『まあ、あの場で死んでおったら、神威を失ったお主も死んでおったがの』
最もな言葉に、明日葉はばつが悪そうに視線を逸らした。
珊瑚は柊矢を見て言葉を続ける。
『柄にもなく、焦ったのじゃろうな』
「こいつが?」
「へぇ?」
柊矢が焦ることなど見たことがない。大事な会議に寝坊をしたときでさえ、ゆっくりと来たくらいだ。
だが、珊瑚の指摘は正しかったのか、柊矢はすっと目を細めて珊瑚を見つめ返した。それ以上、何かを言うことはなかったが。
珊瑚は内心で「図星か」と呟きながら、先程の桜の様子が気になった。話は逸れたが、柊矢が用事について知っている節はない。
『大丈夫かのぅ……』
「ん?」
『いや、何でもない』
首を傾げた明日葉には言わなかったが、嫌な胸騒ぎがする。
(分からないからと聞いて、あのような顔を……? それにしては、やけに重かったが……)
二人の会話の様子からは、深刻な悩みに繋がるものは見つからない。何となくで契約をされたことも、嫌にはなるが。
杞憂で終わればいいが……と思いながら、珊瑚は釘を刺しておくことにした。
『あまり冷たくあしらうのも、お主の嫌いな“面倒”に繋がるぞい?』
「……肝に銘じておくよ」
□ ■ □ ■
「はぁ……」
珊瑚と別れてから、柊矢と会いそうな部屋に戻る気も起こらず、桜は本部内をさまよっていた。時折、すれ違った退鬼師や職員には不思議そうな目を向けられたが、声を掛けられることはなかった。
リオン達と訓練をしたグラウンドの端を歩いていると、いつの間にか寮の反対側まで来ていた。
このままリオンに会いに行こうかと思った桜だったが、ふと、金属を叩く音が聞こえてきて足を止める。
「小屋?」
本部内は大きな建物が多いが、音の出所である建物はそのどれよりも小さい。赤銅色のトタン屋根と木造の壁は、町中でも見かける倉庫のようだ。煙突が二つついており、一つは火を起こしているのか白煙が立ち上っている。
唯一の出入り口らしき引き戸は開け放たれており、桜は好奇心から中をこっそりと覗く。
広い土間には、様々な工具や武器が置かれていた。端の方には、休憩スペースとなる居間があった。囲炉裏が一つと、それを囲うように座布団が置かれている。
音の発生源は、出入り口から真っ直ぐ進んだ奥だ。頭に白いタオルを巻いた一人の大柄な男性が、石の台に置いた金属片を金槌で叩いている。その傍らには、時折、炎が溢れている炉があった。
(ここ、もしかして、鍛冶場っていう所かな……?)
本やテレビでしか見たことがないが、男性の作業の様子からも察することはできた。
作業をしている男性は、桜に体の側面を向けているが、視界に入らないのか一心に作業を続けている。
強面な上に真剣な眼差しに気圧され、桜は声を掛けることは勿論、その場から去ることも出来なかった。地面に縫い止められたように、足が動かせない。
暫く様子を見ていると、男性の作業が終わったのか手が止まった。打っていた刀身に異常がないか様々な角度で見た後、刀身を桶に張った水に浸す。温度が急激に変化したことで、蒸発音と白煙が上がった。そして、男は冷やした刀身を持って近くの作業台に移動する。
桜に背中は向けているが、そこで漸く、男が口を開いた。
「主の扱いの荒さに、嫌気が差したか?」
「えっ!?」
「坊主……柊矢は、今でこそやる気がないような奴に見えるかもしんねぇが、前はそうじゃなかったんだ。何せ、親父さんの形見で鬼を討ちたいっつって、折れた天音を持ってきたくらいだ」
「天音が……折れた?」
折れたことがあるなど、一度も聞いていない。
漸く振り向いた男性を見た桜は、彼の右頬にある大きな傷に一瞬だけ息を呑んだ。強面なのも相俟って、黙っていれば誰も寄せつけさせないだろう。
しかし、外見とは裏腹に、彼は気さくに話を続ける。
「今でこそその長さだが、野太刀っていうのは、本来はもっと長いもんなんだ。勿論、物にもよるが……少なくとも、元の長さだと坊主の背丈じゃ少し扱いにくいだろうな。お前さんなら尚更」
柊矢の身長は、一六〇センチ前半の桜より僅かに高いくらいだ。
当然ながら、折れる前の天音は見たことがないが、流れてきた記憶では相手に届いていないこともあった。それが折れて短くなったからだと考えれば合点がいく。
「ただ、いろいろあってその後もまた折れて……そのトラウマだろうが、どの神威ともうまく契約できなくなってな。最近まではただの飾り状態だったんだ。自分の霊力を乗せて、多少の威嚇はできてたみたいだが」
神威との契約は、自然界の物質であっても、必ずしも成功するわけではない。武器との相性、退鬼師の霊力と神威の適合性など、すべてが一致する必要がある。
武器が減ったことで、柊矢の鬼の討伐率は激減し、いつしか最強の名は遠ざかっていた。だが、最強の名に固執していなかった柊矢からすれば、痛くも痒くもないものだった。
そんな矢先、漸く、契約が成立したのが桜だ。
「念願叶って退鬼具に契約できた神威だからな。いろいろと慎重にもなるんだろう」
「……あれ? 私、お会いしたことありましたか……?」
事情を深く知る様子に、今さらながら、桜は男性と面識があったかと首を傾げた。
印象の強い外見をしているため、会ったことがあれば覚えていそうだが、残念ながら記憶にない。
すると、男性は無邪気に笑みを浮かべた。
「人の神威は、今のところお前さん以外にいないからな。見れば柊矢のだと分かるぜ」
「あっ。そ、そうですよね」
どこまで自分の話が広まっているのかと思ったが、そもそも、人の神威が珍しいのだ。知られていてもおかしくはない。
一体、彼は何者なのかと訊くタイミングを窺っていると、男性の表情が一層柔らかくなったことに気づいた。まるで、子供を見る父親のように。
「ただ、坊主とお前さんの気持ちは、よく似てると思うぜ」
「え?」
「あれ? 桜君、
何が、と問うより早く、後ろから声が掛けられた。
出入り口に立ったままで、邪魔になっていたんだと思いながら振り向く。
そこにいたのは、不思議そうな顔をした玲央だ。片手には白い鞘に収まった刀を持っている。
「なに、嬢ちゃんが珍しそうに見てたからな。少し話をしてたんだよ」
「す、すみません。お邪魔して……」
今さらながら、作業の邪魔をしていたことに申し訳なさがこみ上げてきた。
だが、男性は桜の不安を払拭するように笑って言う。
「いやいや。お前さんの霊力に反応してか、
「調整?」
「ああ、彼は
首を傾げる桜を見た玲央は、まだ男性が名乗っていないのだと気づいて簡単に紹介した。
退鬼具師は何人かいるが、他の者は休みであったり、外に出ているために不在だ。
「天音の調子はどうだい?」
「大丈夫、だと思います」
「扱ってて違和感がないなら問題ないな。何かおかしいと思ったら、いつでも持ってこい」
「はい。よろしくお願いします」
今のところ、刃が欠けたり傷ついたりすることはない。扱っていて違和感を覚えることも。
それでも、この先もとなると世話になるときもあるだろう。
「で? 久谷のは氷雨か?」
「はい。鬼の武器とぶつかった際、少し傷がついたようで」
「どれどれ……? ……あー、こりゃ早々に修繕したほうがよさそうだな」
玲央の退鬼具である氷雨を受け取った清盛は、鞘から抜いて刀身を確認する。表面についた傷はかなり小さなものだ。しかし、人の怪我と同じで、放置すれば悪化して折れたり、神威の消費も通常より大きくなる。
真剣に話し込む二人を見て、桜はこれ以上、邪魔になってはいけないと思い、「お先に失礼しますね」と一言掛けてから鍛冶場を去った。
「あの嬢ちゃん、討伐の腕はどうなんだ?」
「退鬼具に柊矢や
玲央が口にした「慎吾」という名前の主は、今は亡き柊矢の父親だ。
慎吾も退鬼師としてかなり優秀な人物だった。その二人の記憶が宿る天音を扱うとなれば、素人でもそれなりには動けるだろう。当然ながら、それに見合った霊力と理解力は必要だが。
先の戦いでも、桜は大怪我を負っていたものの、新人にしてはよく動けていたほうだ。
「はっはっ! 違いねえ。退鬼師志望だったらしいが、そっちが叶ってたらどうなってたんだろうな」
「…………」
褒めながらも認めきってはいない様子の玲央の一言に、清盛は豪快に笑った。
玲央は人当たりの良い顔はしているが、仕事となれば相応に厳しい人だ。決して表に出すことはしないが、誰かに問われたり、余程目に余るようなら口には出す。命が関わる現場だからこその厳しさだ。
そんな玲央は、桜が退鬼師になっていたらか、と想像する。
試験時の霊力はさほど高いとは言えないが、今の状況から鑑みると、思わず笑みが零れた。
「柊矢と、良いコンビだったかもしれませんね」
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