第15話 退鬼師と治療
「――はい。これでおしまい」
「ありがとうございます」
医務室に入ると、細い廊下といくつかの扉が並んでいた。そして、真っ先に駆け寄ってくれたのが、偶然、廊下を歩いていた初老の女性医師だ。
桜の状態を重く見た彼女は、すぐに小部屋の一つに案内してくれた。室内にはパソコンが置かれた机と薬品などが並んだ棚、簡易ベッドが一台あり、病院の診察室を彷彿とさせる。
「座って」と促され、素直に従うと、手早く手当てが施された。消毒をした上にガーゼが貼られ、包帯が巻かれていく。
白衣の胸ポケットには、「医務室室長
「止血をしただけだから、無茶はしないように。寝られないくらい痛かったら、これを飲んでね」
「はい。分かりました」
京子は神威である桜にも怖じ気づくことなく、平然と対応してくれていた。保有する霊力が彼女も高いのか、それとも、仕事柄慣れているのか。「神威の治療なんて滅多に出来ないから、研究班に自慢してやるのよ」と他の医師に言っていたのは気になったが、触れないでおいた。
付き添ってくれていたリオンは、隣のイスに座ったまま不満げに唇を尖らせて言う。
「聞いてよ、志摩さん。柊矢ってば酷いんだよ。桜はまだ戦い慣れてないから、今回は降神させるようにって言われたのに、背いて戦わせてるしさ」
「リ、リオンちゃん。その件については大丈夫だから……!」
「あらあら。頑張り屋さんなのねぇ」
「それが僕としては不安なんだよー」
微笑ましげに頬に片手を当てた京子に、リオンは大きく首を左右に振った。ポニーテールが揺れ、髪の先が桜に軽く当たる。
京子はデスクに置いたパソコンを操作し、先日行った桜の診断結果を表示した。グラフと数値が書かれたそれは、知識がないせいか桜には何のことか分からなかった。
「んー……そうねぇ。瑞樹さんは霊力が高いでしょう? だから、砂羽君も降神するより、直接戦ってもらったほうがいいと思ったのかもしれないわね」
「確かに、数は増えるけど、リスクのほうが高すぎない? 神威剥き出しだから、今回みたく鬼が寄って来ちゃうよ?」
「それも一時で、天音の記憶から学んで、すぐに実戦で活躍できると分かったら?」
「……まぁ、それなら可能性はゼロじゃないけど」
人手が足りない、と思うことは現場では何度かあった。五蓋がどれであっても。
退鬼具が減ってしまうのは心許ないが、柊矢ならばそう易々と一つの退鬼具が使えなくなることはない。
二人の会話を聞きながら、桜は膝に置いた自身の両手を見る。包帯が巻かれた手は、先程まで天音を握り、流れてくる記憶に従って動いていた。経験を積めば、足を引っ張ることなく動けるようにはなるだろう。ただ、唯一、腑に落ちないことがあるが。
「私、霊力高くないはずなんだけどなぁ……」
「そうなの?」
「うん。候補生の試験の結果で、霊力の判定はBだったよ」
「平均?」
候補生試験の際、学力以外にもテストがある。その一つが霊力だ。テストというよりは検査に近いが。
評価は五段階。最高ランクがS、次点でA、Bと続き、一番下はDだ。基本的にこの霊力が変わることはなく、退鬼師となった者は相応の部隊に配属される。また、候補生でも評価によっては退鬼師ではなく、調査部隊や医務、事務などに配属される場合もあるため、死に物狂いで取り組まなければならないと覚悟はしていた。
しかし、リオンは納得がいかないと言わんばかりの怪訝な顔をする。
「いや、そんなはずないでしょ。だって、並の退鬼師や職員ですら怯むんだよ? Bランクで怯む退鬼師はさすがにいないって」
「そうねぇ。瑞樹さんが神威となってからの検査では、Sランクだもの」
「ほらね……って、S!? 僕だってAなのに!?」
「少ないの?」
「少ないも何も、今のところ、本部内にいるSランクは総帥くらいだよ」
「…………」
開いた口が塞がらないとはこのことか。柊矢は桜の霊力を聞いていたはずだが、何故か教えてくれなかった。ランクが上がったことで、戸惑わないように気遣ってくれたのかもしれない。
「あ、一華姐さんと第一部隊、各隊長は全員Aだよ」と付け足したリオンだが、桜の耳には入らなかった。
暫くディスプレイを見ていた京子は、「これも可能性の話だけど……」と前置きをしてから言う。
「神威になることで、魂の本質が自然界の物質に近づくから、霊力がより純度を増して高まったのかもしれないわ」
「珊瑚は?」
魂の本質が変わることで霊力が上がっているのなら、同じ生き物の神威である珊瑚も変わっているはずだ。
そう思って訊ねたリオンだが、珊瑚の場合は人ではなく猫だったため、別の問題があった。
「猫だった頃の測定がないから何とも言えないけれど、上がっている可能性はあるわね」
「あー……それもそっか。猫の霊力測ろうとする人はいないか」
人間ですら、退鬼師を目指さなければ霊力を測ろうとはしない。まして、動物ともなれば必要性は皆無だ。
ただ、霊力が上がっているというデータは、桜の検査に携わった人ならば見ているはず。
京子は小首を傾げてぽつりと零した。
「研究者達が放っておいてるのが気になるわね……」
「え?」
「退鬼師の霊力を意図的に増幅できないか、ずっと研究はされているの。神威になったことで霊力が上がるのなら、その役に立ちそうなものだけど……」
残念ながら、京子は桜の検査に立ち会っておらず、データを見たのは今日が初めてだ。かなり興味深い結果が出ているが、何故、検査に立ち会った研究者達は何も言わなかったのか。
「特に研究の協力要請とかきていないかしら?」と訊ねられ、桜は勢いよく首を左右に振った。
京子の目が輝いたものの、制止に入ったのはいつになく真面目な表情のリオンだ。
「人体実験に当たりそうだし、誰か止めてるんじゃない?」
「……それもそうね。ごめんなさい。今のは忘れてちょうだい」
「は、はい」
京子は研究熱心なのか、「過去のデータが消されているのも、そのせいかしら」とまだ独り言を呟いていた。
そんな彼女を見て、リオンは小さく息を吐いてから言う。
「まあ、志摩さんの言うことも一理あるけど……」
「人体実験?」
「ううん。柊矢が桜を降神しない理由。戦闘員を増やしたかっただけなのかなーって」
桜の意志も尊重できるしね、とリオンはにっこりと笑みを浮かべる。
退鬼師を目指していた桜だが、鬼の襲撃によって死にかけた。救いを求めた結果、柊矢と契約を結んで神威となった。
だが、もし二人の推測が本当なら、桜は足を引っ張ってばかりだ。最初だから仕方がないが、早く成長しなければ本当に契約を切られかねない。
京子は、不安げに視線を落とした桜を見て、小さく微笑んだ。
「理由は、本人に聞いてみてもいいと思うわ」
「えっ」
「砂羽君って、あんな性格だけどちゃんと面倒は見るし、ああ見えていろいろと考えてるの」
確かに、桜が勉強をするときも、自分の用事がなければそばにいてくれた。質問をすれば答えてもくれる。一瞬だけ、面倒くさそうな顔をするが。任務も桜に合わせて貰ってきていたことを鑑みれば、面倒見が良いのは納得がいく。
ふと、リオンは壁に掛けられた時計を見ると、「やば。約束忘れてた」と呟いて立ち上がった。
「柊矢が変なことを言ったら教えて。叱りに行くから」
「あはは。ありがとう」
「いえいえ。じゃ、失礼しましたー!」
約束が何かは明言しなかったが、リオンは慌ただしく出て行った。
桜も、このまま話し込むわけにはいかないと、京子に礼を言ってから部屋を出る。
話をしたおかげか、心はいつの間にか軽くなっていた。
(あれこれ考えたってしょうがないもん。ちょっとずつでも頑張ろう)
気合いを入れるため、軽く両頬を叩いて「よし」と気持ちを切り替える。
柊矢に会ったら、何故、自分を降神しないのか聞こうと決めて。
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