「潜深士について」

ユウキの話では、師匠の仕事である『潜深士ダイバー』は

かなり神経を使う職業なのだそうだ。


「結局、全体が見れて細かいケアができる人間じゃないと務まらない。

 人の感情を細かく見て取って適材適所で助けられる奴とかさ。

 普通の職業なら介護士とか保健師とか相談員がそっちに近いかもな。

 でも俺はそういう人間じゃないし。わりと大雑把な方だからさ、

 ようは『潜深士ダイバー』って仕事には向いていなかった。」


20代の頃。


別の仕事に就くべきだと、

ユウキは本気で考えるようになっていた。


行きずりでなった仕事とはいえ、

自分のできることにも限界を感じ始めていた。


年齢を重ねるにつれ、成長にするにつれ、

患者が異性の場合ケア自体が

難しくなってしまうことが大きな原因だった。


「一度、助けようとした女にひどく拒絶されたこともあったな。

 後で聞いたら極度の男性恐怖症だったらしいけど、

 結局、繊細な女性患者ほど親身なケアする場合は

 同性同士のほうがいいとわかったよ。」


師匠が女性であるためか運ばれる患者も女性が大半で、

弟子の中で唯一の男性であったユウキは、

次第に自分が足手まといだと感じるようになっていった。


「もちろん師匠は俺を他の姉弟子たちと同じように扱ってくれたよ?

 でも、俺以外の姉弟子がちゃんと潜深士として人を助けていく中で、

 結局、俺だけが遠くの方でサポート役に徹するしかなくてさ。

 何のために仕事しているんだって毎日そればっかりを考えていたよ。」


だが、出て行こうにも、

山で長く過ごしていたせいもあって、

ユウキは自分が世間に疎いことにも気づいていた。


今更、普通の職につけるものか。


義務教育すらまともに受けていない

自分を雇い入れるところなど、

数えるほどもないにちがいない。


「…で、考えた結果。

 師匠に叩き込まれた空間の知識だけはあるからさ。

 空間修理師を目指そうと思ったわけ。師匠はそっちの界隈では有名だし、

 コネとして使えばなんとか潜り込めるだろうと…結構、単純な理由だろ?」


そう言って、ユウキは無理に笑ってみせる。

でも、スミ子は気づいていた。


結局、ユウキも行きずりで

仕事を選ばざるをえない立場だったのだ。


孤立し、はじき出された結果、

限られた選択肢の中でしか進めなかった。


だが、それを聞いた上でも、

スミ子はユウキが羨ましかった。


もともと才能はあるのだから、

それを伸ばせばいい。


自分のように何もない人間とは違う。


だからこそ、

スミ子の口から正直な感想がもれた。


「…それでも、仕事はやっていける人間だと思うな。

 今日だって無事に空間から脱出できたのは君のおかげだし、

 才能もあるから、修理師でもきっと大丈夫だと思うよ。」


しかし、褒めたつもりのスミ子に対し、

ユウキの口から出たのは意外な言葉だった。


「そっか。でも俺はスミ子さんの方が、

 空間関係の仕事に向いていると思うな。」


え?


思わず、スミ子はユウキを見つめる。


ユウキはその視線をそらすように

月を見上げながら静かにカモミールティーを飲んだ。


「…っていうかさ、空間にいる人間はもっとビクビクするはずなのにさ、

 スミ子さんは何か適応できてる感じがするんだよね。穴も見えていたし。

 案外、潜在能力では俺より上かもしれないんだよね。」


それを聞いて、スミ子は戸惑う。


そういえば、壁に穴が開いた時にも、

同僚と共に地下をさまよった時にも、

本部にいた初老の男性に手伝わされた時でさえ、

スミ子は自分の気持ちがどこか落ち着いていると感じていた。


日常を暮らしている時よりも、

空間を進んでいるときのほうが

どこか楽しく感じられた。


いや、それだけではない。


マンションの5階で老人の顔の穴を塞いだ時に、

マザー・ヴンダーにこう言われなかったか?


…何しろ「今」の私じゃあ封じることしかできないからね。

空間を丸ごとひとつ改善するだけの力は残っていない。

溝口の嬢ちゃんでしか…なし得ないことだったんだよ。


その言葉を思い出しながら、

スミ子は自分の手を見つめる。


マンションの老人の顔に開いた穴を塞いだ手。


職場の地下空間に落ちたときや

本部に行った時に空間に穴を開けた手。


そして、マンションの自室に開いた穴を塞いだ手。


マザー・ヴンダーの言葉が事実だとするのならば、

自分には空間に何がしかの影響を与える能力があるのかもしれない。


でも、本当に自分にそんな能力があるのか?

自分が空間に干渉できる力などあるのか?


その答えは分からない。

分からないながらも、ふと言葉がよぎる。


…ここにいることは、楽しい?


それは、昨日の本部の空間で銀髪の女性に言われた言葉。


スミ子の腕にはめられた紐と同じ、

赤い毛糸をたぐる女性の言葉。


空間の中でスミ子は確かにそう言われた。

だが、同時にこうも言われたはずだ。


…どれほど身近に感じても、

人である以上、距離を置かねばならない。

特にあなたにはそれが必要よ…


自分は思ったよりも、

空間に近い人間なのかもしれない。


スミ子はそんなことを感じながら、

自分の行く末を案じつつ、

月の浮かぶ夜空を見上げた…

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