第8話 退鬼師と座学
『――黎明の図書室には、戦闘についての本以外にも、一般的な文学書や趣味などに関連するものまで幅広く取り扱っておる』
「へぇー。じゃあ、普通の本屋さんみたいな感覚かな?」
『退鬼師はあまり自由が利かぬ。故に、気が滅入らんようにと、総帥が積極的に取り入れておるようじゃ』
朝食を終えてすぐ、桜と柊矢は一度部屋に戻ってから珊瑚と共に図書室に来た。明日葉は珊瑚に言われたとおり、デスクワークだ。
図書室は本館の三階にあり、階の三分の一を占めているだけはあってかなりの量の本があった。壁際は勿論、フロア部分にも等間隔で本棚が並んでいる。
出入り口は一カ所だけで、入ってすぐには本の検索が出来る機械が乗ったカウンターが設置されていた。カウンター内には数人の男女が座っていたが、それぞれパソコンに向かって作業をしており、桜達のことは一瞥しただけで動揺する気配はない。
貸し出しも可能とのことで、その場合はカウンター内にいる司書に処理をしてもらえばいいと教えてくれた。珊瑚が。
『――この辺りの本は、鬼が出る前後の話が詳しく載っておる。所謂、歴史の本じゃな。まぁ、これは興味が沸いたら読むとよい』
「うん。分かった」
桜の前を歩き、珊瑚が案内してくれたのは鬼についての蔵書があるコーナーだ。少し奥まった場所にあり、人の数は他のコーナーに比べるとほぼいない。
退鬼師は候補生の時点で基礎は学んでいるため、わざわざ学びにくる人は少ないからだ。
改めて、桜は基礎なしで戦ったことに恐ろしさを覚えて身震いした。
ふと、珊瑚が足を止めたことに気づき、桜は見上げてくる彼女を抱き上げてやる。
望んだ行為だったのか、『空気を読める子で助かる』と満足げに微笑んだ。そして、目の前の本を見て言葉を続ける。
『戦闘にまつわる本はこの辺りじゃ。鬼の特徴と対処法が主だが、こっちよりもこっちのほうが妾は分かりやすかったぞい』
「じゃあ、私もこっちから読んでみようかな」
珊瑚は並んだ無数の本からお勧めの本を選ぶ。
猫に本を教えて貰う日がくるとは……と、思いつつ数冊の本を棚から取り、珊瑚と共に席に向かう。
図書室に入ってすぐ、柊矢が「席確保しとくから適当に選んでおいで」と言っていたが、空席が目立つ中で果たして必要だったかと疑問が残る。
ただ、その疑問も柊矢の姿を見て納得した。
「寝てる……」
『これ。ここは寝る場所ではないぞ』
「んん……? ……ああ、戻ってきたのか……」
席を確保した柊矢は、机に突っ伏して寝ていた。
呆れた珊瑚が机に飛び乗り、柊矢の顔を前足で軽く叩いて起こす。
起きた柊矢はやや不満そうだが、黙って傍らに置いていたノートとペンを差し出してくる辺り、口に出すほど文句はないようだ。
周りに人の姿は見受けられないものの、場所から考えて会話は控えたほうがいいと思い、桜は苦笑をしながら彼の前に座って本を開く。そして、隣に柊矢から貰ったノートとペンを用意した。
座学と決まってから、何かメモを取れる物が欲しいと言うと、柊矢が余っているノートとペンをくれたのだ。
(まずは、鬼の事についてかな)
柊矢から軽く聞いてはいるが、やはり何かにまとめておいたほうが覚えやすい。
目の前にはこちらを向いた珊瑚と、その向こうには柊矢がいる。何か分からないことがあれば聞ける状態だ。ただ、柊矢については珊瑚の尻尾の毛を三つ編みしているが。
桜は意識を本に集中させ、必要に応じてノートに書いていく。
珊瑚の毛をいじることも飽きた柊矢は、桜が持ってきた本から一冊を手に取る。
(退鬼師の基礎、ねぇ……)
本を適当に捲りながら、大きな欠伸を再び零す。睡魔にあらがうことなく、重ねた腕の下に本を敷いて寝る。
その瞬間、珊瑚が長い尾で頭を軽く叩いてきて、背中に目があるのかと疑ってしまった。また、三つ編みが思ったよりもダメージを生んでいて地味に痛い。
何をするんだ、と非難の目を珊瑚に向ければ、彼女は徐に立ち上がって言った。
『あの本を忘れておった。取ってくるから、何かあれば教えてやるのじゃぞ? 柊矢』
「……はーい」
取ってくる、と珊瑚は軽く言ったが、猫は基本的に四足歩行だ。どうやって持ってくる気なのか。
気になった柊矢は一緒に行くとは言わず、素直に見送った。桜を一瞥すれば、難しいところに当たったのか、難しい顔をしていた。
「あの……」
「ん?」
「これってどういう意味ですか?」
本を柊矢に向けた桜は、長々と書かれた文章を指す。
柊矢がその文章を読むと、退鬼具の仕組みについてのことだと分かった。ただし、柊矢でも見慣れない専門用語が並んでいるが。
「……さあ?」
「『さあ』って」
「俺、座学したことないから、細かいとこまでは分かんないし」
そもそも、退鬼具については専門の職人に任せる退鬼師が多いため、本に書かれた内容について答えられる退鬼師は少ないだろう。
桜は「じゃあ、これは勉強しても意味ないのかな……。いや、でも、私は神威なわけで……」と自問自答をし始めた。
どう止めたものか、と溜め息を吐いたとき、机に歩み寄ってくる人影に気づいて顔を向ける。
「勉強中に悪い」
「はい?」
『明日葉?』
やって来たのはデスクワークをしていたはずの明日葉だ。
本を器用に頭に乗せた珊瑚は、そのまま彼のもとに歩み寄って本を取ってもらう。そして、身軽になった体で机に飛び乗った。
明日葉は珊瑚から受け取った本で肩を叩きながら、出入り口の方を親指で示す。
「総帥補佐が桜を呼んでるぜ」
「え?」
見れば、出入り口の所に一華が立っていた。
目が合うと小さく微笑んでくれた彼女に答えるように、桜は勢いよく立ち上がって返事をする。
「は、はい! すぐ行きます!」
「図書室では静かに」
「すみません……」
カウンターから司書の鋭い眼光と、目の前の柊矢からの注意に、桜は身を縮めて謝った。
一華が入ってこなかったのは、話があるからだ。
桜は慌てて一華のもとに向かう。図書室を出ると、ドアを閉めてから一華に向き直った。
「お待たせしました」
「大丈夫だ。それより、昨日は大変だったな」
「あ。一華さんが任務をくださったと聞きました。ありがとうございました」
「いや、大したことはしていない」
やりやすいように、と比較的簡単な任務を選んでくれたのは一華だ。桜は彼女に会ったらお礼を、と思っていた。
だが、一華は小さく首を振ると、真剣な表情で訊ねる。
「私としては、神威としての力を発揮できるか試すためにあの任務を渡したのだけれど……何故、柊矢は降神させなかったんだ?」
「そうだったんですね……」
「本人に聞いてもはぐらかすだけでな」
昨日、第五部隊から報告を受けた一華は、柊矢を呼び出して理由を訊いた。しかし、本人は「今後のためですかねー」と軽く流すだけだった。
もし、降神させなかったのが怠慢からくる理由であれば、一華としても対処を取らねばならない。
だからこそ、一華は柊矢ではなく戦闘を行った桜本人に訊くことにしたのだ。
「柊矢さんは、私自身が戦えるようになれば、何かあったときに対処が取れるからと言っていました」
「なるほど。何かあったとき、か」
最初の任務が終わったあと、桜は「私が戦わされてる理由って何なんですか」と柊矢に訊ねた。その答えが、桜が伝えた言葉だった。
一華は記憶にある出来事と重ねながら、桜に気づかれないようそっと息を吐いた。
(怠慢ではなく、トラウマだったか)
桜の様子から察するに、天音が何故、契約している神威を失ったかは聞いていないのだろう。
ならば、一華が話すことではない、と思考を切り替え、手にしていた数冊の本を桜に差し出した。
「本来であれば、これを渡した後に実戦に取り組んで欲しかったのだが、順番が前後してしまったな」
「これは……?」
「退鬼師候補生が使う教材だ。まぁ、図書室にいたなら必要はなかったかもしれないが、自分用の本があれば便利だろう?」
貸し出し期間を気にしなくても済む上、書き込んでも問題はないのだ。
まさか、教材を貰えるとは思っていなかった桜は、瞳を輝かせながら一華を見上げる。
「ありがとうございます! 大事に使わせていただきます!」
「喜んでくれて良かった」
これで勉強がさらに捗る。図書室で珊瑚からお勧めされた本もいいのだが、たまに必要なのかと疑問に思える専門用語が飛び出すのだ。
教材の表紙を眺めながら、「柊矢さんは教材を持ってる様子がなかったので助かります。座学はよく分からないって言ってましたし」と言えば、一華はその理由を簡単に話した。
「柊矢は、ある退鬼師のもとで学んで退鬼師になった口なんだ」
「え?」
「候補生のように学ばず、すべて実戦で覚えたからこそ、座学のやり方は分からない。実戦で覚えるのもいいが、最近は基礎がなければ危険なことも増えたからな」
退鬼師は候補生として講義を受けてからなるものだと思っていたが、別の手段もあるとは知らなかった。
きょとんとする桜を見て、一華は「勿論、今は全員候補生として座学を受けている」と説明を付け加えた。
時代の流れに合わせて、鬼も知恵を付けているのか一筋縄ではいかないことが増えてきたのだ。また、退鬼師側の設備が変わってきていることもある。
桜は教材を胸に抱きながら、話に上がった人について追究した。
「柊矢さんを退鬼師にした人って、どんな人なんですか?」
「そうだな……。簡潔に言えば、彼女は、かつて『最強』と謳われた退鬼師だ。柊矢は『師匠』と呼んで慕っていた」
今、最強と言われるのは柊矢だ。ただし、気怠い雰囲気からはそんな様子は微塵も感じられないが。
そんな柊矢を育て上げた人ならば、桜もすぐにまともに戦えるようになるのでは、と淡い期待を抱いた。
「数少ない女性で最強なんて、すごいですね。一度お会いしてみたいです」
戦闘についての事以外にも、柊矢のやる気を出させる方法をぜひ聞きたい。
そもそも、やる気を出させるなら、師匠である退鬼師に頼めば早いのでは? と思ったところで、悲しげな顔をした一華が口を開いた。
「彼女は、もういない」
「え? ど、どういうことですか?」
桜はてっきり、まだ現役だと思っていたが、もしかすると退鬼師を引退しているのか。
もしくは……と、最悪な結末が過ぎったところで、一華の後ろから声が掛けられた。
「お話し中、申し訳ありません。茅さん、また総帥が……」
「……またか」
やって来たのは、気の弱そうな退鬼師の男性だ。
彼の言わんとしていることが分かった一華は、片手を額に当てて溜め息を吐いた。
男性の言う「総帥」は、文字どおり、退鬼師達の頂点に君臨する人物だ。滅多に人前に現れないため、入ったばかりの桜は勿論、黎明内でも未だに顔を知らないという人もいる。
「どちらにいらっしゃるか、お心当たりはありませんか?」
「いくつかある。私も手伝おう」
「も、申し訳ありません」
総帥が行方不明とは、やや不穏な空気をはらんでいるが、一華の反応からして珍しいことではないのだろう。それはそれで問題だが。
退鬼師の男性は桜のほうをちらちらと見ており、その様子はどこか怖がっているようにも取れる。
一華は桜に向き直ると、話が中断してしまったことを詫びた。
「すまない。急用ができてしまった。詳しくはまた後日」
「はい。色々とありがとうございました」
元より忙しい身だ。そんな中、柊矢の様子を聞く目的があったとしても、教材をわざわざ持ってきてくれた上に話までしてくれた。これ以上、引き留めるわけにはいかない。
去っていく一華と退鬼師の男性を見ながら、話に上がった人についての好奇心がこみ上げてきた。
「柊矢さんのお師匠さんって、どんな人なんだろう?」
――柊矢は「師匠」と呼んで慕っていた。
脳内で一華の言葉が反芻して、何故か胸の奥がちくりと痛んだ気がした。
その理由が分からなかった桜は、首を傾げつつも、今は勉強をしなければ……と図書室へと戻った。
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