第2話 退鬼師と案内


 あれから、桜は近くに停めてあるという移動用の特殊車両に向かっていた。

 鬼の出現により周辺の建物は崩れ、至る所で瓦礫が目立つ。戻ってきた住人は、壊れた自宅を前に茫然としていたり、泣き崩れている者もいた。

 そんな瓦礫の合間から見えてきたのは、白と銀色の大型バスに似た車だ。窓は前方の運転席とドアにある程度で、後方のドアや他の場所にはない。

 運転席のドアを開けている男性と何かを話す柊矢を見て、青年が車について桜に説明した。


「『風気力輸送車ヴァントランスポート』。通称『ヴァン』。退鬼具と神威を応用して開発された車で、目的地まで一瞬で行ける。だから、今回みたいに町の端に鬼が出てもすぐに来られるんだ」

「へぇ……」

「解説どうも。さっさと乗って」

「はいはい」


 左手を腰に当て、右手の親指を立てて車を指して言う柊矢に青年も桜も素直に従った。

 柊矢の左手には紺色のハンカチが巻かれており、血が滲んだせいで掌側は黒く変色している。

 桜は移動しながら柊矢が雑に巻いていたのを見たが、彼が他者に物言わせぬ雰囲気を纏っていたため、何も言えなかった。

 ちゃんとした手当てが必要なのは柊矢も承知の上だが、ここで手当てに時間を費やすより、本部に戻ってからのほうがいいと判断したのだ。


「わぁ……」

「適当に座っていいからな」


 ヴァンに乗り込んだ桜は、白を基調とした車内に小さく感嘆の声を上げた。無機質ながら、それが却って何処かの研究機関を連想させるデザインだ。

 二人が余裕で座れる長椅子が横二列、縦三列並び、運転席とは壁で区切られている。前面中央に地図を映す大型ディスプレイ、その左側に運転席に繋がるドアがあった。

 青年に言われ、入ったドアに近い椅子に座った桜は、僅かではあるが車が動いたのを感じた。ただ、振動はほとんどなく、外も見えないため、本当に動いたのかは分からないが。

 柊矢は一番前の左端、青年は反対側に座る。

 だが、座っていたのも必要があるか疑問に思うほど僅かな時間で、車体が小さく揺らいで柊矢は何も言わずに立ち上がった。そして、後部にあるドアを横のボタンを押して開けると無言のまま出て行く。

 桜はどうしていいか分からずに困惑していると、青年が声を掛けてくれた。


「着いたぜ」

「え? あ、はい」

「悪いな。あいつ、マイペースで」

「い、いえ……」


 柊矢の代わりに謝った青年に、桜は曖昧に返すしかなかった。

 彼の後に続いてヴァンを出れば、一応、待っていたらしい柊矢に「遅い」と怒られた。


(り、理不尽……!)


 せめて、一言声を掛けてくれてもいいのでは、と文句を言いたくなった。口に出せば彼から辛辣な言葉が返ってきそうで出せなかったが。

 ヴァンが停まったのは、明るい灰色の石畳が敷き詰められた広い場所だった。端の方には常緑樹が植えられており、外灯が等間隔で並んでいる。外灯には縦に長い旗が付けられており、描かれた紋章は黎明のものだ。

 周りを見れば、まだ距離はあるが、敷地を囲う高い壁が見えた。

 前方には左右に広がる巨大な白い館があり、今は夕焼けに照らされて赤く染まっている。また、柊矢達と同じ制服の者や、色こそ同じでも少し異なる意匠の制服の人達が行き交っており、改めて黎明本部にいるのだと実感させた。


(すごい……。ここが、あの退鬼師達が集う黎明の本部……)


 一般人はまず来ることのない場所だ。

 唖然と館や人々を見ていると、異彩を放つ一人がこちらに近づいてくるのに気づいた。

 「和風美人」という言葉が似合う、美しい女性だ。

 艶やかな黒髪は頭の高い位置で一つに結わえられ、背中の中頃まで届く。切れ長の瞳は真っ直ぐに柊矢達を見据えて逸らさない。

 身に纏う制服はデザインこそ柊矢達と似ているが、配色は異なっている上、膝下ほどまである白いマントを靡かせている。動きに合わせて靡くマントの裏地は濃紺だ。

 長い手足に、美しい姿勢。同性である桜も思わず見惚れてしまう。

 桜は顔見知りではないものの、彼女のことを知っている。

 三人の前で足を止めた女性は、表情を変えることなく淡々と労いの言葉を掛けた。


「ご苦労だったな、二人とも」

「うげっ」


 柊矢はハンカチを結び直していたせいか、女性に気づかなかったようだ。声を聞いて嫌そうな顔をした。

 そんな柊矢を見た女性の瞳がやや剣呑に細められる。


「そうか。柊矢はその手を消毒液に浸したいか」

「いや、何でもない……」


 今まで強気な姿勢だった柊矢だが、彼女には頭が上がらないのか気まずそうに視線を逸らす。

 かと思いきや、彼はどこか気怠そうにしながら、彼女がここへ来た理由を訊ねた。


「なんで一華いちかさんが来たの? 『総帥補佐』がわざわざ出てくるほどのことはしてないけど」

「総帥に、『少し特殊な事があったようだから見てきてほしい』と頼まれてな。総帥がきちんと仕事をやる条件付きで確認に来た」

「あの人、また逃走期なんすか?」

「反抗期みたいな言い方をしてくれるな……。これでも困っているんだ」


 総帥は退鬼師のトップだ。あまり表に立つことがないため、退鬼師以外で顔を知る人は少ないが。

 そして、彼女は只でさえ女性の少ない退鬼師の中でも、若くして総帥の補佐を務めており、桜だけでなく多くの同性から支持を得ている。また、実力は補佐になるだけはあり、経歴の長い男性を一瞬で打ち負かすほどだ。

 そこで、彼女は桜を視界に入れるときょとんと目を瞬かせた。

 凛とした彼女もそんな顔をするのかと思うと同時に、自然と背筋が伸びる。


「初めて見る顔だが、そちらのお嬢さんは?」

「俺の神威」

「は?」


 あっさりと答えた柊矢だが、そもそも彼は本部を出る際に人の神威は連れていなかった。

 怪訝な顔をする一華に、桜は勇気を振り絞って声を上げた。


「は、初めまして! 瑞樹桜と言います!」

「ああ、そんなに緊張しなくても構わない。総帥補佐のちがや一華いちかだ。柊矢の神威と言うことだが……何があった?」

「……はぁ」


 桜を見ると一華の表情が少し和らぐ。あくまでも追究は柊矢にしているものであり、桜に問うべきではないと分かっているからだ。

 柊矢は深い溜め息を吐くと、先ほどの件を端的に説明した。


「死にかけだったから助けただけ。貴重な退鬼師候補生予定だったみたいだし。俺、手当てしたいんで、後のことは同性に任せまーす」

「「おい」」


 連れてきた本人が、早速、他人任せにしていいのか。

 一華と青年が声を被せるも、柊矢は気にせずに本部へと向かおうと踏み出した。


「すみません。私のせいで……」

「ホントにね。しっかり働いて返してもらうから」

「否定しないのかよ」


 謝る桜にフォローを入れる気配すら見せず、柊矢はすたすたと歩いて行ってしまった。

 怪我は事実なので止めるわけにもいかず、一華は溜め息を吐くと青年を見て言う。


「お前も退鬼具の調整に行ってこい。神威を降神したままなのは、何かあったからだろう?」

「……すいません。お願いします」


 一華の指摘は正しかったようだ。

 青年はばつが悪そうに眉間に皺を寄せたが、すぐに一礼してから足早に去った。

 二人きりになったところで、一華は桜に向き直って頭を下げる。

 突然のことに、桜は思考が停止した。


「退鬼師が勝手な行動を取ってしまい、申し訳ありません。戻すことは叶いませんが、出来る限りのことは尽くしましょう」

「い、いえ! 鬼を討つことができるのは同じですし、死ななかっただけ良かったと思っておきます!」


 不満を訴える前に黎明の次席に頭を下げられては何も言えない。元より、文句を言うつもりもなかったが。

 戻れないならば、神威であることを受け入れていくしかない。

 「頭を上げてください! 畏まる必要もないです!」と慌てる桜に言われ、一華はゆっくりと上体を起こすと、困ったように笑んだ。


「ははっ。前向きな子で良かった」

(うわぁぁぁ! 茅さんの笑顔……!)


 美人の笑顔の破壊力に思考回路がショートしそうだ。

 だが、当然ながら一華がそんなことに気づくはずもなく、柊矢に任されたとおりの役目を果たすために話を進めた。


「さて、神威となったからには相応の手続きをしないといけない。総帥はこれを見越していたのかもしれないな」

「未来予知でもできるんですか……?」

「できたら厄介だから、ただの勘であってほしいところだ」


 苦々しい顔でぼやいた一華は、相応に苦労しているのだろう。

 先ほど、青年が「逃走期」と言っていたのが大いに関わっていそうだ。


「柊矢の手当てもあるし、先に軽く本部内を案内しておこう。ある程度の場所は知っておいたほうがいいだろうし」

「え!? お忙しいでしょうし、私に関しては地図的な物があれば……なんとか……」

「……いや、私がいたほうがいいだろう」


 黎明本部は外観こそ塀の上から覗いた箇所を目にしているが、中に入ったのは今日が初めてだ。退鬼師候補生の試験は町中の集会所の一つで行ったため、黎明まで行く必要もなかった。

 初めて来た場所、ということもあり、本当に大丈夫かは分からずに語尾が小さくなる。

 そんな桜や別のことを心配してか、一華はちらりと周りを一瞥してから桜へと視線を戻した。

 今は昼間の退鬼師と夜間の退鬼師との入れ替わりの時間帯だ。人は比較的多く、まして総帥補佐である一華が見慣れぬ銀髪少女と会話をしていれば人目を引く。

 近くの外灯が暖かい光を灯したのを見て、一華は来た道へと踵を返した。


「とりあえず、移動しながら説明しようか」

「は、はい。よろしくお願いします」


 ここは素直に従っておいたほうがいいと判断し、桜は一華の後について行く。


 黎明本部は正面に見える四階建ての白い館が本館だ。右側にはそれよりも少し低い四角い建物と、左には先ほどのヴァンが格納されている大きな倉庫があった。さらに奥には別の建物も見える辺り、本部の広さはかなりのものと分かる。

 本館は二十四時間体制のためか出入り口に扉はあるが開かれたままで、上には黎明の紋章が描かれた大きな旗が掲げられていた。

 それを眺めながら中に入れば、外観の印象とは違い、内装はやや近代的な造りだった。

 ロビーは最上階まで吹き抜けとなっており、それぞれの階の廊下が見える。左右の壁には四階まで通じる螺旋階段があった。

 中央には三階を優に越す立派な木が生え、木を囲うように澄んだ水が流れている。雨風を凌げる上に南向きの大きな窓から光が降り注ぐため、養分を存分に吸って成長したのだろう。


「すごく立派な木ですね……」

「退鬼師が契約する神威は、場所によっては周りにないこともある。『植物』を神威とする者は、この木から拝借することもあるんだ」


 そう言って、一華はマントを軽く捲り、携行している一振りの黒い刀を桜に見せる。鞘の鯉口より少し下には深緑の紐が結ばれ、その先には二つの丸玉があった。

 透明なガラスで出来たそれの中には、よく見ると薄緑色の小さな葉の欠片とエメラルド色の鉱石の欠片がそれぞれ入っていた。


「私の場合、海上にでも行かない限りはどちらかの神威が身近にはあるが、『葉』は植物に、『鉱石』は地に繋がる。身につけていれば困ることはない」

「なるほど……」


 一華が契約している神威は、どちらも自然界の物質だ。

 桜のように生物が神威になると、本人がいなければ退鬼具本来の力は使えない。だが、自然界の物質ならば直接契約した物でなくとも退鬼具に降神できる。

 木の横を通って奥に行くと、左右に廊下が分かれていた。建物が横に長いためだ。

 廊下は北向きで、窓からは本館の裏手にあるグラウンドや体育館のような大きな建物、煙が細々と上がる煙突のついた小屋、洋風のマンションに似た建物などが見えた。

 一階にはさほど部屋はないようで、左側には食堂と休憩室、医務室がある程度だ。

 一華は、案内する場所も今は限られているかと思いつつ、ロビーから右に進む。足を止めたのは最初にあった部屋だ。

 廊下とはカウンターで区切られた部屋には、多くのデスクが並んでいた。ほとんどのデスクにパソコンが置かれている他、ファイルなどの資料も多く積まれている。

 時間帯のせいか空席が目立つが、仕事をしている人は皆、一華達と違ってスーツ姿だ。


「ここで退鬼師や候補生の管理を行っている。神威が人や動物であった場合も登録を行う」

「退鬼師とは違うのにですか?」

「生き物の神威は自我を持つ上に替えが利かない。何かあったときのために把握しておかなければならないんだ」


 自然界の物質も無限ではないにしろ、降神のたびに消費するわけではないため、消滅するまでは何か一つを持っていればいい。

 一華をはじめ、退鬼師達は契約した神威と同じ自然界の物質を携帯している。しかし、自我を持つ生き物はそうはいかない。


「生き物の神威は契約自体が難しい。元より、血縁者か、余程強い絆で結ばれたものとしかできないし、黎明が出す条項でも基本的には許されていない。柊矢とは知り合いだったか?」

「いえ。初対面です」

「まぁ、奴は特殊だから、やれんこともなかったのだろうが……よく死ななかったな?」

「あはは……」


 息苦しく、喉も焼けるように熱かったことは今も鮮明に覚えている。

 確かに、下手をすれば死んでいたかもしれない。

 曖昧に笑って返せば、一華は「これも何かの縁なのだろうな」と言ってからフロア内に目を移す。

 一番近くにいた一人の女性が一華に気づくと、喜色を浮かべて駆け寄ってきた。サイドで緩く纏めた明るい茶色の髪が、動きに合わせて軽く跳ねる。

 カウンター越しに一華の前に立った彼女は、仕事の疲労など一切見せずに笑顔のまま言った。


「お疲れ様です、茅さん! 今日のお仕事は終わりですか?」

「いや、まだだ。総帥の様子を見に行かなければならないし、あと……」

「あら? そちらの方は……?」


 一華が視線を桜に向けたところで、女性も桜に気づいたようだ。

 きょとんとする彼女に本日何度目かの自己紹介をしようとしたが、先に一華が説明に入った。


「瑞樹桜。今日、柊矢の神威になった」

「えっ!?」

「よ、よろしくお願いします」

「……あっ。は、はい。こちらこそ……」


 詰まりながらも挨拶をするも、何故か急に彼女はよそよそしくなった。どこか敬遠しているようにも見える。

 その理由を問うより先に、またしても一華が口を開いた。


「柊矢はまだ来ていないか?」

砂羽さわさん、ですか? まだ見ていませんね」

「そうか。柊矢がいないと神威の登録もできないし……」


 女性が言った名前は柊矢の苗字だろう。

 そういえば、と碌に名前すら聞けていなかったことに気づいた。柊矢と一緒にいた青年もだ。

 一華は少し思案すると、「よし」と言ってから桜に向き直った。


「退鬼師は、基本的にこの本館北側の寮に住んでいるんだ。疲れただろうし、柊矢の手当てが終わるまではそこにいるといい。連れて行くから」

「えっ。いいんですか?」

「ああ。部屋はまた相談になるから、とりあえず、一階の談話室に行こう」


 そうと決まれば、と一華はすたすたと歩き出す。

 桜は対応してくれた女性に軽く頭を下げると、何故か困惑したように視線を逸らされた。


(なっ、なんで!?)


 会ったのは今日が初めての上、話という話もしていない。その間に何かした覚えもない。

 疑問を覚えつつも、一華に置いていかれまいと桜は踵を返した。

 そして、二人は本館出入り口から真っ直ぐ進んだ先にある北側の出入り口から外に出る。

 出てすぐは渡り廊下になっており、壁はないものの、屋根があるおかげで雨が降っても濡れる心配はない。

 渡り廊下を右に折れ、少し歩いたところで次は左に曲がる。その先にはまた扉があった。

 先を歩いていた一華が扉を開くと、右側にはいくつものテーブルとイスが並んだ広いフロアがあり、一華は「ここは食堂だ。本館にもあるが、どちらを利用しても構わない」と言った。

 この食堂の裏手に、庭を挟んで退鬼師達の寮があるとのことで、食堂から伸びる通路を通って移動した。

 寮も本館と同じく洋館だが、外壁は時代を感じさせる赤茶色だ。また、内装も落ちついたアンティーク調で、近代的だった本館とのギャップがある。


「談話室はすぐそこだ。扉に書いているが、分かりそうか?」

「は、はい!」


 つい内装に見惚れていた桜は、一華に声を掛けられて我に返った。

 寮内は、入ってすぐの右手側に上の階に続く階段と、少し先に歩くと右に曲がって真っ直ぐ伸びた廊下があるくらいだ。余程のことがない限り迷わないだろう。


「なら、中途半端なところで悪いが、柊矢の様子を見てくる。奴がいないと登録もできないしな」

「ありがとうございます」


 桜が礼を言うと、一華はすぐに来た道を引き返した。

 言われた談話室で待つために、桜はゆっくりと歩き出す。

 目的の談話室は一番手前の部屋だった。




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