第5話 退鬼師と責務


 本部内を散策しようとした桜だが、多くの退鬼師や職員が仕事をしている場所を一人で歩く勇気は出なかった。

 その結果、今いるのは、食堂の東側の中庭だ。

 北には寮、南には本部の端が見える中庭は、中央に円形の噴水があった。綺麗に整えられた植木や季節の花が周囲を彩り、時間帯によっては退鬼師達の憩いの場となっているのだろう。

 今は桜以外に人はいないが、視線から逃れたかった桜にとっては都合が良い。


「はぁ……」


 脇にあったベンチに座った桜は、深い溜め息を吐いて空を見上げる。

 青い空には、白い雲が流れていた。小鳥が数羽飛んで行く様は、平穏そのものだ。

 昨日まで、自分はこの時間も学校か施設で過ごしていた。

 だが、鬼の襲撃ですべてが変わってしまった。施設は壊され、桜は人としての生を終えて神威として生きている。


(皆、どうしてるかな……)


 施設の人は怪我こそしているものの、死者はいないと聞いた。ただ、自分のことがどう伝わっているのか、聞くタイミングが見つからない。

 本来であれば、退鬼師候補生として、約半年後にこの黎明に来ていた。候補生であったなら、退鬼師達の態度も違っていただろう。

 いくら生き物の神威が珍しいからとは言え、ここまで余所余所しくされてはこの先が思いやられる。


(なんで、そんなに避けるんだろ……)


 同じ生き物の神威の珊瑚は、桜ほど避けられてはいない様子だった。むしろ、桜がテーブルを離れた後は他の退鬼師から笑顔を向けられていた。確かに、猫は可愛いが。

 考えても答えが出ない疑問ばかりが脳内を占める。

 柊矢も何を考えているのか分からず、今も一人置いて行かれた。

 泣きそう、と思った桜だったが、突然、見上げていた空が陰った。


「やぁ、こんにちは。神威のお嬢さん」

「ひゃわあっ!?」

「わっ」


 陰の正体が人の顔であると分かった途端、変な悲鳴を上げてしまった。

 心臓の鼓動を落ちつかせるように胸に手を当てながら、桜はベンチの後ろに現れた青年を見た。

 細身で気の弱そうな見た目をしているが、身に纏う制服は退鬼師と同じだ。桜の顔を覗き込んだことで前に流れ落ちた鉄紺色の髪は長く、胸元まである。後ろの低い位置で一つに結わえているため、作業の邪魔にはならないだろう。


「ごめんね? 驚かせちゃって」

「い、いえ、こちらこそ、すみません……。私もぼんやりしてて……」

「みたいだね」


 髪と同色の瞳を柔らかく細めた彼は、桜の様子を観察していたのかあっさりと頷いた。

 彼もまた、珍しいからと見ていたのかもしれないが、今の雰囲気から好奇の色は感じられない。

 この人は誰だろう、と思った桜は、まずは彼の立場を確認する。


「えっと……退鬼師の方、ですよね?」

「僕? うん。そうだよ。怪しい者じゃないから安心してね」


 軽く両手を挙げる彼からは、害意に近いものは感じない。隠すのがうまい可能性もあるが。

 彼は名乗ることはせず、何故、ここに来たかを明かした。


「君の噂を聞いてね。あの『やる気ゼロの最強退鬼師』を虜にした神威ってどんな子だろうって思って、探してたんだ」

「虜……いえ、それは誤解がありますね。私はただ、助けられただけなので」


 柊矢も神威にしたのは不本意だっただろう。他に助ける術があれば、そちらを優先したはずだ。

 ふいに、契約のときを思い出し、唇に触れた感触が蘇ってきた。

 何故、今になって……と、頭を振って記憶を奥へと追いやると、きょとんとしていた青年を見て言葉を続ける。


「そっ、それに、いろいろと教えてくれるはずが、今は……放置されてますし」

「放置? 神威を?」

「そう……です、ね」


 自分で言って泣きたくなった。

 退鬼師にとって、神威は必須の物だ。神威を宿さない武器では鬼を斬れない。

 目を瞬かせる青年だったが、すぐに驚きの表情を消すと、黙って桜の言葉を待った。まだ、何か言いたいのだろうと見て。

 不思議と、桜も抱えていた不安を吐露した。


「柊矢さんしか頼れる人はいないのに、肝心の本人は何を考えているか分からないし、一人になれば視線はさらに刺さるし……」


 珊瑚やリオンは友好的だが、珊瑚には主の明日葉との仕事が、リオンにも仕事がある。

 まだ知り合って日が浅い今、いきなり彼女達について動けるほど神経は図太くない。

 口元に手を当てて何かを考えていた青年は、ぽつりと呟いた。


「彼の考えは僕にも分かりかねるけど……」

「ご、ごめんなさい。初対面の人に相談する内容ではないですよね」

「ううん。大丈夫。僕って、よくこういうことあるから」

(相談されやすいのかな……?)


 柊矢のことは知っている反応だったが、桜とは初対面だ。関係性をよく知らない人からすれば、話されても返答に困るものだろう。

 そう思って謝った桜だが、青年は気にした様子もなく、穏やかに笑みを浮かべると言葉を続けた。


「さっきの続きだけど、不安になることはないよ。柊矢が、助けるためとはいえ君を神威に選んで、こうしてちゃんと連れている……あ、本部内にはいるってことね。つまり、見捨てられてはないはずだから」


 確かに、不要ならば相応の対処は取れたはずだ。

 それをせずに一緒に過ごしているのであれば、何も言わないが彼なりに考えがあるのだろう。

 青年は、「ちょっとだけ話は変わるけど」と前置きをしてから話を続けた。


「退鬼師はね、鬼が出れば必ず討伐に向かわなければならない。それがどんな強敵であってもだ。退鬼師である以上、その責務は果たす必要がある」

「…………」

「自然界の神威なら、自身で動く術はないから仕方がないけれど……でも、君は自分の内に退鬼具を宿し、戦える手足がある」


 自ら動ける足がある。考える脳がある。そして、武器を扱える手がある。

 自然界の神威にないものが桜にはあり、動物の珊瑚にはできないことが桜にはできるのだ。

 だからこそ、一華は戦闘の基礎を教えるように言っていた。

 桜は今さらながら、戦力に数えてくれていたのだと気づく。同時に、胸の奥が熱くなった。


「それなら、君は退鬼師ではないけれど、やれることはあるはずだよ。彼も、それを模索しているんじゃないかなぁ?」

「私に、やれること……」

「うん。いきなり戦闘は辛いだろうし、そうだなぁ……。柊矢にも色々とあってああなっちゃったけど、まずは、彼のやる気を目覚めさせて欲しいかな」

「えっ」


 今でさえ手こずっているのに、やる気を出させることができるのか。

 だが、青年が根拠もなく言っているようにも思えなかった。


「今はあんな適当な感じだけど、桜ちゃんと関わっていたら彼も変わると思うよ」

「まだ出会って二日目なんですが……」

「大丈夫。君達はよく似ているからね。他に理由は分からないけど、そんな気がする」

「ええ……」


 前言撤回。適当だった。

 ただ、話したせいか心の奥にあった蟠りのようなものはかなり解れた。

 すると、青年は一度本館の方を見てから桜に向き直ると、また笑顔を浮かべて言った。


「じゃあ、僕はそろそろ行くよ。頑張ってね」

「はい。ありがとうございました。……って、あれ?」


 去って行く彼の背を見ながら、ふと、会話の中で自分の名前を呼ばれていたことに気づいた。

 桜は名乗っていないが、噂で柊矢の神威として知れ渡っているなら、名前が知られていてもおかしくはない。今朝は人の多い食堂で名前を言っているのだ。可能性は十分にある。


(あの人の名前も聞いておけば良かったな)


 会話の流れ上、聞くタイミングを逃してしまった。

 ただ、彼も退鬼師だと言っていたため、黎明にいればいずれ出会うだろう。柊矢とも親しげだった。


「うーん、やる気を出させて欲しいって言われても……」


 青年の話から推測できたのは、以前の柊矢は今よりももっと意欲的に取り組んでいたということだ。何があって今の状態になったかまでは不明だが。

 意欲的な柊矢など、今の様子からは想像もつかないが、果たして再びやる気を出してくれるのだろうか? そもそも、何があってやる気を失ったのか?


「柊矢さんに、何があったんだろう……?」

「俺がなに?」

「ひゃいっ!?」


 つい、疑問が口から出てしまったが、まさか応答があるとは思わなかった。

 油断していた桜は大きく肩を跳ねさせると、声がした方へとゆっくりと体を向ける。

 その先にいたのは、想像どおり、呆れた表情の柊矢だった。


「あの変な悲鳴、やっぱりあんたか」

「『変な』は否定しませんけど、『やっぱり』ってなんですか」


 一体、いつから、何処から様子を見ていたのか。

 聞こえる範囲にいたならば来てくれても良かったのだが、面倒事を嫌う彼のことだ。大方、問題ないと分かって放置していたのだろう。


「で? 何かあったの?」

「……退鬼師の人と話をしていたんです。それで、その人に……柊矢さんのやる気を出させて欲しいと言われました」


 内容を聞いてくる辺り、会話は聞こえていなかったらしい。

 それならば、と、桜が退鬼師の青年には打ち明けた悩みについては話さなかった。言ったところで解決するか怪しい上に、本人への不満も混じるそれを言えるほど親しくはない。

 柊矢は「ふーん」と軽く言って、話し相手である退鬼師の姿を探してから桜に向き直る。


「俺のことより、まずは自分のことをやりなよ」

「ですよねー……」


 確かに、柊矢の神威として十分に動けなければ、逆に彼のやる気を削いでしまう。

 分かってはいたが、改めて言われると傷口が広がる心地がした。

 がっくりと項垂れた桜に、柊矢は小さく息を吐いてから言う。


「とりあえず、問題なさそうな任務は貰ってきたから、まずは戦おうか」

「任務? 戦う? 私自身が?」

「一華さんに言われたこと、忘れたとは言わせないから」

「おおおお、覚えてます!」


 桜は何故、柊矢が任務を貰ってきたのか、すぐに理解できずきょとんとする。だが、不機嫌が滲む声音と細めた目で見下ろされると、吃りながらも必死に返した。

 ただ、一華は戦闘を教えてやれと言っていたが、果たしてあれは桜が戦うことを前提としていたのか。

 桜自身が戦うなら、せめて基礎を学んでおきたいが、柊矢の考えは違うようだ。


「座学は面倒だし、せっかくなら実戦で覚えたほうが早いでしょ」

「で、でも、そんなことをしたら、柊矢さんが危ない気が……」

「問題ない。何かあったときのために、退鬼師は二つの退鬼具を持っているから、俺が無防備になることはないよ」


 一華は二つの退鬼具を携行していた。それは彼女に限った話ではなく、退鬼師全員が持っている事だ。

 それを証明するべく、柊矢は腰に着けていたホルスターからもう一つの退鬼具を取り出す。

 桜に渡すことはせず、「ほら」と見せたのは銀色の回転式拳銃だ。ただし、シリンダーの部分には、円筒状のガラスが埋め込まれている。中では静電気を具現化したような電流が弾けており、雷の神威を契約していると分かった。

 柊矢は銃をホルスターに戻すと、気怠げに言葉を続けた。


「人の神威は、結びつけた退鬼具に記憶された戦い方を自然と身につけるらしい。だから、君も退鬼具を手にしたら戦えるはずだよ」

「ええ……。なんですか、その無茶振り……」


 桜と結びついている退鬼具は野太刀だ。今は桜の体内にある。

 だが、戦闘は勿論のこと、刀さえ握ったことのない桜がいきなり扱えるものなのか不安だ。


「嫌なら解約する? 死ぬけど」

「脅しじゃないですか!」


 そもそも、桜に選択肢などなかった。

 こんなことなら、やはりリオンか明日葉について行って、仕事の合間に教えてもらえば良かったと後悔した。


「任務って言っても簡単なものだから、死ぬようなことにはならない。多分」

「多分」


 最後の一言で安心が一気になくなった。

 頭を抱えたくなった桜だったが、ふと、柊矢の口振りに引っ掛かりを覚えて首を傾げる。


「『私用』って、まさか、任務を引き受けに行っていたんですか?」


 食堂を出たとき、柊矢は私用があると言っていた。まだ一時間程しか経っていない今、私用と称して任務を引き受けに行っていたのなら、早い合流にも合点がいく。

 しかし、柊矢はあっさりと否定した。


「いや、これは一華さんが渡してきただけ。戦闘の基礎を教えるには、ちょうどいい相手だろうって。まぁ、降神は必ずしろって言われたけど、しなくてもいけるでしょ」

(あとでお礼言いに行こう。私が戦うことになってるけど)


 まさか、一華も桜が戦闘に立つとは思ってもみなかっただろう。

 これは主の横暴さを上司である一華に訴えるべきか。だが、柊矢が言うように退鬼具に積もっている戦闘経験を活かせるのであれば、座学をするよりも手っ取り早い。

 ここはぐっと堪えるべきか、と黙っていると、耳を疑う言葉が聞こえた。


「面倒くさいから、着いたら五分で終わらせて」

「……はい?」


 やはり、上司に訴えるべきかもしれない、と本気で思った桜だった。



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