第9話 退鬼師と新人


 思ったよりも、筋肉痛は尾を引いていた。

 図書室で座学をした翌日、まだ痛む足を引きずるようにしながら準備をしていれば、怪訝な顔をした柊矢に「もうそんな歳? サバ読んでたの?」と言われたのは記憶に新しい。

 任務も急なものはないとのことで、今日も座学となり、桜は教材を片手に柊矢と図書室に来た。

 人の数は昨日とさして変わりなく、カウンター内にいる司書達も桜達を一瞥しただけですぐに業務に戻った。奇異の目が向けられないこの場所は、他よりも居心地が良い。


(よし。まずは五蓋の復習から)


 窓際の席に座った桜は、柊矢からも聞いている五蓋をしっかり覚えておこうと、該当のページを開き、ノートに必要箇所を書き出していく。そして、図書室の本で教材にはない点を補填する。

 一方、柊矢は机には着かず、窓の縁に腰掛けて外を眺めていた。

 北向きの窓の向こうには広いグラウンドがあり、今は数人の退鬼師達が訓練を行っている。討伐の任務がないとき、退鬼師達はデスクワークや巡回の他に、体が鈍らないよう自主的に訓練を重ねているのだ。


(あれは……)


 ぼんやりと訓練の様子を眺めていた柊矢だったが、その中に見慣れた姿を見つけた。

 少女と間違えそうな容姿の少年――リオンと、向かいには気の弱そうな同年代の少年がいる。肩に少しつくくらいのチョコレート色の髪は、邪魔になっているのか後ろで一つに結わえられていた。

 リオンは退鬼具である水色の大きな扇を手にしており、対峙する少年は白地に赤い模様の入った弓を持っていた。

 突然、気弱な少年めがけてリオンが扇を振るう。直後に扇から発生したのは、無数の氷柱だ。

 対する少年は矢を番えず弓を引くと、引き手の部分から炎が生まれ、一本の矢になった。炎の矢を放てば炎蛇へとさらに姿を変え、飛来する氷柱を飲み込んだ。

 だが、炎は氷柱を飲み込むと離散し、周囲に火の粉をまき散らした。

 その火の粉が降りかかったらしく、リオンが驚いて避けている。


(力加減を間違えたか。神威が害を為してる)


 初任務で桜が霊力の加減を間違え、ジャングルジムを斬ったのと同じだ。彼も霊力の加減を誤り、本来は人に害を与えるはずのない神威がダメージを与えている。

 リオンは扇に水を纏わせ、辺りに散った火の粉を鎮火させていた。


(天音の記憶は俺の戦い方だ。参考にはなるだろうけど、そのまま霊力を使えば違う結果が生まれるのは当然)


 昨日、晩ご飯を食べ終えた後に一華に呼び出され、桜の検査結果を聞かされた。本人は連れてくるなと言われたため、まだ彼女は知らない。

 結果としては、第五部隊の応援で感じていたある予感は当たっていた。


 ――桜の保有する霊力だが、どうやら柊矢よりも大きいようだ。降神の際は気をつけるように。


 桜に伝えなかったのは、彼女が大きな霊力を持っていると自覚したとき、どういう行動を取るか分からないからだ。

 彼女の性分からして、下克上のような下手なことは考えないだろうが、自らの力に戸惑い、扱いに障害が生じては元も子もない。

 だからこそ、一華はこの結果を本人に伝えるかは柊矢に任せると言っていた。


(めんどくさ……)


 溜め息を吐き、桜へと視線を向ける。

 暗記しようとしているのか、目を閉じてこめかみを押さえながら、小さく何かを呟いていた。

 ふと、柊矢はまたグラウンドへと目を向けた後、あることを思いついて桜に歩み寄る。


「ねえ」

「――……で、……だから、これは……」

「ちょっと」

「赤が……だけど、青は……で」


 ぶつぶつと呟いているのは五蓋の特徴だ。柊矢には少ししか聞き取れないが、開いている教材の内容と聞こえてきた単語から察した。

 よほど集中しているのか、桜の耳に柊矢の声は入らないようだ。

 苛々してきた柊矢は、桜がまだ使っていない分厚い本を手に取る。本人は気づいていない。

 そして、その背表紙を桜の頭に落とした。


「った!?」

「煩い。出禁にされるよ」

「柊矢さんが叩くからですよ……!」


 突然の痛みに悲鳴を上げた桜を叱れば、彼女からは当然とも言える言葉が返ってきた。勿論、小声だ。

 柊矢は桜を叩いた本を肩に当て、苛立ちを隠すことなく言う。


「何度も呼んでるのに返事もなし。ご主人様を無視するとかいい度胸じゃん」

「え? す、すみません?」


 反射的に謝った桜だが、直後、「いや、無視じゃなくて聞こえなかっただけですけど」と反論した。

 しかし、柊矢はそれに対して返すことはせず、桜が持ってきた本を近くの返却棚に置いて出入り口へと向かう。

 返却棚は、いつ呼び出しを受けてもすぐに向かえるように設置されたもので、本を置いておけばあとで司書が元の位置に戻してくれるのだ。

 桜も本を返却棚に置き、机の上の教材や筆記用具を片づけて柊矢を追った。


「しゅ、柊矢さん?」

「五蓋を覚えるのもいいけど、霊力の調整の仕方も覚えたほうがいい。この前みたく、物を壊されても困るし」

「うっ」


 いくら初めてで仕方がないとはいえ、桜も密かに気にしていたことだ。

 鬼が物を壊した場合は「被害」で済まされるが、退鬼師によるものは「器物破損」扱いであり、修繕費は国や地方自治体からではなく黎明から出される。黎明の、特に経理部からすれば、出来る限り避けてほしいところだ。


「まぁ、あんた以外にも霊力の調整が苦手なやつがいるから、自分を俯瞰するつもりで訓練を見てみるといいよ」

「分かりました」


 筋肉痛でうまく動けないが、見学ならば問題はない。むしろ、訓練とはいえ退鬼師の動きを実際に見られるならば学べることも多いだろう。

 図書室を出て、柊矢は一度、二階にある第一部隊の部屋に向かった。二階には各部隊の専用の部屋がある他、複数の隊が集まれるような大きな部屋もある。


「ここに荷物置いてくから」

「えっ。いいんですか?」

「あんたも第一部隊の一員でしょ。失礼しまーす」

「し、失礼します」


 「一員」と言われたことに感動を覚えたが、先に部屋に入った柊矢に遅れないよう慌てて後に続く。

 一般的な事務室とさして変わりのない部屋には、四つのデスクが向かい合って置かれ、一番奥には玲央が座るデスクがあった。また、部屋の隅には休憩用のソファーとテーブルがあり、今は珊瑚が寛いでいる。

 主である明日葉は……と、デスクを見れば、書類の山に隠れた彼がいた。


(事務仕事って、あんなにあるんだ……)


 単に明日葉が溜め込んでいたせいでもあるが、戦闘の多い退鬼師でも事務作業はそれなりにある。

 愕然としていた桜だが、奥から掛けられた声にはっと我に返った。


「おや、珍しい。何かあったかい?」

「物を置きに来ただけです。あと、こいつに力の使い方を教えてくるので、しばらくリオンといます」

「リオン君?」


 きょとんとする玲央の問いに柊矢は答えつつ、桜から取った教材を明日葉の手前のデスクに置いた。そこが柊矢の席のようだ。

 リオンの名前が上げられたところで、玲央は柊矢から出入り口横の壁に視線を移す。

 桜もつられてそちらを見れば、文字が羅列された大きなディスプレイがあった。


「ああ、そうか。彼は『貴澄たかすみ』君と訓練中か」


 ディスプレイには送られてきた任務やその進行状況、他の隊の状況が表示されている。

 また、ディスプレイの片隅に隊員の名前が並んでおり、隊員達が今何をしているかが載っていた。行っていることが変われば、隊員は支給されている端末から書き変える仕組みだ。

 柊矢の欄には「訓練」と書かれており、桜はやや複雑な心境に陥った。


(いや、この人の訓練じゃないんだけど)


 むしろ、柊矢は寝ていることのほうが多い気がした。今日は本を読んでいたが。

 ふと、玲央の視線が向けられていると感じて彼を見れば、何故かふわりと微笑まれた。


「よろしくね」

「……えっ?」

「行くよ」


 何が、と問う前に横をすり抜けた柊矢に襟首を掴まれ、半ば引きずられる形で部署を後にする。

 部屋を出てすぐに手は離されたが、柊矢は足早に歩いて行っており、桜の抗議の声は無視する構えだ。

 桜は大きく溜め息を吐くと、柊矢に置いていかれまいと駆け出した。



   □ ■ □ ■ □



「――もらったぁ!!」

「ひいっ!?」


 詰め寄ったリオンによる、水を纏わせた扇の一撃。

 弓を引く直前だった少年は、慌てて構えを解いて避ける。

 リオンは身を捻り、避けた少年にまた扇を振るおうとしたときだ。


「ほーら、油断してるとこうだ」

「うわぁ!?」


 気怠げな声が二人の耳に届いたと同時に、空気を打つ音が二回鳴った。

 直後、二人の足もとに電流を纏った銃弾が撃ち込まれたが、二人は素早く飛び退いた。奇襲にも関わらず反応できたのは、日頃の鍛錬の賜物だ。ただし、少年は着地の際にバランスを崩して転倒したが。

 彼とは反対に、地に片足をついて半回転し、銃撃の主へと向いたリオンは目尻を吊り上げて怒鳴った。


「ちょっと! 危ないでしょ!」

「実戦に奇襲は付き物だろ。これくらいで騒ぐな」

「うぐっ」


 リオンを一蹴した柊矢は、尻餅をついた少年に向き直る。

 感情の読めない表情は冷徹にも見えるせいか、少年はびくりと肩を跳ねさせた。


「すっ、すみません」

「まだ何も言ってないんだけど」

「あっ。……すみません」


 反射的に謝罪した少年に、柊矢は僅かに眉間に皺を寄せる。叱るつもりは毛頭ないのだが、やや小心な彼は柊矢が何かを言おうとするといつも謝るのだ。

 また謝っている彼には何も返さず、本題に入ることにした。


「力を持て余す貴澄に、とっておきの練習相手を連れてきた」

「れ、練習相手、ですか?」

「これ」

「ど、どうも……?」


 おどおどする少年、貴澄に見せるように、柊矢は後ろに控えていた桜の肩を掴んで自らの横に立たせる。

 ぽかんとしていた貴澄だったが、桜と目が合うなり勢いよく目を逸らされた。


「えっ」

「ごごっ、ごめんなさい! 悪気はないんですごめんなさいっ!」

「気にしないでいいよ。貴澄ってば異性に弱くって。目も合わせられないんだよ」


 目を逸らしたまま謝る貴澄から悪意は感じられない。顔どころか耳まで赤くしている。躑躅色の瞳が桜の様子をちらちらと窺っているが、かといって桜に向くつもりはないようだ。

 リオンが理由を言ってくれたことで理解はできたが、やや納得がいかない。


「リオンちゃんは大丈夫なのに?」

「ううん。これね、最近になってマシになってきたんだよ。まあ、俺は男だし」

「本当に駄目なんだね……」


 愛らしい容姿に、一六〇センチ前半の桜より少し低い身長、とリオンの見た目は完全に少女だ。桜も最初は同性かと思っていた。

 苦手ならば仕方ない、と気を取り直してから、桜は貴澄に向き直った。


「柊矢さんの神威の、瑞樹桜です。よろしくお願いします」

「いっ、市川いちかわ貴澄たかすみ……です」


 異性が苦手でも、自己紹介をしてくれたので悪い人ではないと分かる。

 早く慣れてくれればいいなと思いながら、桜は柊矢に先ほどの発言について確認をした。


「柊矢さん。さっきの、練習相手って何ですか?」

「そのままの意味。……天音」

「わっ!?」


 柊矢は桜の契約印に手を翳すと、手早く天音を呼び出す。その様子を見たリオンが、「本当に神威なんだねぇ」と感心した声を漏らした。

 天音を桜に手渡した柊矢は「はい、頑張って」と言うが、一つ問題がある。


「いや、まだ体が痛いんですけど……」

「…………」

「いったぁ!? ちょっと、何する――あ、あれ?」


 柊矢は嫌そうな顔をした直後、無言で桜の背中を強く叩いた。

 突然の暴力に抗議しようとした桜だが、体が軽くなってることに気づくと威勢は弱まった。


「体……痛くない?」

「麻痺させただけ。俺の霊力を痛んでいるところに流し込んで補助しているだけだから、しばらくしたらまた痛み出すよ」

「なんで、最初からこれをしなかったんですか?」

「あんたの霊力がどれくらいあるか分からなかったから」

「……つまり、今は分かっているんですか?」

「そう」


 下手に霊力を流し込めば、柊矢の霊力で桜の持つ霊力を消しかねない。しかし、今は桜の霊力の結果が出ている。どの程度まで補填すればいいか、主である柊矢は知っているからこそできたのだ。

 自分がどれ程の力を持っているか気になった桜だが、問うより先に柊矢が釘を刺してきた。


「教えないよ」

「うっ」

「まぁ、これやると俺も疲れるし、もうあんまりやらないから」

「本音はそっちですよね」


 霊力がどの程度か分かっていても、柊矢ならやらなかっただろう。

 早く体作りをしよう、と心に決めつつ、桜は貴澄に向き直った。

 初めて目が合った貴澄は、「ひゃあっ」と小さく悲鳴を上げて両手で顔を覆う。


「もう! しっかりしなよ!」

「でっ、でも、お、女の子と手合わせなんて……!」

「だらしないなぁ。ボクもいるんだから、しゃきっとしてよ」


 リオンは呆れながら、おどおどしている貴澄の背中を両手で押した。

 数歩前によろけた貴澄は、近くなった桜を見てまた硬直している。この状態で手合わせなどできるのだろうか。

 困り果てた桜が柊矢を見れば、彼は「あと十秒で始めないと雷鋼らいこうの威力実験台になってもらうよ」と銃を構えた。


「やりますお願いします!」

「わぁ、恐怖が羞恥を上回った」

(柊矢さんが言うと冗談に聞こえないし、気持ちは分かる)


 一瞬で姿勢を変えた貴澄に、もはや感心すら覚えた。

 およそ四日間、柊矢と共に過ごした桜は、内心で貴澄に同情して頷く。


「じゃ、始めようか!」


 ニヤリと不敵に笑んだリオンの号令で、手合わせはスタートした。



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