第7話 退鬼師と不調


 カーテンの隙間から朝の日差しが漏れている。

 ゆっくりと目を開いた桜は、退鬼師の寮で二度目の朝を迎えた。


「っ、いったー……」


 上体を起こそうとして、体の至る箇所が痛んでいることに気づく。脹ら脛や足首、二の腕などを中心に、鈍く重い痛みがあった。所謂、筋肉痛だ。

 すると、桜よりも早く起きていた柊矢が、机で何かを書きながら淡々と言った。


「神威でも筋肉痛とかあるんだ」

「それは私が聞きたいです」


 退鬼師として歴の長い柊矢が知らないのであれば、新米の桜が知るはずもない。しかも、神威のことだ。

 軽くマッサージしながら身支度を整え、洗面所を出る。動き出して感じたのは、筋肉痛以外にも昨日はなかった空腹感だ。


(さすがに、昨日の連戦はきつかった……)


 公園での戦闘後、桜達は数件の討伐に当たった。そちらは柊矢が貰ってきた任務だが、新人でもできるような簡単なものばかりだと言っていた。

 確かに、どの討伐も天音からの記憶を頼りに動けばある程度の対処はできたが、動く体は素人のもの。筋肉痛が起こるのも当然だ。

 今日はきちんと朝食を摂って行こう、と心の中で決めた桜は、イスに座ってテレビを見ていた柊矢に気づいた。ぼんやりとしているが、何かを考えているようにも見える。


「ニュースで何かありましたか?」

「いや、考え事」

「考え事?」


 柊矢の表情から、考え事が深刻な内容ではないはず。ただ、彼の表情はやや感情が読み取りにくいため、完全にそうとも言い切れない。嫌悪感などは分かりやすいが。

 すると、彼は真面目な口調で言う。


「筋肉痛が起こっているとき、より負荷をかけると鍛えられるって聞くよね」

「二つの意味で折れますよ」


 神威としての心と、宿っている退鬼具が。

 酷使は避けて欲しいが、それでも今日も討伐任務を受けてくるのであればやるしかない。

 桜の言葉を聞いた柊矢は、むすっとした表情で「たった二日で言うようになったね」と言った。

 柊矢が歯に衣着せぬ発言をしているせいか、遠慮を感じることなく言ってしまうだけだ。

 小さく息を吐いた柊矢は、イスから立ち上がりながらテレビを消すと、桜の頭を乱雑に撫でてから横を通り抜けた。


「先行ってる」

「え、酷い。整えたのに!」


 後ろ手に手を振って出ていく柊矢に非難の声を上げるも、彼が気に止めるはずもない。

 桜は慌てて手櫛で軽く整えると、柊矢の後を追って部屋を出た。



   □ ■ □ ■



 食堂に入れば、昨日と同じく退鬼師達は一瞬だけ静まった。

 気にせずに朝食を受け取る列に並ぶと、退鬼師達もそれぞれの食事や会話に戻っていく。ただし、会話の内容は桜に関するものも聞こえてくるが。

 辛うじて聞き取れたのは、「昨日、討伐に当たったらしいよ」や「第五部隊の奴らから聞いたけど、砂羽さん、降神させてなかったって」というものだ。

 気になるなら声を掛けてくれればいいのに、と思って目を向ければ、さっと逸らされる。


(これ、どうにかできないかなぁ……)


 いつまでもこの調子では、お互いの精神衛生上、良くはない。

 柊矢はといえば、構うつもりが端からないせいか、眠たそうに欠伸をしている。

 そんな柊矢の横で悩んでいると、後ろから声が掛けられた。


『おはよう。桜、柊矢』

「あ、珊瑚ちゃん。おはよう。菅谷さんも」

「おう」


 振り向いた先にいたのは、明日葉と彼の肩に乗る珊瑚だ。声が掛けられたのが珊瑚からだったため、明日葉については付け足しのような形になってしまった。

 それでも本人は気にしていなかったのだが、言葉尻をわざと拾った柊矢は小さく笑んで言う。


「おまけ」

「あ?」

『これこれ。喧嘩は後にしておくれ』


 一触即発の空気が流れたが、珊瑚が明日葉の顔を尻尾で叩いて仲裁した。

 珊瑚は桜を見下ろしながら目を細める。


『昨日はご苦労じゃったな。谷渡から聞いておるぞ。一人でようやった』

「珊瑚ちゃん……! 癒しの権化が……!」

『ほっほっほ。撫でてもよいぞ』

「いや、俺も手伝ったし」


 手を伸ばして珊瑚を撫でれば、隣から不満の声が上がった。

 確かに、柊矢も一部手伝ってはくれたが、それも桜が困り果てて対処の仕様がなくなってからだ。

 明日葉は拗ねた様子の柊矢は気にせず、飛んできた珊瑚を腕に抱いた桜を見て首を傾げる。


「神威になったからって、体は平気なのか?」

「それが、不思議なことにとても痛いんです」

「痛いのか」


 前置きの割に筋肉痛が起こっていると知り、感心しかけた明日葉は思わず突っ込みを入れた。

 珊瑚が『医務室に行くかえ?』と言ってくれたが、桜としては、医務室で手当てを受けるより先に何かを食べておきたかった。


「動くと痛いだけだし、あとでも大丈夫」

『無理はするでないぞ? ……ああ、そうだ。今日は本を読むとよいな。所謂、「ざがく」というものだ』

「「え」」


 桜と柊矢の声が重なる。ただし、意味はそれぞれ異なるが。

 桜は、まさか座学を受けられるとは思わなかったという驚きから。柊矢は、避けたかったものを出されたことによる嫌悪からだ。

 苦虫を噛み潰したような顔をする柊矢をよそに、桜は喜色を滲ませて珊瑚に言う。


「わ、私も読んでいいの?」

『勿論じゃ。ここに属するものは誰でもな。上に確認が必要な本もあるようじゃが、そのようなものは表には出しておらんだろうし』

「珊瑚に字を教えてやったら、一時は図書室に入り浸って大変だったんだぞ」

『ほほっ。ただの猫では縁のないものじゃからの』

「…………」


 本を読む猫の姿を想像して違和感を覚えたが、それはそれで見てみたい。

 しかし、柊矢はやはり気が進まないようだ。


「座学とかめんどくさ……」

『本からしか分からぬものもあろうて。実戦も大事じゃが、身体は労るほうがよいぞ? 特に、はの』


 難しい顔をしていた柊矢だが、やがて、大きく溜め息を吐くと「珊瑚に免じて、今日はそうする」と言った。そして、朝食が乗ったトレーを受け取ると席に向かった。

 満足げに頷いた珊瑚は明日葉の肩に戻り、トレーを持った桜に向き直る。


『おすすめの本はいくつかあるからの。妾も行こう』

「いいの?」

『よいよい』


 明日葉にも仕事はあるはずだ。神威である珊瑚も同行するのが普通だが、分かれるようになってもいいのか。

 退鬼師が退鬼具を二つ持っているのは、あくまでも予備としてだ。最初から一つではいざというときに困る。

 だが、珊瑚はじとりと明日葉を見ると、尻尾で顔を軽く叩きながら言葉を続けた。


『こやつ、机仕事を怠っておったせいで書類が溜まっておるのじゃ。故に、非常時以外、片付くまで外回りは禁止されておる』

「デスクワークは肩凝るんだって」

『溜めるからそうなるのじゃ。……ま、残念ながら妾の手では書けぬからのぅ。せいぜい、玲央の仕事を増やさぬよう精進せい』

「誰だよ、『猫の手も借りたい』とか諺作った奴……」

「あははっ」


 珊瑚の手ではペンを持つことは難しい。また、パソコンなども同じだ。下手をすれば消去しかねない。

 二人のやり取りに、つい笑みが零れる。まるで世話焼きな姉と手の掛かる弟を見ているようだ。

 ふいに、桜は施設にいるときを思い出した。


(今頃、皆もちゃんとご飯食べてるかな……)


 施設にいたとき、桜は年下の子供達の面倒を見ることは多々あった。勉強が分からないと言われれば教え、誰かが誰かのお菓子を取ったと喧嘩が起これば仲裁し、そして、夜が怖いと泣く子がいれば一緒に寝ていた。


(また、皆に会えるように頑張らないと)


 そのためには、もっと知識と力をつけなければならない。

 明日葉達も朝食を受け取ったのを見ると、桜は柊矢が座るテーブルへと向かった。



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